暖簾の奥深さ

徳積堂のオープンに向けて着々と環境を仕上げています。昨日は、黒く染めた麻の暖簾を玄関先にかけました。むかしから「暖簾」は日本人には馴染みの深いものです。少し深めてみようと思います。

この「暖簾」は、日本独自で発展してきた文化の一つです。発祥が定かではないようですが平安時代の絵巻物にはすでに暖簾が出てきます。実際に「暖簾(のれん)」という言葉が使われるのは鎌倉時代末期だといいます。禅宗と共に中国からもたらされた禅林用語で、暖かい簾(すだれ)という意味だったそうです。具体的には、禅堂の入り口に夏場の暑い時にかける涼簾に対して、冬場の寒さを防ぐためのものが暖簾です。中国語では、ノンレンとも呼びますからそれが今の「のれん」になったのでしょう。

それが時代とともに親しまれるようになり、日本では中を割って人が通りやすいようにしたり、そこに絵や文字、文様や家紋などを入れてわかりやすいものにしたりと自分たちの文化に取り入れていきます。

ウィキペディアでさらにこの発祥の説を調べてみると

「日本の家屋では戸口にかけて日光や雨などを遮る障具の素材として最初は筵(むしろ)を用いていた。暖簾は古語で「たれむし」といい関連も指摘されている。暖簾が現存する資料に現れる最初のものは保延年間の『信貴山縁起絵巻』で現代の三垂れの半暖簾と同様のものが町屋の家に描かれている。保元年間の『年中行事絵巻』には大通りに面した長屋に三垂れの半暖簾・長暖簾がみられる。 また、治承年間の『粉河寺縁起絵』には民家の廊下口にかかる藍染の色布がみられる。」とあります。つまり最初は、筵(むしろ)だったという説もあります。暖簾の古語が「垂蒸(たれむし)」であり、「垂れ筵」であったともあります。

つまり最初は、玄関に光や風が入ってくるのを防いで寒暖を調整していた道具の一つとして発明されたものということかもしれません。ドアできっちりと開け閉めするものではなく、内外の境界を柔らかくしきったものとして重宝されたのかもしれません。

それが、次第に時代を重ねるうちに商店等の営業の目印とされるようになっていき、開店とともにこれを掲げ、閉店になると先ずは暖簾を仕舞うように使われました。これが転じて屋号のことを暖簾名や暖簾と呼ぶように変化してその商店の信用・格式をも表すようになったといいます。

よくむかしテレビや映画で、暖簾に傷をつけたとか、暖簾を台無しにしたとかのセリフがありましたがこれはそれまでの開け閉めして培ってきた信用や信頼を壊したときに使っていました。他にも暖簾分けといって、その信用や信頼を使わせてもらえることを暖簾で表現しました。暖簾は、単なる寒暖の道具を超えて生き方や生き様にまで昇華してきたということでしょう。

今では暖簾は、看板や宣伝、表札などのうにも用いられています。派手なものからシンプルなもの、カラフルなものもあります。こうやって時代を超えて親しまれ続けているものがあることが日本の伝統文化の醍醐味でもあります。

徳積堂では、黒色の麻の暖簾です。木綿などもありますが、麻はよく風を魅せてくれます。そしてよく暖簾の奥を覘かせてくれます。暖簾越しに観える美しい世界、その境界線の妙を感じてもらうための工夫もしています。

また風情があり、冬は冬の暖かさを演出し、夏場は夏の涼の演出もします。丈夫で長持ちもし、修繕もできます。風化して色が褪せていく様子もまた、独特なわびさびを表現してくれます。暖簾は便利な道具ではなく、まさに日本人の心の情景を豊かにあたたかくする存在なのです。

徳積堂の歴史を、暖簾とともに歩んでいきたいと思います。

藁ぶき古民家の土壁の解体と再生

昨日、藁ぶき古民家の甦生で土壁の解体をしましたが中から百数十年前の竹小舞が出てきました。この竹小舞とは、土壁の下地に使う細い竹のことをいいます。 土壁の下地のことを小舞といい、竹で格子状に編み込んで構成します。

この小舞の下地は法隆寺の建立の時代から存在し、竹が小舞として使われるのは鎌倉時代以降だといわれます。正確には、この壁の工法は「竹小舞下地壁」といいます。

この竹小舞に使う土を荒壁土といいます。これは良質の荒木田土に押し切りで切った藁を混ぜ練った物を寝かして発酵させたものを使います。ほとんどの藁は溶けていきますがこの発酵することによって強度も増えますし持ちもよくなります。そして出来上がった土にさらに藁を足して練り込んで塗り込んでいきます。

実はこの荒土壁は、何度も何度も再生することができます。例えば、500年の古民家であればいろいろな風雨によって傷んでもまた解体して混ぜて発酵させて塗り込めば元通りです。永遠に再生可能な材料によって家が保たれています。

またその土壁の中の竹だから腐らずに傷まずに朽ちずに使い続けることができます。先人の知恵は偉大で、現在では持続可能などと叫ばれていますがむかしはそもそも永遠であることが当たり前だったのです。

地球に住んでいるものたちは、常に循環するものを観続けてきました。ちゃんと廻ってくるものの邪魔をせずに自然の恩恵を享受されていました。現代は、消費文明ですから捨てるものばかりつくり、再生できないものばかりを流通させています。

本来のこの日本の土壁の再生から学ぶことが多いと私は思います。この土は、田んぼの土や河川などの粘土質で発酵するもの。藁も発酵を促していくものです。発酵する技術があることで、いつまでも腐敗やカビなどが発生せずに家が長持ちします。

漆喰もアルカリ性ですからカビが生えません。この辺も先人の知恵で、高温多湿の日本の風土では水が澱むことを厳禁にしていました。なので、風水を重んじ、古民家周辺の地域も風がよく通り、水がちゃんと流れるように設計して配置されていました。まさに澱まない仕組みと智慧で環境を構成していたのです。

今回、この荒壁の土をまた再生してひび割れや壊れた場所を補正していきます。そしてまたいつかこの古民家を再生するとき、子孫たちは私たちがどのように再生したのかを観て家が大事にされていることを知るように思います。

こうやって言葉だけではなく、先人の生き方で私たちは文化を伝承してきたように思います。子どもたちのためにも、今の自分たちが譲り遺していきたい未来を丁寧に紡いでいきたいと思います。

ブロックチェーンと徳

現在、ブロックチェーンをつかって新しい取り組みをはじめています。世の中ではビットコインなどの暗号化技術に使われていることで有名ですがシンプルにいえば改ざんできない台帳というイメージが近いように思います。

用意に改ざんできませんから、それだけ信用や信頼を提供するものということです。これからこの技術を用いて何が生まれるかは、社会の変化に合わせてアイデアをそれぞれが出していきますから確かにこれからの未来に大きな影響を与える技術であることは間違いありません。

特に新しい経済の在り方においては、でこの技術が使われる可能性を秘めています。現在は成熟期に入っていますから、この辺でまた原点回帰していく必要があります。歴史は何度も原点回帰をしながららせん状に発達していきますから経済も社会もこれからまた原点回帰がはじまるのです。

例えば、通貨の原点回帰とは何か。もともと通貨が必要になったのは物々交換の中でその時に交換できるものがない場合に、のちの信用の証として貝を交換したことが通貨のはじまりともいわれます。そこから貝貨という貝殻を用いた貨幣が誕生しました。 特にタカラガイは豊産、繁栄、再生、富などを象徴し、キイロダカラとハナビラダカラなどが使われました。

お祈りで私たちが手を合わせるのも、貝を合わせるところから来ているともいいます。日本でもハマグリなどが縁起物として使われますが、これも必ずぴったりと合いますから間違いない証として用いられました。

実は改ざんできないという意味は、このぴったりと合致するというところから嘘偽りのなく信用・信頼できますという証明の仕組みを顕しているのです。そこから、私たちは貝が紙幣に変わり今では通貨を用いて経済も社会も発展させていったのです。

しかし現代はどうなっているのか。

地球何個分が買えるほどの紙幣を発行し、今の世界は通貨であふれかえっています。これでもかと通貨を発行しては、嘘偽りの状態で事実と異なる状態で混乱を極めています。物々交換でいえば、交換できる資源がもうなくなっているのに貝殻だけはたくさん渡していつか交換すると先送りしているような状況なのです。

その貝殻がもしも証明できる価値がなくなってしまえば、物々交換はできませんからそこですべてゴミのように溢れかえります。現在の環境問題と同様に先送りして延命治療をするだけをしていてもいつかは必ず終焉を迎えます。そうならないように、私たちは原点回帰してもう一度、原初の初心に立ち返る必要があるのです。

私はそれをブロックチェーン技術を用い実現しようとしています。

具体的には、むかしの人たちの智慧の一つである「天の蔵に徳を積む」という考え方を用いるのです。これは私たちは等価交換という評価によって今の社会を動かしていますが、実際にこの世の中には等価交換できないものも同時に発生しています。

それが「陰徳」というものです。この陰徳は、私たちはお祈りをするのと同じで直接的には見返りがありません。しかし間接的に、また全体的にその祈りは別のかたちになって縁起を結んでいきます。つまり、そこで使われている対価は別の大きな場所へと転換されて移動していくのです。

むかしは蔵といえば、今でいう銀行です。銀行にはお金しかいきませんが、本来は天の銀行のようなものがありそこにお金では換算できないものが貯められているということを信じていました。

実は本来の信用・信頼の社会というものは、人徳というものが重要でした。信頼でき信用できる人だからこそ、その人に託したりその人の願いを適える絆を持ったのです。人は信用・信頼しあうことでここまで発展をしてきた民族です。その民族が、急速に欲望に負けてその徳を荒廃させていったのはこの通貨という道具を単なるモノとして扱っていったからです。もしくは使えなくなったものをゴミとして捨てるところが影響なのです。

私はブロックチェーンによって、徳循環の世の中を甦生させていこうと思い「BA」(ブロックチェーンアウェイクニング)を設立しました。先人の智慧と現代の最先端を用い、温故知新した原点貝貨としての役割を持つものをこれから発明していきます。

子どもたちの未来に、延命治療ではなく根源治癒が働くようにこの「場」から挑戦をしていきたいと思います。興味があり賛同する仲間をこの「BA」に集めていきたいと思います。

健康第一義

人は健康でなければ、何をやっても楽しくはありません。健康とは、身体だけに限らず、心や精神の健康もあります。つまり健康とは全体調和してバランスが取れている状態であり、すべてがととのい落ち着いて和合している状態のことです。

まるで穏やかな日和で心地よさを感じて仕合せを味わうように、すべてが調和して平和を感じて味わうとき私たちは健康のありがたさを感じます。調和が健康というのは、人間であれば必ず体験したことがあると思います。

常に今の状態をよく観察して変化に合わせて自分を調和しととのえていくこと。これは暮らしをととのえていく中で磨かれていくものです。もちろんサウナなどでととのうこともありますが、それは現代社会の過酷なスピード社会の中での一時的なととのいであり、本来は恒久的に暮らしを楽しみ、味わい、すべてが調和し続けるようであることが本当の意味でととのうことになるのでしょう。

そのためにはまずは、私たちは生老病死といった逃れなれないものと常に調和していく必要がありますから常に気を付ける必要があります。私も最近は、老いを実感することが多くなり、老いのことについて向き合うことも増えています。

江戸時代の俳人、国学者でもあり武士でもあった「横井也有(よこいやゆう)」という人物がいます。この人が記した、健康十訓はずっと健康で長生きするときの参考になったといいます。少し紹介すると、

『健康十訓』
一.少肉多菜(肉を控えて野菜を多く摂りましょう。)
二.少塩多酢(塩分を控えて酢を多く摂りましょう。)
三.少糖多果(砂糖を控えて果物を多く摂りましょう。)
四.少食多噛(満腹になるまで食べずよく噛んで食べましょう。)
五.少衣多浴(厚着を控えて日光浴し風呂に入りましょう。)
六.少車多走(車ばかり乗らず自分の脚で歩きましょう。)
七.少憂多眠(くよくよせずたくさん眠りましょう。)
八.少憤多笑(いらいら怒らず朗らかに笑いましょう。)
九.少言多行(文句ばかり言わずにまずは実行しましょう。)
十.少欲多施(自身の欲望を控え周りの人々に尽くしましょう。)

とあります。まさに、日々の暮らしをととのえるために何を気を付けて生きていけばいいのかを記しています。今でも、この真理は変わっていません。私たちの心と体と精神の健康は、常にこの日々の手入れにこそあります。お借りして滞在しているこの自分をどう丁寧に手入れしながら活用していくか、これはすべての人類の課題ですから学ぶことばかりです。きっと江戸時代の人も、わかってはいるけれどつい欲に任せて生活することで病気になり不健康になったのでしょう。

人間はつい調子にのってしまいますから、若い時はできても歳をとるとそうはいかなくなるものです。老いと向き合うことが増えると、当たり前ではなかった健康と向き合い感謝することが増えますから歳をとることもまた素晴らしいことだと感じます。

最後に、この横井也有のこの言葉で締めくくります。

「老は忘るべし。又老は忘るべからず。」

歳をとって老いていくことは気にせずに情熱と気力を充実させていく暮らしをしながらも、老いていくことは忘れずに丁寧な暮らしを通してととのえていくのですよと。

300年前の人の格言ですが、心に沁みます。子どもたちのためにも、暮らしの実践を伝承していきたいと思います。

心の原風景と枯山水

現在、徳積堂カフェの庭園の枯山水に取り掛かっていますがここは甦生中の藁ぶき古民家で使わなくなった石を運んで配置し造園しています。この枯山水とは、日本庭園や日本画の様式のことをいいます。

枯山水は水のない庭のことで池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式となっています。具体的には白砂や小石を敷いて水面に見立ててます。橋が架かっていればその下は水が流れているという具合です。石の表面の模様で水の流れを表現しています。

聴福庵の庭にも、枯山水を参考に白川砂利をいれて落ち着いた川の流れを表現しています。これは心の世界をととのえて静寂を楽しむための工夫にもなっています。

この枯山水のはじまりは日本に中国から禅宗が伝えられ、鎌倉時代に本格的に広まり、日本に最初の本格的枯山水が京都の禅寺・西芳寺に禅僧・夢窓疎石(むそう・そせき)によってつくられたことで有名です。

様式には、平庭式といって平らな庭に造られた枯山水。準平庭式といって平庭式に小高い山を加えた枯山水。また築山式といって斜面を生かして作られた枯山水。枯池式といった石を組んで池を表現した枯山水。枯流れ式といった小石や砂で水の流れを表現した枯山水。他にも特殊な枯山水があります。

今回、私が手掛ける分は築山式と彼流れ式、準平庭式などを組み合わせた特殊な枯山水になります。

そもそも枯山水は、ある心の情景を石で表現します。石は変化の中で形が変わっていかないところから古代の人たちは普遍的なものや永遠・永久の存在だとして崇めてきました。

その石が創り出し、織りなす姿は心の原風景をこの世に顕現させるものです。

苔との相性がいいのもまた、悠久の時を共にある存在だからかもしれません。私は徳積堂は、徳を実践する場として建立しましたがこの庭にはその徳を実感できるものにしようと思っています。

時代が変化しても、変わらないものがある。

その変わらないものの悠久の歴史や偉大な存在に徳のもつ畏敬を感じます。子どもたちにその意味を伝承していけるように丹精を込めて取り掛かっていきたいと思います。

 

平和の甦生

昨日、藁ぶき古民家の甦生で傾いていた家を直すために伝統的な道具をつかって直していきました。シロアリ被害が深刻で床下の土台の木もほとんど機能せず、ジャッキアップをしようとしても木を貫通するばかりで少しも傾きを直すことができませんでした。中心の柱も全体的に約5センチほど、前のめりに傾いていて床板も張れず、このままでは時間をかけて傾きが大きくなり家自体の寿命も短くなるし、家主や家族を守り続けることができません。

もう百何十年も前から建っていますが、地盤沈下もふくめどうしても家は傾いていきます。土台がしっかりしていればいいのですが、この藁ぶきの古民家はむかしのあまり裕福ではない百姓の家ですからつくりもそんなにしっかりしてなく、また昭和の素人大工の工事であちこち突貫工事をされていてその傷みも激しく、床をめくると大量の釘や無理に直した形跡が残っていました。また天井の藁も台風で飛んでしまってからトタンにしたようですが、その藁もほとんど失われていましたから家自体がこの数十年の間はあまり大事に扱われていなかったことがわかります。さらに十数年前から空き家になって鬱蒼として手入れをされなかった庭によって風通しも悪くなり高湿度にさらされ家の内部はさらに傷みが酷くなっていました。

見方を換えればこんな状態でよくぞここまで持ちこたえたというところでしょうか。それを伝統的な大工棟梁と大工さんたちで傾きを直して家を恢復していきますが、これは人間であれば大手術するようなものです。大手術に家が耐えられるかどうかもありますが、この藁ぶきの古民家であれば土台はほとんど腐り、梁もほとんどシロアリに食べられ、土壁で持っているようなものでもうボロボロの満身創痍の状態です。

この大手術をしてまず傾きを直し、そのあとに補強や補修、修繕をしてもう一度甦ってもらうように直します。こうやって愛情をかけて一緒に暮らしをしていくなかで、家も甦りますが同時に家主や家族も甦ります。

私たちは修繕や手入れをすることでお互いに愛着を持ちます。それは愛の循環であり、愛はこうやっていつまでもその「場」に「想い」をとして残りその後のご縁のある方々を仕合せにしていきます。私が取り組み古民家再生は、実はあまり古民家かどうかが重要ではありません。大事なのは、人の想いが遺っているものを大切にすること、この世は愛でお互いを満たしあうとき愛し合う平和が訪れること、またお互いが一緒に末永く喜び合える関係が徳を積むことになり最幸の人生が送れることを実現するために取り組んでいるのです。なので私は再生ではなく「甦生」という言葉を使います。つまり単なる再生ではなく、甦生こそが生まれ変わらせ続けて永遠や永久という日本人の持つ「常若」という生き方を伝承していくのです。

本当は、子どもたちをはじめ現代の人にこの家があることが当たり前ではないこと、先人たちの想いや智慧を大切にしようと真摯に取り組む人たちの想いや願い、そして家主をはじめ家族をいつまでも見守りたいという人たちの祈り。そういうものを、この家を大手術するときに見に来てほしいのです。なぜなら、家が必死にまた恢復して家主や家族を守りたいと生き返ろうとしながら軋み響く音を聴くと涙が出てきます。それにそれを祈りみんなで立て直してねと祈る姿に心が打たれます。そうして甦っていく過程のなかで、家が甦り、里が甦り、国が甦りそして人々が甦っていきます。

徳を積むというのは、まず恩徳に報いるという心があってはじまります。つまり、今までいただいている御恩にどう報いるか、そしてお借りしているこの肉体をはじめあらゆる恵みに対してどう感謝を実践していくか、この生き方があってはじめて人は人の仕合せを得ることができるからです。

今回、大工さんらの真摯な手当てと、関係者のご協力と皆様のいのりによって無事に5センチの傾きはほぼ立て直すことができました。ここにまた新しい物語や伝説が生まれ、この地域をはじめ日本、世界を甦生させていくことになるでしょう。

家はモノではない、いのちのある大切なものです。

子どもたちにこのように先人や地域、その恩恵や恩徳を大切にする後ろ姿を見せていくことでいつまでも見守られているということを後世に伝承していきたいと思います。

ありがとうございました。

 

普遍的な幸福論

貝原益軒の養生訓は、人がどう生きることが幸福であるかを平易な言葉でシンプルにまとめているものです。人間は、足るを知らずついないものねだりをしてはかえって健康の大切さを忘れるほどに日々を費やしていくものです。

しかし本当は、すべてはないものはなくあるものの中に存在していて幸福もその中に存在するという事実は普遍的な事実でもあります。養生訓にもそのことが記されています。

「ひとの身体は父母を本とし、天地を初めとしてなったものであって、天地・父母の恵みを受けて生まれ育った身体であるから、それは私自身のもののようであるが、しかし私のみによって存在するものではない。つまり、天地の賜物であり、父母の残して下さった身体であるから、慎んで大切にして天寿をたもつように心がけなければならない。これが天地・父母に仕える孝の本である。身体を失っては仕えようもないのである。」

この身体は、もともと何でできているのか。天地和合した存在がこの肉体、なので自分のものであって自分のものではないからこそ慎むことが真理であるといいます。だからこそ親孝行するようにこの身体を大切に使うことであるといいます。つまり両親や天地自然から預かったものだから最期まで大切に大事に使っていこうという気持ちこそがまず第一であるというのです。

そしてその慎みを実践するために、心の状態、精神の状態、肉体の状態において何が大切であるのかを説きます。特に大切なのは心の状態のことをいいます。どれだけ裕福になったとしても、心豊かでなければそれは真の意味で裕福であるのではないともいうのです。つまり心豊かではないことこそが、病気の根源であるとしたのではないかと私は思います。予防医学や未病として、この発想こそが私は重要であると思うし現代人にも必要な教訓があるように思うのです。きっとこのあたりが、特に江戸時代の人々に共感されたところではないかと思います。少しひも解いていきます。

真の裕福さにおいてはこういう言い方をしています。

「およそ人間には三つの楽しみがある。一つは道を行ない心得ちがいをせず、善を楽しむこと。二つは健康で気持よく楽しむこと。三つは長生きして長くひさしく楽しむことである。いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ真の楽しみは得られない。」

「ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆これ心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人もこの楽つねに得やすし。もしよくこの楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。」

まず3つの楽しみの裕福さを道を実践し、徳を積むのを楽しむ、そして健康を楽しむ、末永く楽しむと定義します、歳を重ねる喜びその仕合せを味わうのも貝原益軒の生き方であったといいます。そして具体的な「真の豊かな暮らし」がどのようなものであるのかを説きます。真の裕福とは、この日本的で伝統的な暮らしにこそあるといいます。これは私の提案する暮らしフルネス™とほとんど同じです。

そして日々の実践としては、「心を平静にし、気をなごやかにし、言葉を少なくして静をたもつことは、徳を養うとともに身体を養うことにもなる。」とまとめています。

人がどう生きるのが仕合せなのかということを示したものとしては、シンプルでそれは貝原益軒が85歳で亡くなるまでに得た教訓がこの養生訓だったように思います。私が特に印象に残ったのは、「徳を養うことが身体を養うことである」という一文です。

この徳を養うことの正体とは何か、これを貝原益軒のこの言葉で締めくくります。

「自ら楽しみ、人を楽しませてこそ人として生まれた甲斐がある。」

何が真に自らを楽しませるのかを知るものこそが真の豊かさを持つものであり、その真の豊かさを知るものこそが周囲の人を真に楽しませることができる。そしてそうやって道楽に生きる人たちこそが生き甲斐を持っているのであると。

暮らしフルネス™をいよいよ発信し、真実の暮らしを甦生させて普遍的な幸福論をこの場から発信していきたいと思います。

養生訓と暮らしフルネス

貝原益軒という人物がいまます。郷里の福岡県出身で幼少期には父の知行地である飯塚市で学問を学んでいてその石碑も残っています。この貝原益軒は、数々の著書を出していますがその有名なものに「養生訓」というものがあります。

この養生訓は、現代にも通じる智慧の宝庫であり私も最近になって知ったのですが暮らしフルネス™ととても共通するものがあります。歳を重ねるたびに心豊かになり、楽しみが増えていく生き方をすることを養生訓でも説いています。そして恩返しに生きることの大切さ、徳を積むことの価値についても言及しておられます。

江戸時代には日本のアリストテレス、東洋のアリストテレスといわれるほどに自然科学や哲学に精通しており、また実践家でした。農業全書の出版などにも支援され、実学を中心に人の生きる道を示された人生だったようにも思います。

特に注目すべきは、「心の養生」のところです。養生とは、暮らし方のことですがどのような心の暮らし方をするのかを貝原益軒は説きます。そこにはこう記されます。

“養生の術は、まず心法をよく慎んで守らなければ行われないものだ。心を静かにして落ちつけ、怒りをおさえて欲を少なくし、いつも楽しんで心配をしない。これが養生の術であって、心を守る道でもある。心法を守らなければ養生の術は行われないものだ。それゆえに、心を養い身体を養う工夫は別なことではなく、一つの術である”

意訳になりますが心を守る道、自分自身の心の状態をいかに暮らしで整わせていくか。その心整う暮らし方こそ大切な方法なのだといいます。それが体そのものを養生する暮らしになっているということ。心と体は暮らし方によって決まるといいます。

“心を平静にして徳を養う 心を平静にし、気をなごやかにし、言葉を少なくして静をたもつことは、徳を養うとともに身体を養うことにもなる。その方法は同じなのである。口数多くお喋べりであること、心が動揺し気が荒くなることは、徳をそこない、身体をそこなう。その害をなす点では同様なのである”

そして心の暮らし方においては、まずその心を穏やかにして徳を積むこと。この徳は、伝統的な暮らし方を通して徳を磨いていくこと、精進することだといいます。この徳を磨くことで、暮らしはさらに洗練され豊かになっていきます。

脳みそばかりを酷使するようなことを抑え、頭でっかちになっていくのは迷いであり気も荒くなり暮らしがととのわなくなると。なので、まず暮らしを整わせることに集中することだといいます。

私は養生訓が現代でも通じるのは、そこに人の暮らし方が記されているからです。どのような暮らしをしていくことは豊かであるのか、そして仕合せであるのか。その暮らし方について語っている本だから普遍的な価値を持っているのです。何が仕合せであるのかを善く見つめ、それは徳を磨くこと、恩に報いること、そのような暮らしを積み重ねていくことなど、暮らしが足るを知り満たされて喜びになるという答えを生きています。

暮らしフルネス™がこれから多くの人々の心の癒しになるように祈り、同郷の先達であった貝原益軒の想いも受け継いでいきたいと思います。

謙虚さと幸運

自然界というものは、人間の欲に敏感なように思います。人間が欲を持つことで、自然はそれに反応して対応してくるように思います。

私は自然農を実践していますが、自然に対して欲をもって接するときはその欲の種類に合わせて結果が変わってきます。例えば、自分の都合で収量を増やそうとすると虫や病気が来たり、便利にやろうとすると動物や天災などがやってきます。こんなことをいうと不思議に思われるかもしれませんが、自分の状態に合わせて自然もまた対応してくるのです。

この逆に、無の境地というか自然体で自然と一体となって作物を見守り育てるときは作物は健やかによく育ちます。虫や病気にも負けず、動物たちも悪さもせず天災も乗り越えていきます。

もちろん科学的みたら、肥料がよかったとか、菌類が豊富だったからとか、環境がよかったからではないかとかいくらでも理屈はつけることができます。しかし実際には、そんなことよりも欲が少なく足るを知るからこそよく育ったと感じているのです。

自然に対して自分がどのような状態でいるか、それはなかなか重要には思われません。しかし科学的には証明されなくても、むかしから謙虚であれば自然との共生関係ができ、傲慢になると災害が訪れるというのは先人の諺の中にもたくさん残っています。

津波や地震、その他の災害でもそれを乗り越えてきた人たちは一様に謙虚さがありました。そして謙虚だからこそ運をもっていました。この幸運は、常に謙虚さと一対であり、自分の欲を少し抑えてその分、全体快適になるように自分を努めれば運に恵まれていくのです。

自然農をはじめ、私が取り組む甦生はこの原理原則を重んじています。だからこそ、暮らしをととのえる必要があり、暮らしフルネス™を実践していく必要があるのです。

先人たちが身に着けてきた暮らしの中に、日本人の原風景があります。この日本の原風景が里山でもそして結というコミュニティの中でも顕現しています。

子どもたちに譲り遺したい未来を仲間たちとともに広げていきたいと思います。

真の智慧

人間に限らず、すべての生き物はその土地や風土の影響を受けています。それは単に肉体だけに影響を及ぼすだけではなく、精神を含めた全体に大きな影響を与えるのです。また石ころのような鉱物においても、場所を移動することでその影響を受けるように思います。

自然界の真理として、「適応する」ことが「変化そのもの」ですからこの世のすべては風土に合わせて適応するという仕組みが働くのです。逆説になりますが、風土が適応し続けているから私たちもその風土の影響を受けて変化するということなのです。

この世は、よく自然を観察すればわかりますが宇宙全体で変化しながら適応をし続けています。変化しない存在などは一つもなく、風土は常にその場所で変化し続けています。

私たちは移動する生き物ですから、人間は多くの場所に移動することによって多様性を発揮していきました。人類の生存戦略は、あらゆるところに移動してきたことです。そして移動しながらその場所に適応してきたことです。まもなく人類は宇宙にも旅に出ようとしています。その土地の風土によってまた適応し、肉体だけでなく精神もまた変化していきます。

おかしな話ですが、この地球に来る前に私たちは宇宙から飛来してきているのは間違いありません。なぜならそうやって永遠に適合していくようにあらゆる姿に変化して存在しているからです。宇宙はそうやってあらゆる姿に変わっては、適応し続けて変化を已みません。

その風土の中でどう適応してきたか、その適応してきたプロセスと結果こそが真の智慧であり、人類はそれを真の智慧であるということに気づく必要があると私は思います。その智慧が、この先の未来にとって必要なのは間違いありません。地域の伝承や口伝、またその暮らしの智慧を一つでも次世代につなぐことで私たちは適応を循環させていくことができます。

変化のもつエネルギー、変化のなせる業を子どもたちに伝承していきたいと思います。