道の奥義

宮本武蔵に『五輪書』(ごりんのしょ)という兵法書があります。これは宮本武蔵の代表的な著作であり、剣術の奥義をまとめたといわれています。

寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞で執筆されたといいます。この書には、生き方の真髄とむかしの稽古の本質が記されているように思います。単なる剣術の奥義ではなく、まさに日本人的な生き方の伝統を純粋に生ききったことで得た境地を書いたもののように思えます。

「兵法の利にまかせて、諸芸、諸能の道となせば、万事に於て、我に師匠なし。今この書を作るといへども、仏法、儒道の古語をもからず、軍記、軍法の古きことも用ゐず、この一流の見立、実の心をあらはすこと、天道と観世音とを鏡として、十月十日の夜、寅の一点に、筆を把りて書き初めるものなり。」

はじめに自らの経験のみを師とするというのは、古今世界共通の真理です。そして最後にはこう締めくくります。

「我が流において、太刀に奥口なし、構えにきわまりなし、`ただ心を以てその徳を弁えること、これ兵法の肝心である」

自らの心こそ矩とする、そして実の心、経験から得た内省こそを師にしてその道に向かい歩んでいくこと。素直な道ともいうその生き方は、今でも変わらず私たちの心に深く響いていきます。

先達の人たちの生き様を見倣いそれを今の自分の生き方の鏡にする。まさに稽古照今は、道の奥義です。

乱稽古の高揚感や楽しさはハレの日の面白さですが、平常のケに帰し、いつものように淡滔滔と暮らしフルネスの実践を磨いていこうと思います。

ありがとうございました。

心の準備

何事も、ご縁を迎えるためには準備というものが必要です。一つ一つのご縁が結ばれていくなかで、それを点で捉える人、線で捉える人、面で捉える人、そして丸で捉える人が居います。

それは全体を俯瞰する力であったり、物事の意味を深め続ける力であったり、さらには他力を感じる力であったりと、その人の生き方、人生への正対の仕方によって異なるものです。

人は、自分のことしかわかりませんから自分が何かをしていたらみんな同じではないかとも錯覚するものです。たとえば、「ご縁を大切にする」ということば一つであっても、一人一人その質量は異なりますし、定義も異なります。

すべてが深く関わっている存在の中で、ある人はご先祖様からのご縁を感じて懐かしい存在として関わる人、またある人は未来の先に訪れるであろう子孫たちの邂逅を感じて親切をする人、またある人は、今、此処に一期一会を感じていのちのすべてを傾ける人、それによってご縁は無限に変化していきます。

ただ、すべてにおいて大切なのは「心の準備」をするということです。言い換えればそれは「覚悟する」ということでしょう。この覚悟という言葉は「心の準備」をする人が持つ境地であるのは明らかです。

人間は、ご縁が導いているとわかってはいても心に迷いがあればご縁を感じる力衰えていくものです。つまり、心の迷いは心の準備の過不足によって発生しているとも言えます。

その心の準備には、日ごろの準備もいりますが、準備するためにどれだけの徳を積み重ねてきたかというそれまでの生き様も関与していきます。心を整えていくためにも、その準備に丁寧に、そして本気に誠実に取り組む必要があります。その場しのぎの連続では心の迷いは増えていくだけで、心が安着することがありません。

日本古来からのおもてなしの心というのは、この心の準備を実践するということでしょう。

日々にたくさんの方々と新しいご縁が結ばれていきますが、心の準備を味わい充実した日々を前進しています。このご縁をどう転じていくのかは、覚悟次第です。引き続き、子どもたちの未来のためにも今できることから丹誠を籠めて真摯に取り組んでいきたいと思います。

後の雛 菊の節句

聴福庵では重陽の節句の室礼をしていて、菊の花やお雛様たちが絢爛優美に夏の終わりの節目を美しく彩っています。

そもそも重陽の節句というのは、五節句の一つです。五節句という言葉は知らなくても七夕や雛祭りなどは有名で一度は聞いたことがあると思いますがこの行事は明治頃まではほとんどの家々では暮らしの風景として当たり前に存在していたものです。これも明治以降の西洋文明を追いかけたときに忘れられたものの一つです。

この五節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことを指します。暦の中で奇数の重なる日を取り出して奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための避邪の行事が行われたことから季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まったといいます。難を転じるという意味もあり、ちょうど季節の変わり目の様々な健康に対する災難を福にする仕組みだったように思います。その後、中国の暦法と日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになりこれを「節句」といわれるようになったといいます。

日本でいう五節句は順に並べると、※1月7日の「人日の節句(七草の節句)」。これは七草粥を食し、その年の健康を願います。そして※3月3日の「上巳の節句(桃の節句」)これは雛人形を飾り、ちらし寿しやはまぐりのお吸い物を食ベて、女の子の健やかな成長を願います。※5月5日の「端午の節句(菖蒲の節句)」これは五月人形やこいのぼりを飾り、男の子の健やかな成長と立身出世を願います。※7月7日は「七夕の節句(笹の節句)」短冊に願いを書き笹に吊るし夢成就を願います。最後の※9月9日は「重陽の節句(菊の節句)」これは菊の薬効により健康を願います。

この重陽の節句が菊の節句ともいわれ、「後(のち)の雛」としてお雛様を飾るという理由を説明するとまず菊の花は古来より薬草としても用いられ、延寿の力があると信じられました。菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあるほどです。他の花に比べて花期も長く、日本の国花としても親しまれています。また仙人たちが住むところに咲くと信じられ、長寿に縁起のよいものとしても愛でられてきたのです。「後の雛」の理由は、年中行事は繰り返し行われますが、一年にはじめの行事と終わりの行事があり後にある行事を「後の」といい、3月3日に雛祭りをしていますからこの9月9日のことを後の雛というのです。

また桃の節句は子どもたちの行事というイメージですが重陽の節句は大人たちの行事というイメージもあるため「大人の雛祭り」とも言われたりしています。菊は花弁が折り重なっているイメージもあります。人生を妙味を重ねていきながらも長く咲く姿に、私たちの先祖たちは生き方を菊に倣ったのかもしれません、そして先人たちは自然の生き物や風景をよく観察し、美意識を磨いて自らの徳を高めていきました。つまり先人たちは「自然の美しさの中に生き方を学んだ」のでしょう。

また心の風情というものは、常に日本の四季折々の暮らしの中にあります。

最近は目まぐるしく経済活動ばかりで忙しくしている人ばかりですが、本来のいのちのリズムや時間、そして行事の風景を味わうことが本来の人間の仕合せではないでしょうか。

コロナで立ち止まる機会を得たからこそ、本来の人間らしい暮らしを見直して地球やいのちと共生して心豊かに生きる時間の大切さを伝承していきたいと思います。

調和力

昨日は、聴福庵の庭のお手入れをしましたが今朝からとても庭が清々しく感じます。特に先週は、出張で不在にしていましたので夏の日照りが強すぎたようで紅葉も葉焼けし、無双庭園の方もカラカラになっていました。

植物や木々たちは、自然環境の中に過ごしていますが庭というのは人工的に私たちが植栽をしていますから手入れとお世話が必要です。

これは野生動物か飼育する動物か、もしくは半野生半飼育かという具合に自然とのかかわり方によって異なるものです。

例えば、社内や自宅内の観葉植物は飼育するのだから人が無視して何もしなくなれば枯れてしまいます。風通しや水やり、光の調整が欠かせず一緒に生活する中で気を配りながら育てます。その分、安らぎや癒し、また感情を整えてくれたりして無機質な場所をいつも優しく包んでくれます。

他にはベランダや中庭などは、半分自然に接していますから半分は常に見守りながら手をかける必要があります。もう半分は自然の調和の中にいますから自然に任せていたら雨が降り、風が吹き、光も星も調和の中で育ちます。しかし、本来、その植栽や生きものたちは中庭やベランダが生息地ではなかったのだからその分、こちらが気配りをして環境を調整していく必要が出てきます。それによって美しい情景や、イキイキとした生命エネルギーを発してくれることでこちらも元氣になったり、また心落ち着けて四季の情景を感じることができたりします。

完全の野生となると、山野や海、川や森のようにこちらから自然のところに移動すれば関わることはできます。野生が強いので、こちらが強くないとなかなかその環境に馴染むのも難しくゆっくりと休むということは難しいように思います。

私は自然農を野生の溢れる場所で行っていますが、庭の畑と違ってそこで発生してくる虫や植物も野性味あふれていて太刀打ちできません。そこで手入れをするには、ほぼ野生の中で野生に近いままで育てるといった双方のエネルギーの衝突と調和があります。

こうやって人工的にかかわるところと、自然にかかわるところ、そして野生的にかかわるところなど場所場所でその接し方も気配り方も手入れの仕方も変わります。私たちは地球に住んでいますが、住む場所を換えるたびにその微妙な匙加減で関わり方もまた換えていくのです。

自然とうまく調和していく力、自然を調整する力、自然と調律する力、私たちはこれらを内に備わって生まれてきます。

本来の人類の力を発揮することで私たちがそのかかわり方から自然の存在を謙虚に学び、これからの人類の行く末を考えていけます。子どもたちがこの先、何百年、何千年と生き続けられるように今必要な智慧を伝承していきたいと思います。

徳循環経済

現在、世界は負の循環ともいえる状態をつくりそれを子どもたちが受け継ぐことになります。例えば、資本主義というものも株主のためには何でもするというように倫理や公器といった企業の本来あるべきこともまた競争原理と一部の権力者の富の集中によって私的に流用されています。

自然全体、地球の事よりもまず先に経済活動だけを只管行い続けるという行為が様々な環境や社会を破滅に向かわせています。

この現代の経済の仕組みは、際限なく富を集め続けるというところに起因します。そのためには環境はどうなってもいいという視野に問題があります。本来は、逆で環境(場)をよくするために富を賢く分配していくことでさらに環境が好循環を生んでみんなが仕合せになっていくのです。

例えば、自然環境がさらに調和するような田んぼや畑づくりを行えば私たち人類だけではなく人類の周囲の生態系も豊かになってさらに環境が豊かになって平和な場が創造されていくような具合です。

私たちが取り組んでいるむかしの田んぼがそうなっており、農薬も肥料も一切使いませんが生きものがたくさん増え、生態系がイキイキと循環を促しそのなかで育ったお米が美味しくなり、それを食べる人たちが仕合せを感じるという具合です。

環境への投資は、自分たちさえよければいいという発想ではできません。どうやったらみんなが善くなるか、どうやったら自分以外の人たちも一緒に仕合せになるか、共に生き、共にいのちを輝かせるように働きかけるのです。

本来、それが経済と道徳の一致であり本質的な経済というものでした。二宮尊徳の時に、飢饉や飢餓で大勢いが苦しんだのもまたその一部の搾取する人たちのつくった経済活動が人々の心を荒廃させて土地や環境も破壊していたからその言葉を放ったのです。

現代、私たちは似たような境遇が世界全体に広がっています。

今こそ、ここで観直しをかけなければ子どもたちに譲るものがとても悲しいものばかりになってしまいます。まずは自分の足元から、様々な実践を通してその豊かさや仕合せを伝道していきたいと思います。

場道の心得

日本の精神文化として醸成し発展してきたものに、場・間・和があります。これは三位一体であり、三つ巴にそれぞれが混ざり合って調和しているものですからどれも単語が分かれたものではなく一つです。

この三位一体というのは、真理を表現するのに非常に使いやすい言葉です。私たちは単語によって分化させていきますから、実際には分かれていないものも分けて理解していきます。言葉はそうやって分けたものを表現するために使われている道具ですから、こうやってブログを書いていても全体のことや真理のことなどは文章にすればするほど表現が難しく、読み手のことを考えていたら何も書けなくなっていきます。

なので、共感することや、自分で実感したこと、日記のように内面のことをそのままに書いていくことで全体の雰囲気を伝えているだけなのかもしれません。

話を戻せば、先ほどの三位一体ですが例えば心技体というものがあります。これは合わせて一つということで武道や茶道、あらゆる道という修業が伴うものには使われるものです。これらの分かれて存在しているようなものが一つに融合するときに、道は達するということなのでしょう。言い換えれば、このどれも一つでも欠けたら達しないということを意味しています。

そして私に取り組む、場道もまた道ですからこの心技体は欠かせません。では何がこの場によっての心技体であるかということです。これを和でわかりやすく伝えると、私は「もてなし、しつらい、ふるまい」という言い方で三位一体に整える実践をしています。そもそもこれが和の実践の基本であり、そして同様に場と間の実践にもなります。

まず「もてなし」は、心です。「しつらい」は技です、そして「ふるまい」が体です。

これは場道を理解してもらうために、私が自然に準備して感覚で理解してもらいその道を伝道していく方法でもあります。もてなしは、真心を籠めることです。相手のことを思いやり、心の耳を傾けて聴くこと。そしてしつらいは、それを自然の尊敬のままに謙虚におかりし、場を整えていくことです。美しい花の力を借りたり、磨き上げた道具たちに徳に包まれることで万物全体のいのちに礼を盡します。最後のふるまいは、一期一会に接するということです。この人との出会いはここで最初で最後かもしれない、そして深い意味があってこの一瞬を分け合っているという態度で行動することです。もちろん世の中のふるまいのような立ち振る舞いもあります。しかし本来は、見かけだけのものではなくまさに永遠の時をこの今に集中するという態度のことで覚悟のことでもあります。

人生を省みて、その時にどのようにふるまったのか。

つまりその人は、どのような夢や志をもちこの時代の出会いの中での「ふるまい」という上位概念でのふるまいを私はここでの三位一体のふるまいと定義しているのです。これは実は、先ほどの「もてなし、しつらい、ふるまい」の共通する理念を指しているものでもあります。

つまり「生き方」のことです。

場道の真髄と極意は、生き方を日本の文化を通して学び直すことです。先人たちに倣い、本来の日本人の大和魂とは何か、生き方とは何かを、思い出し、それを現在に甦生させていくことで魂を磨き結んでいくのです。

子どもたちが、この先もずっと日本人の先祖たちの徳を譲り受けて輝き続けられるように見守っていきたいと思います。

 

 

日本人の心

以前、私は偶然にもドイツ人建築家のブルーノ・タウトの設計した旧日向邸を見学したことがあります。もう6年くらい前になりますが、仕事の合間に立ち寄ったお蕎麦屋さんで偶然ブルーノ・タウトの遺作の家具をみせていただくご縁がありそのまま興味を持って訪問してきました。

お蕎麦屋さんでは親切に、他にも2階にあるブルーノタウトのものを案内してくれました。今思えば、その時に私はこの西洋と日本の工芸の合わさったものを見せていただいた気がしています。

現在、徳積カフェの設計でどうしても椅子を中心にどうしたものかと悩んでいました。しかし思い返してみれば、私はブルーノタウトが日本の工芸職人に、様々な工芸を依頼してつくらせていたものを観てその魅力と価値を感じていたのかもしれません。

そもそも椅子とは何か、もっといえば西洋文化とは何か、その原点や本質を知っているからこそ日本の伝統工芸に示唆を与えることができたように思うのです。私の身近には、現在、多くの工芸品が集まってきています。

その一つ一つには、実に多くの文化が融合しているものばかりであるのに気づきます。例えば、今、私がパソコンでブログを書いているのに使っている八角テーブルは中国の文化を取り入れた風水で仕上がっています。

思想をそのままカタチに換えてそれがテーブルとなって新しい文化に融合していく。

その役目を果たすデザイナーや設計者、そして職人たちは、「思想や文化」を伝統的な日本人ならどう咀嚼して融和させられるか、もっとシンプルに例えれば、今の風土の素材で挑むのなら何をどうするかと試されているのです。

発明や発見というものは畢竟、そういうものです。

あらゆる素材をあらゆる文化で結合させる、そして新しい調和を産んでいくということ。

私たちは日本人として日本の風土で生まれ育っています。単なる輸入したものを、輸入した素材で似たものをつくってもそれは本物ではありません。その証拠に、何も風土で練り上げられたものが活用されていないからです。

本物とは風土の化身であり、私たちはあくまで海外から来た新しいものを風土で調理して本物に仕上げる必要があるのです。私がこだわっているのは、この一点であり、建築やデザインを手掛けるものの中心には常に「風土」を基本にしています。

現在、建築も設計もデザインもあらゆる職業は分化して専門家されています。私は専門があることはいいことだと思っていますが、専門しかしないというのはどうかなと感じます。

なぜなら自然はすべて専門が集積調和したものでありそれぞれは全体で成り立っています。それを風土といいます。その風土を究めることが、工芸に出たり、大工に出たりして民藝という具合に人々がすべてアーティストに変換されているのです。つまり風土の美を日本人は全員が持っていて本来は全員がデザイナーでありアーティストでありミュージシャンであったからです。

無名の、何の職業と関係ない人が、真善美をあらわすほんの小さな芸術を数々に産み出してきました。そしてそれが日本のふるまい、しつらい、もてなしなどにも融和されて独特な生き方を示していました。

忘れてはならない日本をもっと大切にすることこそが、子孫たちへ日本人の心を譲り遺す鍵となります。私のできることで、その生き方で示していきたいと思います。

風土とデザイン

私たちの先祖は生活文化を通して、様々な芸術作品を仕上げてきました。例えば、木を暮らしの道具として発展させた大工や木工、そして土を磨きあげた左官、草や植物を組み合わせて創造した織物や染め物、そのほかのあらゆる工芸は日本の風土で産まれた智慧の結晶です。

これらは、伝統芸術といって私たちは一人一人それぞれの中にそのセンスを抱いています。決して芸術家だから芸術をやるのではなく、私たちは暮らしの中でその芸術と常に寄り添い発展をし続けてきました。まさにそれが民藝でもあり、私たちが風土と一体になっている理由です。

そもそも私たちの民族の芸術の原点は、自然との調和です。自然のものを上手く活かし、自然のままにそれを加工する。その自然や風土の徳性を活かして、もっとも暮らしと相性のいいものを選別して取り入れてきました。

その観点は非常に研ぎ澄まされており、縄文のむかしに先祖が自然を観察して見極めた神業のような所業です。その性質が果たしてどうなっているのか、水に強いのか、火に強いのか、はたまた何に弱いのか、そして活用するときの耐久性から姿カタチにいたるまで透徹したものの見極め方をしています。

現代の人は、人間の都合でデザインしますがむかしの人たちは自然と風土を観察することではじめてデザインするということに取り組んだように思うのです。

結局は、私たちは地球に住んで暮らす人間なのだから地球が循環し喜ぶ仕組みの中で、地球の自然が生み出したものを美しいと感じる感性を持っています。それは自然と共にあり、自然の中から出てきた発見と発明と共にあります。

時代が変わっても、私たちの美意識や芸術は常に日本の風土と共にあるのです。

子どもたちに風土が生んだ芸術が一つでも確かに残し譲れるようにそういう暮らしを充実させて伝承していきたいと思います。

いのちの伝統食

日本人の風土が生んだ歴史的な食のことを伝統食といいます。この伝統食というのは、色々な定義があると思いますが私は日本古来の風土食であると定義しています。

例えば、現在は海外からあらゆる食材が入ってきますからふるさとの味とかいいながらそれは海外の風土でできたものだったりします。またおふくろの味とかいいながらも、実際には海外のレシピでできたものだったりします。もちろん、その人にとっての味がふるさとであり、おふくろであればそれはそれで懐かしい味でいいのですが伝統食とは言わないということです。

そもそも伝統とは何かということになるのですが、「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、慣習などの歴史的存在意義」と辞書にもあります。

これをその日本の古来の風土、つまり自然のなかで時間と人々の暮らしと共に醸成されたものが伝統なのです。その中で何を食べ続けてきたか、何をもっとも中心に据えて食を支えてきたか。まさにそれが伝統食になるのです。縄文時代のもっと先から私たちの先祖は、この日本の風土で収穫できるもの、育てられるものを工夫して食べ続けてきました。食べるというのは、健康で生き続けることですから何を食べて健康を維持してきたか、そして何を食べて医薬としてきたか、それが食の歴史には詰まっています。

その伝統食とあわせて地域の郷土料理というものに人々が移動移住と共に発展していきます。私たちが食べている郷土料理は、伝統食が分化してその地域の郷土料理として発展していくのです。

そこにはその地域特有の生活習慣があり、価値観があり、風習やしきたり、ならわしなどもありそれぞれの個性を発揮していきました。それが精神性を含めて受け継がれて、食を通して懐かしい日本人の生き方までを実感できるのです。

私は伝統食に取り組んでいますが、その材料は神棚にお祀りする神饌そのもののように丹誠を籠めて慎んで提供するようにしています。古来から何を神様にお祀りしてきたか、その一つにいのちのままの自然の素材、いのちを壊さないための配慮、いのちを組み合わせた調和する品格、いのちを支えるいのちの器、これらを働かせるいのちの料理をしています。

いのちの料理をすることで、それを食べた人たちはいのちの存在を身近に感じて自分のいのちを味わい美味しい、しあわせと口々に語ります。

こうやって伝統が伝承されていけば、子どもたちにも日本の大和魂を甦生させていけるように私は考えるのです。引き続き、子どもたちのためにもいのちの伝統食を提供していきたいと思います。

いのちで遊ぶ

先日、ある方から「あなたはいのちを大切に扱っている」と仰っていただきました。あまり今まで気にしたことはなかったのですが、日本の文化を学び、日々の暮らしの中で徳を磨き生きていると自然にそういう意識が醸成されてくるように思います。

何かを修理したり、修繕したり、また洗浄したり拭き掃除をしたりしているといのちを観る感覚が養われていくものです。またむかしから大切にされてきたものの傍にいると、なぜか心が安らぎ穏やかな気持ちになるものです。

例えば、花器に花が入れば花も花器もお互いに喜びイキイキしていきます。太陽の光を透過する和紙や古い窓なども光が通ることでイキイキします。室内の陰翳もまた、古い道具たちの徳を顕現させお互いに優しく包まれてしっとりとイキイキします。

いのちは、お互いに活かしあう中でイキイキするものです。そのいのちをそのままに愛でたり、そのままに味わったり、その時々に手入れすればいのちは大切に扱っていることになるのかもしれません。

いのちは、常に経過とともに存在が失われていきます。それは私たちの寿命と同じです。しかしその時々で、いのちの輝きがあり、まるで青春のような状態があり、それを一生のうちに何度も何十回も体験できるようになっているのです。

終わったかと思ったようないのちも、かたちや場を換えてあげればまた新たないのちが甦ります。私はいのちの甦生がとても好きで、それはまだまだ別の使い道を発見したり、今まで価値がなかったところを新たに価値を見出したり、くすんで霞んでいたものを磨いて光らせたり、配置を換えてあげることで別の役割を与えたり、いのちそのものを別物に仕立てたりすることに喜びを感じます。

面白いことに、心はいつもその可能性を楽しんでいます。好奇心や子ども心は、その一瞬をとらえて遊びます。私は、いのちで遊んでいるのかもしれません。子どもたちがいのちを大切に扱い、いのちのままに健やかに生きられるように今此処から発信を続けていきたいと思います。