産業革命の進化と人間の真価

産業革命という言葉があります。ウィキペディアには、「産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命、それにともなう社会構造の変革のことである。 産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる」と記されます。

この産業革命という視点から歴史をみると、世界ではこれまでに4度の産業革命が起きているといわれます。その始まりは18世紀後半です。少し整理すると、第1次産業革命は紡績機の発明と蒸気機関の改良です。これはイギリスが植民地から輸入した綿花を綿織物に加工して海外へ輸出するときに紡績機により大量かつ効率的に綿織物をつくるようになりました。それに蒸気機関によって鉄道や蒸気船が開発され、輸出も簡単にできるようになります。そして世界の覇権国家となって世界を席巻するのです。この産業革命はイギリスからヨーロッパ全体に広がり世界を飲み込みました。

そして第2次産業革命は重工業の機械化が実現し、主要エネルギーは石炭から電力・石油になります。同時に自動車や航空機、船舶の大量生産がはじまりマーケットの獲得競争が激化します。そのために必要な原料や労働力、マーケットの拡大が切っ掛けになり帝国主義がはじまります。

次が第3次産業革です。ここでコンピューターが登場します。運搬や溶接を行う産業用ロボットをはじめ今まで人間が行っていた単純作業が自動化され、産業構造における労働が激変しました。今では当たり前になっているインターネットの普及も第3次産業革命のうちに入ります。

ここまででもたかだか百数十年くらいなものです。

私たち人類の歴史の中では、まだほんの少し。ついこの間まではまったく異なる世界が動いていました。それが産業革命によって人類の社会構造は激変し、今ではその産業革命によって出来上がった新たな世界、つまり人間社会をつくりあげています。経済がまわるのもこの産業革命によってであり、その相互依存はもはや密接であり切り離すことも不可能です。

そしてこれから第4次産業革命が誕生するといわれています。簡単にいえば第4次産業革命はこれまで人間が担ってきた労働の一部がさらなる自動化が進みます。無人であることは当たり前であり、労働力である人間の削減が進みます。つまり、人間が働かなくてもすべて機械やITで代替えできる世界をつくりあげようとするのです。

ドイツでは第4次産業革命と似た概念の「Industrie 4.0」(英語では「Industry 4.0」)という国家施策がはじまりました。これは製造業の「デジタル化」「コンピュータ化」を進める(サイバーフィジカルシステム化)ことで、国全体を1つの工場化するというのです。

そして第4次産業革命においては、「IoT(Internet of Things:モノのインターネット)」「AI(Artificial Intelligence:人工知能)」「RPA(Robotic Process Automation:ロボットによる業務自動化・自律化)」が進みます。

つまり第3次産業革命の自動化から第4次産業革命の自律化に向かっていくということです。自動化は、人間がやっていることをプログラミングで自動化しました。しかし、自律化は人工知能をつかって目的に対して自律的に働くようにするのです。つまり、ほぼ人間の状態に近づいていくということでもあります。

目的に対して知恵を出し、目的を達成する。

これは本来、人間が働く中でとても重要なことでロボットであったこととの大きな違いであったものです。しかしロボットに知恵が入り、人間でしかできなかったところにまで機械やITで可能になったということです。

これにより産業構造は激変することは間違いないことです。

ここまでで百数十年、ということはこのさき十数年でこの世界は変わっているということも意味します。その時、私たちは何のために生きるのかという問いと向き合うことになると私は思います。

私の取り組む暮らしフルネス™は、まさにこの第4次産業革命時代にこそ必要な生き方になると確信しています。

引き続き、未来を見据えて子どもたちにとって最善な生き方と在り方を深めていきたいと思います。

アライグマとラスカル

藁ぶきの古民家のアライグマを駆除することをしながら深めていると、すぐに世界名作劇場のアニメのラスカルのことが出てきます。このアニメの作者は、まさか日本で大量輸入されて害獣になっていくとは思いもしなかったと思いますがあの可愛いイメージとは裏腹に凶暴で現代では人間にとって大きな問題になっています。

そもそもこのラスカルは、ニッポニカ(日本大百科全書)によればこうあります。

「アメリカの作家スターリング・ノースSterling North(1906―74)が1963年に発表した自伝的小説。作者11歳のときのウィスコンシンを舞台に、彼とアライグマのラスカルの出会いから別れまでを月ごとのエピソードを連ねて語っている。最大の魅力は、光るものの好きなラスカルがダイヤの指輪を失敬し、それをさらにカラスが巣にもっていき、少年が取り返すといったラスカルにまつわるできごとだが、のんきで心優しい父親ほかの登場人物たちや小さな町もくっきりと描写されていて、物語の牧歌的雰囲気を高めている。作者はこの小説の舞台ウィスコンシン生まれ。新聞記者、新聞の文芸欄の編集者などを勤めながら約30冊に及ぶ著作を残した。」

このスターリング・ノースが少年時代に出会ったアライグマがモデルでできたアニメです。ただ漫画のことはあまりよく思っていなかったとも記述されています。日本の「あらいぐまラスカル」でここまでアニメで認識されているとも思ってもいなかったはずです。

このラスカル「rascal」とは。意味や和訳。[名]1 ((戯))いたずら者,わんぱく小僧;悪ガキ2 〔通例修飾語を伴って〕(…な)やつa merry rascal陽気なやつ3 ((やや古))人でなし,悪漢,悪党,ごろつきという意味です。

実際の話でも、大人になったアライグマに手を付けられなくなり、最後は湖畔、森に逃がしてしまいます。ペットブームで年間1500頭が輸入されそれが野生化してしまい、年間2万頭を超えるほどに捕獲されています。

もはやここまでくると駆除もできず、まさにラスカルという具合に農産物を荒らしまわっています。人間はこのように、先のことを考えず今さえよければいい、お金になればいいと欲に任せて動いていますがそれがあとになって本当に大変な目にあっていることがわかります。

自分たちの代ではそこまででなくても、子孫の代になって本当に大変な事態にまで発展してしまうことがほとんどなのです。だからこそ、海外から輸入するものは特に気を付けなければなりません。グローバリゼーションで、世界の隅々のものが近所のスーパーに陳列する時代。どんなウイルスや病原菌が混ざってしまっているのかもわかりません。

少し先の時代を予測して、今から私たちは暮らしを見つめ直す時機に来ていると実感します。子どもたちのためにも、未来に向けて選択と決断をしていきたいと思います。

自然との共生

野生生物と人間との共生の問題は、避けては通ることができない問題です。現代では、見なかったことにするかのようにその問題はどこか別のところ、もしくは田舎の一部で発生している問題のように扱われますが地球全体の問題であり、人類が滅ぶかどうかの岐路に立っている問題でもあります。

大袈裟に思われるかもしれませんが、現代は恐竜大絶滅時代に匹敵するほどにあらゆる生物が絶滅していっています。現代は人間の産業化の影響で一日に約100種類の生き物が絶滅しています。このままでは、生物多様性と循環が途切れ、人間を含む一部の種だけが画一的に存在する場所になっていきます。そうすると、滅ぶのは時間の問題でありまた復活するまでに数万年単位の時間がかかってしまいます。

この大量絶滅はいつからはじまっているのか。野生動物と人間の共生はいつからおかしくなってきたのか。その期間を歴史を遡って推察するとまだ60年くらいなものです。なんとこの60年の間に、人類は取り返しのつかないほどの自然を破壊し、そして絶滅危機を迎えているということです。

日本でも第2次世界大戦後の1960年代の燃料革命によってエネルギーの主体が化石燃料となり木炭需要が急減して森林の利用が止まりました。そうなると森林の手入れができませんから野生動物はますます増えていきました。さらに減反政策によって耕作放棄地が増え、山の野生動物たちは人間のいる場所に近づいてきました。そのため1950年から60年代の半ばまで3~4万頭だった捕獲数も、16年度には61万頭に達しています。

エネルギーが化石燃焼になってから地球温暖化はとどまることを知りません。今では南極や北極の氷も解けて、山や海にまで人間の自然汚染が続き、絶滅のスピードは加速しています。

そもそも化石燃料だけが問題ではなく、人間が自然との共生をやめたことが本当の原因だと私は思います。田んぼにも農薬をまき散らし、河川、海、その他を人工物で塗り固めて便利にしていったことでより自然破壊は進みました。それもこれも、乱獲、乱開発によってです。人間の利益を優先して競争してきたことのツケが、人間全体に及んできているということです。

産業革命が切っ掛けになり、人間の欲は資本主義とともに成長の一途をたどっています。もはや、何かしらの大災害が地球規模で発生しない限り止まることはないでしょう。しかし、生き方として本来の自然との共生を生きようとすることは子どもたちのために必要なことだと私は思います。

資本主義がもっとも破壊してきたのは、自然との共生、つまり暮らしです。この暮らしの破壊が、人間本来の自然の心も破壊していきます。暮らしフルネス™に取り組む理由は、この暮らしを甦生させていくことで本来のあるべきように原点回帰していこうとする実践でもあります。

子どもが、この豊かな地球でいつまでも仕合せに暮らしていけるように地道に実践を積み重ねていきたいと思います。

甦生業

藁ぶき古民家の甦生もまもなく最終段階に入ってきていて家の徳が引き出されてきています。ご近所の方や通りすがりの車が止まり声をかけてくださいます。その声は、一様に「だんだんと家が善くなってきていますね、楽しみです」というものです。

それは動画で配信しているサイトのコメントでもたくさんいただき、身内や仲間からも喜びの声をいただきます。その言葉に励まされ、信念を強くして真摯に家に向き合って修繕を続けています。

考えてみると、人はみんな何かが甦っていくことに希望を感じるように思います。

もう御終いだと思っていたものが復活して、それがさらに以前よりも元氣になって美しく生命を輝かせていく姿に偉大な何かの存在を感じるように思うのです。

それは病気からの恢復、あるいは壊れた機械の修理、よくお手入れされた道具、これらのものに触れると人は善かったねと喜んでくれるのです。徳を積むということは、この甦えらせていくことに似ているのです。

今まで荒れ地で捨て去っていたものを甦らせてそこで作物を育て農地を役立てること、経験豊富な高齢者や職人たちが後世の若い人に技術を伝承していくこと、他にも古井戸や古民家を甦生して新しい役目を与えて人々を潤してもらうこと、こういうこともまた徳になるのです。

徳は事業ではなく、お金儲けではありません。なので無理にお金のためにするものではなく、みんなが喜び、自分も喜ぶことを真摯に取り組んでいくことに似ています。自他一体に全体が幸福になるというのは、自然循環の摂理であり自然の徳の仕組みでもあります。

この徳循環を支えるもの、それが「甦生」なのです。

甦生業が私の取り組みですから、甦生したものが役に立てるように場を創造していくこともまた使命です。挑戦すれば喜びも多いですが苦しみもまた同時に発生します。それを味わいながら、今、できることに真摯に挑戦を本気のままに続けていきたいと思います。

 

運気を磨く

昨日、久しぶりに田坂広志先生の講演を拝聴する機会がありました。新著「運気を引き寄せりリーダーの7つの心得」のお話が中心でしたが共感するものが多く学ばせていただきました。

想えば20年以上前に東京で田坂塾でお会いしたのがはじめてでしたが、ほとんどお変わりなく一期一会に真摯に講義されるお姿に生き方を垣間見させていただき刺激もいただきました。

あの頃は、「メメント・モリ」という死を想うという生き様を実践する大切さを語られていました。今日が人生最期の日と定めて生きていくことの大切さ、当たり前ではない時間に気づいているかという問いを発して一期一会に生きることを伝えておられました。

そして今回は「運気」ということでしたが、運は決して宗教的技法の祈りではなく、科学的技法としての祈りであると定義しています。つまり単なる神秘的なものではなく、これは実証されているという事実であると。現代、量子論を含め科学がその神秘の世界を可視化してきています。その時、これは単なる偶然ではないということがわかってきているのです。

それをあらゆる角度から分析し、リーダーというものの真の役割について語れています。古今、リーダーはすべて「運がいい」ということが絶対条件だといいます。その理由は、リーダーを含めた組織全体を導いていく使命があるからです。運がよくないリーダーについていけばいくらその人が良い人でも組織は運を逃して悲惨なことになることもあります。

運のよさというのは、その人だけではなくその周囲も幸運に導いていきますのでリーダーはその運気というものへの心得を持つ必要があるということでしょう。

田坂先生のいう心得の詳細は、GROBISのサイトで拝見できます。

私もいつまでも実践と改善を積み重ねて、運気を高めて子どもたちを導いていけるよう徳を磨いていきたいと思います。

腸活を楽しむ~智慧食~

私たちの郷土料理の中の一つに「ぬか炊き」というものがあります。ぬか漬けの漬物を知っている人は多いと思いますが、そのぬかを使って料理して味付けをし煮込んだものがぬか炊きといいます。

そもそもこの「ぬか」は、玄米を精白する時に出る、胚芽(はいが)と種皮とが混ざった粉のことをいいます。それを壺や木桶などに入れて、塩水を加えて練れば「床」ができます。そのぬかの床ができるから「ぬか床」(ぬかみそ)とも呼びます。このぬか床は人間に有益な微生物や乳酸菌などの棲家になりそこでの発酵の循環で産み出されたものを摂取することで人間にとっても豊富なビタミンやミネラル、栄養価を得られます。

この微生物と人間との調和、そのものを「発酵」と呼び、私たちは伝統文化として暮らしの中に取り入れてきました。野菜等の保存食としても最適でもあるためこの智慧を伝承されてきたのです。今では冷蔵庫=保存するものになっていますが、自然界にはそんなものはなく微生物と共生することで私たちは生き残るための智慧を獲得してきたのです。この時の保存は単に傷まない腐らないための仕組みではなく、「永続的に健康でいられる仕組み」まで入っていたのです。

以前、確かこのブログでも書きましたがぬか漬けの歴史は奈良時代の「須須保利(すずほり)」という漬物がルーツだともいわれます。米糠のことも734年(天平6年)の正倉院文書の尾張国正税帳にあるといわれています。それだけぬかを使った暮らしには歴史があります。

その「ぬか」を使った「ぬか炊き」は一般的なぬか床のような漬物として使わずにぬか床を調味料にして青魚のサバやイワシをぬか床で長時間炊くのに使います。つまり「ぬか+炊く」から「ぬか炊き」ということなのです。このぬか床を長時間炊くことで保存期間が延びさらに青魚特有の臭みも消えぬか床のうま味が魚に入り絶妙な味わいが得られます。健康になる上に、寿命が伸びるという発明食です。福岡での伝統郷土料理としてのはじまりは小倉藩主の小笠原忠政公が前任の信濃国から保存食用としてぬか床を持ち込んだのがはじまりです。

今の時代、添加物をはじめいのちの入っていない便利なサプリや加工食品ばかりが広がっている中で腸内環境を整えるといった「腸活」が流行ってきていますが現代社会でも心身の健康恢復の救いになるのがこの「ぬか漬け」と「ぬか炊き」であることは間違いありません。日々の暮らしの中で如何に腸内フローラを活き活きさせていくか、それは暮らしの中の日々の食の智慧と工夫にこそあります。

つまり伝統保存食は単なる長期間腐らないものではないのです。本来の伝統保存食とは、健康な暮らしを維持継続させるための智慧食のことです。私たちは日々に心身が整っていけば、それだけで仕合せを感じます。日々の暮らしは、私たちの人生を美しく彩り、明るくしていきます。

「食」という字が、なぜ「人が良くなる」と書くのか。それは食によって人間が磨かれていくからです。そしてそれは「腸内環境」からというのはまさに的を得ていると感じます。

コロナウイルスのことで、暗く辛い報道も増えていますが、いつまでも子どもたちが安心して元氣で健康で幸せになれるように私も腸活を楽しんでいきたいと思います。

 

助け合いの精神

現在の世界の政治の運営の仕組みは、成熟して限界値を超えてきています。それぞれの国が国家財政がひっ迫するなか、今までの仕組みでは社会制度を保つことが難しくなっています。

人類はこれまでいろいろな方法をつかって社会を維持してきました。グローバリゼーションによって一斉に似たような社会を築きましたが、少子高齢化をはじめ今までになかったような問題に取り組むことになっています。

こういう時こそ、私たちは歴史に学び、智慧を磨いていく必要があります。

かつて米沢藩主上杉鷹山という名君がいました。この方は「民の父母」として慕われました。財政難に陥っていた米沢藩を倹約や民政事業による財政の立て直しを行いました。その具体的な藩主の根本方針を次の「三助」と表現して政治を執り行いました。

それは、「自助・互助・扶助」の3つです。これは自ら助けること、そして近隣社会が互いに助け合うこと、最後は藩政府が手を貸すこととしました。

「自助」実現のために米作以外の殖産興業を積極的に進め、「互助」の実践として農民には「五人組、十人組、一村」の単位で組合を作り互いに助け合わせました。また孤児、孤老、障がい者がいた場合は五人組、十人組の中で、養うようにしました。また一村が火事や水害など大きな災害にあった時には近隣の四か村が救援するようにしました。

それを超えるような災害、天明の大飢饉では藩政府の「扶助」が必要とし、藩士、領民の区別なく一日あたり男、米3合、女2合5勺の割合で支給して粥として食べさせ乗り越えました。その際は鷹山のいる上杉家も全員で領民と同様に三度の食事は粥としそれを見習って富裕な者たちも貧しい者を競って助けたと記録にあります。

これは実は、時代を超えても大切な三要素であることがわかります。そしてこの仕組みは、国家経営だけではなく会社経営、人類の社会存続の智慧であることもわかります。

つまり「助け合い」がしやすい環境を創造したということです。

常に有事に備えるとは、日々の助け合いの機会や場が整っている状態をつくるということです。現代は、個人主義でプライベート重視ですから助け合うよりもあまり深く関わらないように距離をとって生活しているものです。特になんでもお金を使えば、その助け合う要素が必要がなくなりますから何でもお金で解決しようとするものです。

そうやって社会全体が、助け合い難い環境が仕上がっていきました。すると次第に、財政がひっ迫していきます。その状態になったら余計に人々は助け合わず、さらに悪循環に陥り財政難はさらにスピードアップしていくものです。

日本の国家運営をみても、助け合う環境がますます減っていき膠着してきています。災害というものは、天災、人災がありますがいつこの先どのような災害に見舞われるかわかりません。現在は、コロナという人災の災害ですがこれが他に天災が加わってしまえば私たちは上杉鷹山が体験したような大変な状態が訪れるかもしれません。

あの当時ですら、気候変動から天保・天命の疫病と飢饉で100万人以上が亡くなっています。気候変動はこの先もずっと避けては通れない自然の摂理ですから私たちは常に災害に備える必要があります。世界でもっとも危険で、自然災害が多い国に生まれた以上、私たちは世界に対して災害を乗り越える智慧を発信して世界の人類の一つの希望にならなくてはなりません。

日本人として、これから何が必要なのか。それをどう示していくか、そこにこの上杉鷹山の言う「自助・互助・扶助」の助け合いの精神は要になっていくと私は思います。

これは日ごろからどのような暮らしをしていくかという生き方の問いでもあります。暮らしフルネス™の中に、この智慧を取り入れていきたいと思います。

渋い生き方

昨日、藁ぶきの古民家の壁に伝統的な渋墨の塗料を使い塗装していきました。松煙を使った黒い塗料ですが、塗った後の板の木目がまさに「渋い」感じてうっとりとしました。

この渋いという言葉は、室町時代の「渋し」が起源であるといわれ未熟な柿のような酸味、苦味の事を元来は意味していたといいます。

そこから「渋い」、現代でも「落ち着きがある」「趣がある」といった意味とし使用され、現代でも渋いことは格好良いものの一つとして使われています。

この渋さは、ただ見た目だけのカッコよさをいうのではないのは古民家甦生に手掛けてわかるようになりました。聴福庵では5年前に施した渋墨の板壁が今では本当に黒光りして磨き上げられた壁のように艶があります。

これは長年をかけて熟成されてさらに雰囲気があり格好よくなっています。渋いことに似た言葉に「いぶし銀」というものもあります。時間をかけて磨き上げられた美の魅力を表現する言葉です。

この「いぶし銀」は「銀」の持つ性質のことをいいます。一般的に金属の中には錆びていきますが「銀」の場合は、化学反応によって硫化し表面が硫黄銀で覆われていきます。すると黄味がかった色が黒へと時間をかけて色合い・風合いが出て魅力が上がっていきます。いぶし銀は、ピカピカするような輝きは失せまずがその分、「渋い」感じが出てくるのです。

この「いぶし銀」の持つ渋さや奥行きになぞらえて、「いぶし銀の活躍」などという言葉のように「魅力的な人」の代名詞になっています。

このいぶし銀の持つ、渋さは本物の実力を兼ね備えた人ということです。渋い人というのは、真の魅力を持っているということの意味でもあるのでしょう。私は、古民家甦生をするときによくこの渋い黒を用います。黒が好きということもありますが、私は正確にいうと熟成されていくのが好きなのです。なので発酵も大好きですし、時間をかけて醸成させていくのにもっとも興味があります。

9年物の高菜漬けを漬け続けるのもまた熟成されたものでしかでない芳醇な香りと品のある味を学ぶためでもあります。

「渋い」というのは、一つの生き方でもあります。

渋い生き方ができるように、伝統や日本人の美意識から学び、子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

暮らしと子ども第一義

保育にかかわっていると、子どもから学ぶことがたくさんあります。一般的には大人が子どもに教えるようなことを教育や保育と定義していますが私が一緒に取り組んでいる見守る保育は子どもから学び子どもの発達に沿って環境を用意していくという子どもの主体性を重んじています。

そうすると自然に子どもの発達からの気づきを私たちがどのように解釈をして理解していくかと繰り返していると子どもの持っている人間力のすごさ、また社会形成の知恵を実感するのです。そこから人類は生まれた時から、その環境に適応する仕組みを持っていることを直観しました。

例えば、幼児期の環境というものはその後の人生にとても大きな影響を与えるといいます。生まれてすぐの赤ちゃんは、脳のシナプスも最大でそこから心理学用語で「刈り込み」といって自分の人生に必要なものだけを残し、そうではないものを削り取っていくといいます。つまりは最初に完全体で生まれ、そこから能力を選別して個性を決めて伸ばしていくというのです。私たちは、それぞれで個性が異なりますがそれは幼児期の環境によって決まるといっても過言ではないのです。古語に「三つ子の魂百まで」といわれる中にはその意味も存在すると私は思います。

そこでどのような環境であったかに、「伝統文化」が重要になってきます。伝統文化とは、どのようにその民族がその風土で暮らしてきたかということです。これが環境というものです。

環境を通して子どもたちは学びます。そして子どもは大人と大人、大人と子ども、そして子ども同士の関わりによって人類の知恵ともいえる社会を学びます。社会はこの日々の環境、つまり暮らしを通して学んでいくということです。

人類の保育が伝統的な暮らしであると私が言うのは、人類が長い時間をかけて風土から得た智慧を譲り遺していくものを暮らしという伝承の仕組みにしているからです。幼少期の保育時期が非常に大切なのは、この「智慧の伝承」に深く関係しているからです。

文字がなかった時代、私たちは大切なことをどのように子孫たちへつないで伝承してきたか。それが暮らしであったのは、明白です。この暮らしは、智慧の宝庫でありその民族の人類の中での大いなる役割です。

子どもたちがそれを担っていくことで、人類は保育によって生き延びてきました。まさに人類がここまで生き残り維持できたのは、幼児期の保育が優れていたからということです。

私の取り組む暮らしフルネス™は、この風土の智慧を活かした伝統的な暮らしの仕組みで伝承していきます。子どもたちに先人たちの培ってきた様々な経験からの智慧が無駄にならないように信念をもって子ども第一義に取り組んでいきたいと思います。

尊重する世界

世界にはまだ100以上の外界と接触していない民族や部族があるといわれます。アマゾンの奥地であったり、山の高地であったり、あるいは孤島の中であったりします。そこには独自のユニークな文化や生活様式を発展させ、少数ながらもその風土に適した暮らしを実現しています。

グローバリゼーションの中で、世界はあらゆるところに行けるようになりあらゆる文化や生活様式を一変させてしまいました。工業製品などは、安くて便利なものがあらゆるところに行き渡りその土地の生活様式を変えてしまいます。

今までよりも便利なものが外から入ってくればそれが今まで風土に合った手間暇かかるものよりも価値があると欲を優先してしまうのでしょう。そうやって日本も江戸時代から明治にかけて西洋文化や工業製品などが膨大に流入してそれまでの文化を手放していきました。

特に若い人たちは携帯電話をはじめ、目新しい道具を使って力を手に入れることに敏感ですからあっという間に広がっていきます。そうやって世界はどこにいっても、同じような価値観の社会を広げてきたのです。

しかし同時に、外界と関係を断っていた民族は外からやってくる病気やウイルスに対する抵抗力もありません。なので、あっという間に蔓延して絶滅したところもたくさんあります。またその反対に、今まで関係を持たなかった地域の危険な風土病が世界に広がっていくということも発生します。

お互いを尊重してそっとしておくような関係が維持できれば、その場での平和は保たれるのでしょうが現代のグローバリゼーションはそこに資源を取りにいき、経済成長のために浸食していく仕組みですからそっとすることは不可能です。このまま最後は、世界のあらゆるところに隙間がないほどに入り込んでいきます。

そのうち、宇宙人というものを地球外に見つけそこに向かって移動していこうとするでしょう。そして現在の少数民族とのやり取りのように病気を持ち込み資源を奪い、また経済成長のためという大義をもって浸食していくということは簡単に予想ができます。

よく考えてみると多様性というものは、尊重されることで維持されるものです。尊重せずに浸食すれば多様性というものはありません。その尊重は、無理やり折り合いをつけるのではなくお互いの最適な距離感の中で見守りあっていくことであろうとも思います。これは自然界の仕組みそのものでもあります。

世界は、何で一つになるのか。それがいよいよ人類に問われている時代だと私は思います。

後悔しないように子どもたちの憧れるような生き方を譲り遺していきたいと思います。