世をととのえる

最近、「ととのう」という言葉が流行っています。これはサウナブームを切っ掛けにして、ドラマや漫画、数々の雑誌やブログでも使われてきたからです。この「ととのう」というものは、少し前に私のブログ「世がととのう」でも書きましたがもう一つ、大切な意味があると感じて書いてみようと思います。

私もむかしの石風呂を発展させ原点サウナを場の道場に創りましたが、そこではみんなととのう体験をして帰られます。これは単に一般的なサウナを体験したからととのうではなく、暮らし全体や場の全体の調和によってととのっていると私は感じています。

この「調和」というものは奥が深く、日本の伝統文化である「和」を感じるところが重要です。

現在は、和風などという言葉が増えて和ではないものばかりに触れる機会が多く和が分からなくなっているとも言えます。本物の和が分からない人が、そのまま和を感じても違いが判らないという具合に調和することがなくなってきています。

私は日本の文化を甦生させ、それを暮らしフルネスとしてあらゆるところに用いますから調和は私のお家芸でもあります。その調和こそ「ととのう」の本体であり、人がととのうのは「和」に触れるからです。

サウナであれば、霊水で禊をすること、火や石などの温霊熱を浴びることで呼び覚まされることなども調和を引き出す役割を果たします。しかしそれだけでは「ととのう」ではないのです。

医学的にととのうことをいう人もいますが、それは単にその体に起きた現状の一部を科学的に証明しているだけであって本来の調和のことではありません。心と体といのちの調和、そして自然や宇宙との調和、あらゆるものを「和」を軸にしてととのえるとき、そこに真の「魂の調和」がやってくるのです。

人が魂の調和を感じるとき、あらゆるものが自然に回帰します。そしてこれが原点回帰であり、この原点サウナの命名の由来なのです。

世をととのえるためにも、これからさらなる和を追求していきたいと思います。

私の道

故郷での様々な出来事を振り返ると、不思議な思いがするものです。生まれ故郷でもありますが、ここにはすべての原点があり、神話や歴史に裏打ちされた真実もあります。

私の故郷は、神武天皇や神功皇后、そして卑弥呼や台与などの歴史の舞台でもありました。遠賀川の流域には数々の遺跡が発掘され、そこには邪馬台国、大和国の時の記憶が一緒に宿っています。伝説や地名の数々もその事実を確実に裏付けるものとして存在し、話を聴けばきくほどに日本の原点をこの「場」に感じます。

私は、子どもたちのためにと自分の人生のほとんどをつぎ込んできました。それは単に我が子というだけではなく、物質的な子どもという意味のみならず、自己の内面にある子ども心や、人類が素直になって健やかに存在している時の純粋な子どもの魂のようなものを大切に見守りたいと願いここまで生きてきました。

その中で、私は心のふるさとというものに出会います。

そしてそれは正直で素直で誠実、真心で自分らしくあるときに顕れる心の風景のようなものです。この美しい生き方や暮らしを体験する機会を通して、この故郷が本物の心のふるさとに変化をはじめていきます。

自分らしく生きていく生き方が、暮らしを易え、働き方を改革していくのです。そしてその勇気と決断と行動によって人々の心が深く癒され、本来の心の原風景、魂の原点回帰につながっていくように思うのです。

おかしなことを言っているように思われるかもしれませんが、「場」を学び深めて本質にたどり着けばつくほどにその意味を感じない日はありません。

善い場を醸成するというのは、好い生き方を循環させていくということです。その人にしかできないことを好きなように生ききることです。バカや変人、狂人などと呼ばれようとも、心の中にしかない未来の理想郷を持って歩むのは誠実さや正直さゆえです。

美しい先人たちの生き方に恥じないように、先人たちや先祖の後押しや応援の風を戴きながら私は私の道を歩んでいきたいと思います。

美しい茶堂

徳積堂が次第に仕上がってきていますが、先日ようやく円窓が無事に設置できました。この円窓から観える優しい竹林と石や灯篭、そして風が吹き抜ける空の景色を室内から眺めることで心を落ち着かせていきます。

朝昼夜の時間帯で無数に景色が入れ替わり、この窓から観える世界がまるでどこか別の空間にいるかのように錯覚できるものです。この円窓とは、禅の考え方であり、私も龍安寺の円窓を参考にして今回は仕立てました。

そもそのこの円窓の由来は、円相(えんそう)といって禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたものからだといます。別名「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれています。

私は二宮尊徳の「一円観」というものを大切にしていますから、この「一円窓」はこの徳積堂においては何よりも重要な窓の一つです。また「己の心をうつす窓」という意味で用いられているともいいます。

すべてを一円の中で物事を観る、私はこの徳積堂の窓を禍福一円窓ともいい常に景色は善悪正否を取り払い、あるがままで円く観るということを意識しています。

また御堂や茶堂、利休の茶室の窓なども参考にしています。茶室では、様々な種類の窓があります。その窓は、どのように採光を取り入れるかで考案されたものばかりです。

私は、和の暮らしの中で常に陰翳を観てその陰翳に合わせて物を配置していきます。物の見え方、いのちの観え方は陰翳によって顕現しますからどのように光を取り入れるかはとても大切なのです。

千利休は、北向きだった茶室を、南向きに作り、室内に窓を開けたといいます。有名な待庵(たいあん)は、北向きの落ち着いた一定の光に対して、南向きにし、窓を開けることで、変化する光を取り入れたと考えられています。

茶室を設ける場所で、それぞれの光の取り入れ方が異なるため東西南北が重要ではないと私は思います。私は、朝陽を背景に湯気があがるのを眺められるように天井側に欄間ガラスを設えています。そして、入り口側は暗くしてにじり口から入るようにし、時間帯によっては障子戸にして採光を調整します。また円窓も、四枚の障子戸を組み合わせて時間帯では日陰を楽しめるようにしています。入り口から正面には、むかしの波ガラスの扉が六枚が入り、ゆらゆらと柔らかい光が夕方に向かって入ってきます。また池に映し出された夕陽の日差しが強いときは格戸でつくった特注の雨戸からの美しい縦の日陰と日差しが室内を優しい風と共に包みます。円窓の反対側のトイレの方には、手作りの薄ガラスの模様が格子が入った欅の障子戸を通して映し出されるようにしています。古い建具たちが光の乱反射を落ち着かせ、独特の佇まいになるように配置して設計しています。

いのちそのものを感じ、いのちを陰翳が映し出す美しさに心を和ませる場になっていけばいいなと願います。子どもたちが安心して、自分の存在やいのちを喜べるように美しい茶堂を立てたいと思います。

心の原風景

故郷には、原風景というものがあります。これは、何をもって原風景というか、その辺はとても曖昧ですがお互いの中にある懐かしい暮らしの一端であることは認識できるものです。

例えば、むかしからある故郷の山の秋の山笑う色彩を眺めては山登りを一緒にしたことや、その山で遊んだこと、空気や風や水や光などを思い出します。私たちはその時、懐かしいものに触れ故郷の原風景を味わうものです。

この原風景とは、むかしからあるものであり共にそこでの暮らしを伝承されてきた伝統や思い出などを指しているように思います。もっと深く掘り下げると、それは心の風景でもあり、心の原体験、心の景色というものでもあります。

愛された記憶や、見守られた記憶、そして仕合せを味わった記憶、そういうものが頭の中ではなく心の深いところで生き続けています。先祖代々、何千年も何億年も前からその記憶は存在していて、その懐かしい記憶が原風景としていつまでも心に焼き付いているのです。

その心に焼き付いた記憶に触れると、心は瞬時にその時のイメージを懐かしみ心を仕合せで満たします。私たちはその心の養分を吸っていのちをイキイキさせてこの世での気力を充実させていくのです。

これは人間だけではありません。

犬にも犬の記憶があり、野山を仲間と共に駆け巡る記憶、人間と深く信頼し合っている記憶、美味しいものを食べ活力を得る記憶、安心して眠る記憶、他にもたくさんありますがその懐かしい原風景に触れることで仕合せを感じます。

私たちにとって決して失われてはならない、いや失いたくないものこそこの心の原風景であるのです。私の取り組んでいる活動は、この心の原風景を甦生させていくことです。

人類は発展していく過程で、何を失ってはならないかということを思い出す間もなく自転車操業的に目標に向かってまっしぐらに進みます。立ち止まる時間もないくらいに、お金や経済の大波に背中を押され続けてスピードは増すばかりでブレーキを踏んでも止まれません。

今回、コロナの御蔭でゆっくりと進むような機会を得て改めて何が大切か、何を失ってはならないかを思い出す機会を得ました。私はこの時こそ、心の原風景を取り戻し、みんなでその心の原風景を故郷に具現化する絶好の機会ではないかと思うのです。

子どもたちはこの心の原風景を糧にしてその後の人生を安心して歩んでいけます。子どもたちがこれ以上、心を傷つけることがないように私たちはまだできることがあるのです。

引き続き、故郷に原風景を甦生させながら日本をはじめ世界にその美しい仕合せの記憶を引き継いでいきたいと思います。

新境地への挑戦

昨日は、神田明神に会社のみんなで参拝してご祈祷していただきました。今までは新宿の熊野神社でしたが、神社の特徴や雰囲気も異なり、新しい場所の文化を感じました。

神田神保町は、古書店をはじめお洒落なカフェ、レストランなどもたくさんあります。新しいものもあれば、とても古い物もある、それがとても調和して魅力的な場所です。

参拝の後、神田明神の前で商いを営んでいる三河屋さんで甘酒をいただきました。麹の柔らかい甘さと、清々しい味わい、身体が芯から温まりました。現代では、飲む点滴と呼ばれていますが、過去も今も薬として私たちの身体にピッタリの自然食品なのは間違いありません。

少しだけこのお店をご紹介すると、ここは徳川幕府について御用商人として、三河(今の愛知県)より江戸に来て、1616(元和2)年に創業で400年以上の歴史があります。米糀と麹の2種類の麹づくりを続けています。その糀を使った味噌や甘酒、納豆が店頭に出ていました。将軍家、宮内庁御用達だったそうです。

ライトワークまでの帰りには、湯島聖堂にもみんなで立ち寄っていきました。ここに昌平坂学問所があり、佐藤一斎をはじめ安積良斎などの学長がいて門下に吉田松陰や横井小楠、高杉晋作など志士たちが学んでいたことに思いを馳せるとなんとも言えない感慨深さがありました。

そしてそのままお茶の水の楽器街を通り抜け、神田神保町まで戻ってきましたが街並みの中のかつての佇まいをあちこちに感じました。

この場所に古書店が多いこと、カフェが多いこと、カレー店も400以上あるとありましたが若い人も多く、この「場」には学問を味わえるような空気感を感じました。

新天地でのカグヤの進化に相応しい場所で、仕合せな気持ちになりました。これからどのようなご縁があり、新たな出会いや別れがあり、繋がりや絆が産まれと、思いを馳せるとワクワクします。新天地への挑戦は、新境地への挑戦でもあります。

子どもたちから学び直し、歴史からも学び直し、原点回帰して未来を切り拓いていきたいと思います。

新天地

新しい分散型の働き方をはじめ、新宿の本社も移転しオフィスをやめて神田神保町にライトハウスというカタチで改めてスタートしました。これはライトワークハウスの略でもあり、見守るための灯台という意味でもあります。

以前のところは、大きなビルでたくさんの会社や人たちが働いていて総合空調で強固なつくりをしていましたが今のところは窓が自由に開けられる屋上にありテラスもあり、風通しの善い中で過ごせます。

環境が変わることで意識も変わるといいますが、変化の真っただ中に変化を楽しめることは変化を味わうのにも効果があるように思います。

時は無常で、変化しないことはありませんから今まで変化してなかった分がコロナによって急速に動いてきます。元に戻ることもなく、元通りになることもありません。確実に時は前に進み、新しい時代に合わせて変化がはじまっています。

大切なのは、本来どうありたかったか、本来どうしたかったかという本心や本音がそれぞれに試されていきます。こういう試練は実はとても貴重な機会であり、人生の大切な節目になります。自分の生き方や生き様と正対し、本来の目指す未来や目的に合わせて働き方も暮らし方も換えていくこと。

まさに千載一遇のチャンスと捉えて、明るく前向きに変化を味わう勇気が欲しいところですがなかなかそうはいかないのもまた人生です。わからないものに不安を抱くのは普通ですから、それを持ちながらも思い切って前進することで未来は開けます。人は、天にお任せして歩むとき我を省いていくことができるように思います。

仲間がいたりみんなが一緒に乗り越えていこうとする時こそ、勇気を分け合うものです。自分の前進や行動が他の誰かの勇気になるということは、仕合せなことでそうやってみんな勇気を分け合って生きているようにも思います。

新天地という言葉があります。

これは「新しい場所」を意味するだけでなく、「新しい活躍を期待される場所」という意味でもあります。引っ越しなどで新しい土地に移住するとき、引っ越し先の土地を「新天地」いいます。これは単に土地や場所を換えるだけではなく、仕事を変えることを意味します。

人生で新しく活躍する場所が発生したということ、それが新天地です。

私は本来の引っ越しや移転は、この「新天地」で働くことを意味するように思います。人生の節目で、新天地に移動するというのは別の新しい活躍を期待されたということです。そうならないのなら、新天地ではないとも言えます。

ステージが上がり、今までではなく何が新しく活躍を求められて期待されているか。それをよく確かめ、そのステージで活躍するための場づくりや自分の布置を高めていくことが変化を味わうことにもなります。

53歳で現役の三浦知良選手が新天地についてこう語ります。

「新天地での挑戦はいつだって、誰だって難しい。でも、人生は、いつの瞬間だって挑戦なんだ。」

さらに真剣にやるからこそ面白いとも言います。自分が本気になるもの、真剣になるもの、情熱をすべて注ぎ込めるものに出会うことは仕合せなことです。新天地を与えられるというのは、天から新たな役割や使命をいただいているということでもあります。

そこに合わせて挑戦をすることや真剣に生きることが、新天地で働くというステージに入っているということでしょう。誰にも平等に時が訪れるからこそ、真剣に生きるということを大切に子どもたちの憧れる生き方と働き方をしていきたいと思います。

智慧の伝承

私たちは自然の生態系から生き方を学んできた民族であったといいます。それは神道にも修験道、山岳信仰などにもみられるように何を師としてきたか、何を原点としてきたかはその経典や歴史の先達の方々の生き方からも感じるものがあります。

そして不思議ですが、過去に先人が体験した智慧を私たちは自然の中から感じ取ることができます。それは山に登ることであったり、海に入ることであったり、畑を耕すことであったり、それはただ体験しているだけではなく、先人の記憶に同化してその記憶から智慧を感じ取っているのです。

私たちが感じる智慧は、知識で得られるものではありません。つまり経験や体験といった「験」を得てはじめて感受できるものです。生きる智慧や、自然の法則は今はじめて得ているのではなく長い歴史の中で培ってきた遺産なのです。

これは人類に限らずすべてのいのちはその智慧と共に生き続けているとも言えます。

現代においては、自然から離れた生活をするあまり、智慧が分からず智慧に出会わず、智慧を使えずに迷い惑う日々を歩んでいくことが増えています。少し前の時代も、智慧をもった人物が山で悟り里で導くということで智慧を伝承していました。

智慧の伝承は、何よりも私達だけなく子どもたちのこれからの未来においてもとても大切なことです。

まずは自分自身がその智慧を会得するために修行し、その修行したものを一緒に体験しながら学び合える「場」が必要でそこに「道」を歩んでいくための導入が要ります。

それは旧街道を歩んだり、山岳修行に同行したり、暮らしの中で気づくといった験によるものが何よりも効果があるように思います。

子どもたちに伝承していきたい智慧を集めていきたいと思います。

場道家

先日、來庵された方々から時空の話や五次元の話をお聞きしました。ここにはそれがあるらしく、暮らしを共にしていく中で時間間隔がズレてしまうということでした。何人かからは竜宮城ではないかともいわれ、笑われましたが何か時の流れが変わる感覚を持ったのでしょう。

私はこれを表現するときに、「時の沈み」と呼びます。時間をかけてじっくりと醸成するものが集まり、そしてそられが共鳴共振するとき、そこに「場」ができます。その「場」に佇むと、太古から流れている通常の時間ではない普遍的な「道」を感じるのです。

そしてその組み合わせを「場道」と呼びます。

私が「場道家」を名乗るのは、この時空や波動のようなものを大切に暮らしを紡いでいるからかもしれません。

人間には、様々な感覚があります。1次元、2次元、3次元、そして4次元、その上が5次元です。一般的に生きている物質世界での状態が3次元ですから私たちは通常は3次元にいます。そこに霊的なものやスピリチュアルといった目に見えないものを感覚的に察知するとき4次元となります。その上というのは、パラレルワールド(parallel world)と呼ばれ多次元空間の世界に入るそうです。

このパラレルワールド(parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空といわれます。

今、流れている世界とまったく別の空間が存在するということ。つまり、私たちの目に見えない世界が同時にこの今に別空間に存在させるということ。シンプルに言うと、心の世界が物質の世界に突如として顕現して具現化されるということかもしれません。

これは日本人には得意なはずで、私たちは「和」を通して場や間を暮らしを通して創造してきた民族です。私がやっているのが特別なのではなく、誰でもできることです。しかしこの時代、この5次元が、何よりも価値を持つようになるでしょう。

その理由は、5Gをはじめ私たちは人類の科学が量子力学の発展やAIやブロックチェーンによる仮想空間に科学と共に進化していきます。その時、同時にこの並行世界や平行宇宙、並行時空は必要になるのです。

目に見えない世界を生きるということは、もともと存在していた場所を知るということです。

宗教っぽいといわれるかもしれませんが、現実として感じられる世界はもう間もなく科学も近づいています。笑い話ではなくすぐそこに話なのです。場道を通して、一人でも多くの人たちが魂のふるさとに気づき、目覚め、本来の真の豊かさに気づいてほしいと願います。

子どもたちが仕合せの世界に生き続けて、根からの養分を吸い上げ永遠の豊かさを享受できるように私の役目を果たしていきたいと思います。

生き方を磨く

100年後という時間軸があります。今の私たちが死んだあと、孫やその先の世代が暮らしている世の中のことです。よく考えてみると、当たり前ですが今の私たちがあるのは祖父母よりも先の人たちが子孫のことを考えて暮らしを整えてきてくださったお陰です。

その頃の人たちはどのような暮らしをしてきたのか。

私は、たまたま日本民家の甦生や文化に関わることが多かったためにその頃の人たちの暮らしを身近に感じることができました。御蔭で、本当に子孫の健やかな未来を祈り、その人たちが仕合せに生きられるようにと自然と循環し、心も体にとっても最善である仕組みを伝承し続けてきてくれました。

その御蔭で、大きくは道に外れず暮らしは営まれ続けてきたように思います。

現代は、あまり遠い先の未来ことなどに時間を割くことはせず目の前の目先のことばかりで多忙を極めている人ばかりです。経済のことばかりを優先し、経済に関係ないことはほとんとが後回しです。すべて経済によって動かす世の中にしてしまっていますから、福祉であっても、宗教であっても、なんでもかんでも今は経済ありきのことが前提の世の中になっています。

私自身も経済活動をしていますからそれが悪いとは思いませんが、もう少しバランスを保った方がいいのではないかと感じます。そのバランスとは、先ほどの時間軸、つまり長期的な取り組みをもっとみんなで協力していくことです。

それが先人の智慧を活かした文化の伝承であったり、生き方や働き方、暮らし方を学び直していくことであったりという協力の事です。

私はそれを「暮らしフルネス」といって現代でも同様の体験ができるように仕組みを甦生させました。この暮らしフルネスに取り組むことで、時間軸を見直し、長期的な視野で日々の暮らしを充実させながら現代での役割や使命を全うする経済と道徳が一致する活動を行っていくことができます。

毎日は、ものすごい速さで過ぎ去っていきます。同時に、常に静かに穏やかに流れています。その毎日の使い方、生き方、暮らし方こそが人生を決めています。

子どもたちが憧れるような暮らしを通して、生き方を磨いていきたいと思います。

いのちの技術

現在、徳積堂の建築は新築ですが古材をつかって建てています。つまり、古いものだけで建てる新築といった感じでしょうか。最初は、大工さんなどが驚いていましたが仕上がってくるとその意味が伝わっていきます。

そもそも木といっても、同じ木もなく、そしうて私たちは木のいのちがあることを直観的に知っています。

例えば、山に行けば巨木や古木をみるとそこに偉大な生命力を感じます。また実生の小さな新芽にも、これから生きようとするいのちを感じます。木はモノではなく、いきものです。そして私たち人間からみるとおかしなことに感じるかもしれませんが、木は切っても死んだわけではありません。いのちはそのまま木に宿り、消滅するまで生き続けます。

私たちは動いているものが生きていて、静止しているものが死んでいると思ってしまいます。特に、死んだら身体が朽ちていきますから死んでいると思っています。しかしミイラなども同じく、実はそこにいのちが宿っているままでいることがあるのです。即身成仏などはその例で、動かなくなったとしてもいつまでもそこにいのちは宿り続けていきます。

それは木に限らず、石や鉄なども同様です。石は石仏や石像などにいのちは宿り、そして鉄は日本刀に触れたことがある人はいのちがあるのを自覚していると思います。

これらは、いのちが宿り続けるように壊れないように丁寧につくりあげた職人さんたちの技術があります。料理でも同じく、素材のいのちが壊れないようにとつくる料理はいのちが宿っています。

私はむかしのやり方ばかりを究めていきますから、そのすべてに一つだけ共通することがあることを発見しました。これが「いのちを活かす」ことです。いのちを活かすこと、いのちを大切に扱うこと、みんなその一点を向いて技術を磨いてきたのです。

今は、なんでも機械で便利に簡単に使っていきますがそのやり方ではいのちは壊れてしまいます。いのちが壊れないように、いのちのままで生き続けられるようにと私たちの先祖たちは丁寧な暮らしを通してその生き方を磨いてきたのです。

子どもたちがいのちのままに仕合せであるように、改めて今の当たり前のところを観直していく必要を感じています。これからも私の暮らしフルネスを通して世の中にいのちの技術を伝承していきたいと思います。