大和と共に

「三つ子の魂百まで」という言葉がります。この三つ子の魂とは一体何のことを言っているのかということを考えたことがあります。辞書では、三つ子の魂百までとは、幼い頃の性格は、年をとっても変わらないということだと書かれます。

つまり幼少期、生まれてから3歳になるころの子どもの性格であるといいます。

私は子どもの憧れる未来のために起業しましたが、これは単に幼少期の子どもの魂を守ることだけが目的ではありません。もちろん、余計なことを刷り込むことで幼少期の魂は澱んでいき本来の自己を発揮されていきませんから引き続き刷り込まない教育、その子らしくいられるような保育はこれからも弘めていきます。

しかし子どもの魂とは、決してある一時的な年齢だけのことを言うのではないのです。私の定義する「三つ子の魂」とは、日本古来の魂のことであり大和魂のことを指します。私が守りたいと強く願い行動しているのは、この「大和魂」を守りたいと祈り取り組んでいるのです。

私が浄化場にこだわるのも、古来の伝統を大切に温故知新して甦生させるのも、自然農や伝統行事からご縁やつながりを守りつづけるのもすべてこの大和魂のためです。

この大和魂というのは、日本人の親祖から連綿と今まで紡いできた大切な日本人の真心のことです。この日本人の真心が大和心であり、それが大和魂となります。

私が好きな先祖の言葉に、古事記にあるヤマトタケルの詩があります。

「やまとは くにのまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるわし」

またその古事記を研究した本居宣長のこの詩も好きです。

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」

これは日本古来の大和魂を詠ったものです。

この大和魂や大和心を持った子どもたちを守りたい、私の祈りや願いはこのことに懸けているのであり私の一生の夢はこの大和と共にあります。もしも私が志半ばで斃れても、この志を継いでくれる人が必ず出てくると信じています。

だからこそ、何よりも真摯にこの大和魂や大和心を実践していく必要があるのです。この自然に麗しく瑞々しい感性と透明で清浄な場所、日本。そしてその日本で純粋で初心で無垢な愛嬌のある美しい人々の日本。素直で誠実、正直で謙虚、徳という言葉がもっとも似あうクニの日本。

人生を賭してこの一途な祈りを生きていきたいと思います。

場の実践

場道の実践の中に、プロセスを味わうというものがあります。これは経年変化を味わうことにしています。すべての物はモノではないものの証拠に、変化するということがあります。つまりはモノはコトと常に表裏一体ですから、そのモノがあるということは何らかのコトがあったということです。その逆に、コトがあるというのはいつかはモノになるということです。

これは思想と文化の関係にも似ています。そして心と場の関係とも同じです。つまり私たちはご縁という偉大なつながりの中で、様々なところで結びつき合い揺らぎ合います。

これが私が取り組むブロックチェーンの目覚め思想の源泉としているものです。

話を実践に戻せば、私たちはゆらぎのなかで様々なモノやコトを動かしていきます。それが生命の原理であり、私たちの観ている世界とはその繋がりの中での波動のようにゆらゆらと変化してはまた音を奏でます。

そしてそのプロセスの集積は、歴史となり現在の私たちの姿かたちを形成していくものです。頭で考えられる範囲、目に見える範囲のものでは場は語ることはできません。「場」とは、その連綿とつながってきているものを直観し、そのつながりと関係を結び直すときに顕現してくるものです。

私が、場と道を組み合わせて「場道」としたのもまたこの両輪は同一であり、その両方の単語から意味を伝えることができるからです。つまり「場は道なり、道は場なり」ということです。

こうすると別の言葉にすれば、コトはモノなり、モノはコトなりともなります。そしてその中間にあるのが「プロセス」ということになるのです。

プロセスを重んじないというのは、コトを単なるモノにし、モノも単なるモノとなる。つまり単なる機械や部品、結果だけしか判断しないというデジタル的な思想でいのちを無視するという仕組みを使っているということです。いのちを無視するのは、いのちを無視しても得たい結果があるからでしょう。

こんな意識がこの先の世紀を乗り越えるとは思いませんし、いつかこの間違った資本主義の思想は淘汰されるのは火を見るより明らかです。私が、取り組んでいる志事は人間が本来の人間性を大切にした徳循環の社會を取り戻し甦生させることです。

子どもたちが安心して暮らしていける世の中になるように、ゆっくりと急ぎ遠回りしながら王道を歩んでいきたいと思います。

心の場

「場」というものはその人の心を映す鏡のように思います。その人がどのような「場」を実現させたか、それがカタチになって人々の心に場のイメージを持たせます。大切なのは、その人が何を心に問いかけて、そしてどのような場を創り上げたかということです。

私が好きな映画の一つに「君に読む物語」があります。

この中のシーンの一つで、ある男性が自分が信じている未来のイメージのために廃屋を見事に再生していきます。何の見返りも求めず、ただひたすらに家と向き合い、家を治していきます。そしてその家には、自分が描いた心の世界を投影させていくのです。

そしてその描いた心の世界を舞台にして次の章立てへと移り変わっていきます。つまり次の「場」が産まれたということです。

一般的には、場というとその土地のことを現わすときにだけ使われることが多いように思います。しかし本来の場とは、まさに人生の舞台そのものでありその舞台は、そこで新しくはじまる物語そのものなのです。

私にとっての場とは、一つの物語のことであり、どのような物語を創るかは心の中にある場からはじまります。そしてその場をつくることで、そこには新たな物語が発生してきます。

ただの居場所ではなく、心の世界がそこにあるのです。

これからの時代、どのような「場」をみんなで創造するかということが特に大切になってきます。それは物から心の時代に回帰していくからです。物質文明はそろそろ終焉を迎えていくでしょう、それは物の中にいのちや心がないと如何に世界が痛んでいくか、自然が壊れていくのかを自覚するような出来事を目の当たりにして人類はそこから深く反省するからです。

私は子どもたちのことを想い、これからも「場」を次々とこの世に産み出していきます。それは心を産み出すことであり、心をつなげて心の在りようや在り方を世界に問い子どもを見守りたいと祈るからです。

自分たちの世代の舞台の保持ばかりに躍起になるのではなく、もっと次世代のために次の舞台を用意するための場をみんなで協力して譲り遺していくことです。まだまだ舞台は変わっていません、次の舞台にむけて心の場を磨き高めていきたいと思います。

お役立ちの世の中~活躍の本質~

人間はそれぞれに居場所というものを持つように思います。自分の居場所ができればそこは居心地が善く、仕合せもまたそこに寄り添っていきます。人はその人のやりたいことや得意なことだけやらせてあげたらその人が仕合せになるわけではありません。人はその人が役に立つことで仕合せになるのです。

現在、組織の中で自己主張をして自分の好きなことを周囲に認めさせようとしてかえって孤立している人がたくさんいます。特に個人主義のなかで、自分の自由を求めてははき違えてしまうとかえって身勝手から周囲から嫌煙されてしまうものです。

それは周囲のためにと思っていても、周囲が喜ぶように自分を活用しようとしていないということになります。自分を手放すというのは、周囲を喜ばせていくことに似ています。

自然界が、それぞれの能力を全体最適のために役立てていき共生するのはその中に周りに喜んでもらいたいという利他の心が生きているからです。周囲が喜んでもらえる場所を発見できるところに自分の役割や役目があります。人は一人で孤立しては生きていけないのは居場所がなくなり楽しくなくなり仕合せを感じにくくなるからです。

人間は社会の中で共に生き合う本能をもって生まれてきますから人と人が役立ちあう中で自他の喜びを共に享受しあう関係を求めています。

だからこそ、ここを間違っては仕合せにはならないのです。

最終的にその人が目指している理想、そして世の中が求めている理想、それは人類の理想につながります。より善い社會をつくるためには、自分だけではなく自分のすぐ近くのコミュニティを喜ばせていくことで仕合せの輪を広げます。

そして周囲も、その人がこういうところで働くとみんなにとっていいという居場所を探していきます。つまり、その人その人の個性や特性、能力に合わせて最適な場を提案していくのです。そして本人のまた、何をやったらみんなが喜ぶか、そして自分のお役目が果たせるかを探し求めていくのです。

自分に得るものを先にするよりも、与えることを先にした方が仕合せは発見しやすくなります。お役に立ちたいという思いがあれば、みんなが役に立つところを教えてくれます。

こうやって仕合せの循環を続けていけば、自ずから自分の居場所ができていきます。この逆で、自分勝手に自分の居場所を決めてはそれを頑なに維持しようと無理をすればかえって居場所がなくなっていくのです。我儘や身勝手は自分の居場所だけでなく周囲の居場所も奪ってしまいます。

居場所を守るというのは、お互いに居場所を与え合うということです。みんなが居心地が善くなるように自分からお役に立ちたいと能動的にかかわっていくことが信頼し合い許し合い助け合う場を醸成していくことができるのです。

どうやったらもっとお役に立てるか。

お役に立つことが義務ではやらされていることになりますから、自分から喜びや仕合せのためにできることでお役に立つか。仕合せな生き方を通して世の中の人たちみんなが自分たちの居場所が見つけられるようにするのが本来の国民の幸福の道でしょう。

ちょっと前に、一億総活躍社會というスローガンももありましたがなんとなくただみんなでGDPを稼ぐための仕組みのようになってしまっています。残念なことです。本来の国民全体の幸福のためのお役立ち循環の社會を目指すことこそか活躍を楽しめ喜べる社會だと私は思います。こ

こどもたちがみんなで喜び合い役立ちあう世の中にしていけるように、すりこみを打破して本来のあるべき社會を創造していきたいと思います。

傍流

以前、逆手塾の和田芳治さんから「傍流」であることの誇りについて教わったことがあります。まだ私がまちづくりをはじめて、右も左もわからず地域との馴染めず、どうあるべきかを悩んでいた時に聴福庵に来ていただきました。

傍流という言葉自体に馴染みがなく、どういう意味だろうとその時は思いましたが今思えばとても含蓄のある言葉だと感じています。

この傍流という意味は、いくつか解釈の仕方があります。本流から分かれた支流という意味、他には世の中には主流にはならずに本流で生きるという意味、誰もがうらやむような花形から逸れた場所で働く意味だったり、この「傍流」という言葉は生きる上では深い示唆があるように思います。

民俗学の宮本常一さんの著書の中で、傍流の言葉を用いた文書があります。私はこの傍流の解釈が、和田さんの語る傍流の解釈と同一であったのだろうと今なら思います。

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくこ とだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしま う。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになるこ とだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまるばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」(宮本常一)

これはまさに私の人生にも同じ境遇を感じます。私も主流には興味がないようで、このまま傍流を究める方へと進んでいく気がしています。和田芳治さんは、逆手塾の中でこのように述べていました。

『「私は傍流」と悟り、「しかし、いつまでも傍流ではおもしろくない。いつか主流になろう」と密かに野心を燃やし続けてきた。ただし「主流のものさしに合わせていたらいつまで経っても輝けない」と気づき、勝手に「傍流のものさし」をつくり、それに合うアイデアを出し、その具現のために汗を流し続けた。「傍流のものさし」の一番手は「金よりも大切なものがある」。武器は「レクリエーション」であり、「遊び半分」(馬鹿にされているものが輝くと、人からおもしろがってもらえる)ことだ。「逆境」を嘆いたり、親や人のせい、社会や政治のせいにするのではなく、「おもしろがればなんだっておもしろい」と、その解決のために営むことを、支援してくれる人が増えたのです。』

経済合理性の追求や、花形でスポットライトを浴びることだけが輝くことではありません。輝くというのは、傍流にいてはじめて輝くものがあります。英語にもアンサンヒーローという言葉もあります。縁の下の力持ちという意味です。

傍流は、決して主流や本流から離れたものではありません。縁の下から支えて周囲を輝かせるという存在です。

カグヤという会社は、月の会社であり、陰徳を目指すものです。

このまま傍流にいて、子どもたちのいのちを輝かせていきたいと思います。

懐かしい美しさ ~大和魂の甦生~

日本には、懐かしい風景があちこちに遺っています。この懐かしい風景とは何か、そして何を懐かしいと思うのか、ここにきてようやく一つの答えが出てきました。

それは古代より連綿と続くいのちのリレーの中で、私たちの先祖が深く愛し続けたものであるということです。

昨日は、林業を甦生し自然資本という考えを実践している方にお会いしました。共感しながら、周囲の山林や原風景を眺めていると懐かしい風景に心が惹かれます。私は懐かしい人に会ったりするときはご縁を感じ、懐かしい道具たちに触れたときは手入れしてまた使いたいと思い、そして懐かしいいのちに出会うと甦生させて一緒に寿命を味わいたいと感じます。

この懐かしさとは、私の実践するかんながらの道と深く結ばれている感覚です。

日本には、美しいものがたくさんあります。それは動植物、昆虫たち、山林や海、里の景観の中であらゆる暮らしの中に見てとれます。この暮らしを守り愛した人たちの面影が美しさの中に輝きます。

懐かしい美しさというものは、何処からくるのか。

それは日本を深く愛した人たちの心から訪れます。それは決してモノだけではありません、心や魂、生き方もまた存在します。日本人が道徳として人々の行動が美しく、またその姿に感銘を受けて共感するのはかつての日本の先祖たちが大切に愛してきた姿だったことに他なりません。

私が古民家甦生や伝統行事の甦生、そしてむかしの田んぼの甦生、街道の甦生、暮らしの甦生などあらゆる甦生に関わるのは、この懐かしい面影を守り次世代へとつないでいきたいからです。

懐かしさと美しさは、人々の心を深く温めます。

現代、世界は米中の確執をはじめ、あちこちの国で経済破綻が恐慌の足音が聞こえはじめたこともありなんとなく陰鬱とした雰囲気が漂いはじめています。戦争は、先に戦争が起きるのではなく心の荒廃によって戦争が引き起こされていきます。

心の荒廃はぬくもりの消えたつめたさから来るものですから、心をあたためてぬくもりをみんなで感じる豊かさ、大和魂に回帰していく必要があります。そのためにも先祖の生き方の集積、その遺徳でもある懐かしい美しさに触れ自らを磨き甦生させていく必要があるのです。その上で、子どもたちがその大和魂を発揮させる「場」(舞台)を用意しなければなりません。

私の取り組む「場道」は、この大和魂を甦生する場であり、大和人を育成し醸成する場でもあるのです。場をつくり場を譲ることは次世代のための本命であり志事であるのは当代を生きる人たちは必ず最期はみなその道にたどり着くはずです。

子どもたちが安心して暮らしていける世の中にするために、目の前の一歩を大切に過ごしていきたいと思います。

学問の本懐

人間はそれぞれに宿命があり、自分のいのちの目的に向かって自然に歩んでいくものです。その手段は、運命もありそれぞれに異なりますが目指している夢が近い人たちとめぐり逢うことで自ずから天命を悟っていくように思います。

人は毎日、他人と出会い、自分と出会い、自己と出会います。どの瞬間にも同行二人であり、混然一体の一人と歩みます。

魂の不思議というものは、離れていても一緒にいて、別々になっても一体であることです。これは意識の世界、無意識の世界、その両面において私たちはつながっているという事実を実感するときに感じるものです。

自然界も同様に、すべてのものは有機的につながり一つの生命体を示しています。早朝、目が覚めれば日が昇るまでに様々な鳥の鳴き声がありとあらゆる場所から聞こえてきます。

鳥たちは共鳴し、ひとつの自然を謳歌します。

これは何千年も何万年も繰り返し、行われてきたものです。私たちは自然が持続する理由をどう直観するのでしょうか。当たり前に存在しているものに対しては、それは当然なくならないと信じ込んでいるものです。しかし、自分の一生だけで限定してみればそう感じたものでも、諸行無常の真理は普遍です。

いつの日か、必ずそれは終息しまた新たな息吹をはじめます。

生々流転し、万物流転しますが、いのちは永遠に存在し続けます。それは空気がそこにあるように、その空気が生きているように、私たちは気体として目には見えないその空間の妙の中にいのちの本体を持っているからです。

こんなことを書くと世の中では宗教やオカルトなどと騒ぎます。しかし果たして本当にそうでしょうか。自分の感覚を極限まで研ぎ澄ましていけば、目には見えない世界に触れられ、さらには脳が使っていない感覚を呼び覚まして不思議な力を発揮することもあります。

科学でしか語れない世の中とは如何に不便で否効果的なものかと感じるはずです、科学も宗教も事実には敵いません。事実がそこにあり、真実があるのなら、それを直視して深めるというのは自然に生きる私たちの智慧であり、そこを正しく判断することで子孫へどうあるべきかを当代を生きる使命がある私たちが果たすことです。

子どもたちは、私たちの世代がどう生きたかで次の舞台を推譲していくことができます。先祖を省みて、あの代の先祖は偉大だったと感じる世代があります。そういう世代に私たちがなるべきです。だからこそ一人一人が小我を超えて大我を目指そうという話です。これは宗教ではなく、生きる道であり学問の本懐だと私は思います。

引き続き、学問の本懐を成し遂げられるように脚下の実践を楽しんでいきたいと思います。

家と主人

昨日、千葉県白子町の江戸末期からある名主さんの古民家を拝見するご縁をいただきました。人に品格があるように、家にも品格があります。そしてその人物の品格には徳が備わっており、その徳はもちろん家にも同様に備わっています。その徳は、先祖から連綿とつなげて積み重ねてきた善行の循環によって子孫へと伝承されていくものです。

家は、代々主人が代わっていきますがその主人を守るのは家の意志でもあります。家は主人を養育し薫風しながらその家格にあった主人を見守り育てます。

私にとっての古民家は先祖であり両親であり徳祖でもあります。この家の修繕というものは、代々の主人が行うものです。自然界には「相利共生」というものがあります。これは生物間の共生者の双方が互いに生活上の利益を受ける関係をいいます。

たとえば、ヤドカリの入っている貝殻に付着するイソギンチャクはヤドカリの移動によって摂食の機会が増加し、ヤドカリはイソギンチャクの刺細胞の毒によって外敵から保護される関係だったり、他にも弱さをうまく補い合い、強さを利用し合うしたたかな関係を築いています。

一緒に生き残るためには、なんでも活かそうとする。お互いに利害が一致して助け合う関係のことです。これは厳しい自然を生きるために互いにとってきた戦略です。同時にお互いのどちらかがいなくなれば生きていくことができない種を超えた強い絆を持っているのです。

私にとって古民家は単なる共生の支え合い助け合う関係を超えて、相利関係に近いものがあるように感じています。私が磨くことで、家も磨かれる。家が磨かれることで私も磨かれる。その結果として徳が磨かれお互いに生活上の利益を享受しあうことができるのです。

私が家をパートナーと呼ぶのは、この相利関係を持っているからかもしれません。したたかな力は生きる力です。そのままにしていたら朽ちてしまう徳も、しっかりと引き出し合いその先祖の善行や子孫への推譲をしっかりと結んでいこうとするのは私たち人類の親祖の代からの生存戦略なのです。

明治以降、歪んだ個人主義を押し付けられ時間の奴隷のような生活をしても目標達成のためにここまでこの国を発展させてきました。

しかし果たしてこのままでいいのでしょうか、もう充分でしょう。

もう充分と思ったのなら、私たちは生き方や暮らし方を換えなければならないのです。それが生存戦略であり、未来の子どもたちを守ることになるのです。家が主人を見守るように、私たちは子どもを見守る必要があるのです。

まだ間に合いますから、気づいた人、醒めた人は行動を起こすべきです。

私も今、できることを真摯に取り組み、周囲がいかに可笑しなことをしていると変人ように思われようと信念をもって子どもたちのためにできることから変革していこうと取り組んでいます。

共生のかたちは、自然界の常識です。コロナ後のニューノーマルというのなら、もういちど自然から学び直すことからはじめていくことだと私は思います。子どものために大切なご縁を感じ取って結んでいきたいと思います。どのような物語になるのか、まだわかりませんが未来が楽しみです。

こころ豊かな時間

昨日は、久しぶりに千葉県神崎にある「むかしの田んぼ」にみんなで集まり団欒を楽しみました。今年は、とても稲が元氣でほとんど草取りもなくすくすくと育っています。

世の中の田んぼは、栄養を豊富に与えて育っていますから稲が緑で青々としています。それに比べうちのむかしの田んぼは無肥料無農薬ですから黄緑がかっていています。一見すると、栄養不足のように思われますが人間でいえば欧米人のようにがっちり体形ではありませんがすらっとしていて無駄なところが一切ない健康的なむかしの日本人の体形のようです。

お米も大きさや形などすべて小ぶりですが、味は深みと厚みと清々しさがありとても美味しいお米ができあがります。美味しいお米とは何か、この美味しいという定義も他人によって異なりますが本来の美味しいはやっぱり魂が喜び合うようなプロセスを経過したものたちの協奏によって得られる境地のように私は思います。

ただ舌先三寸だけを美味しくする技術でできたいのちは、長続きもせず心から美味しいとは思いません。しかしそれを魂が喜び心から美味しくする技術でできたいのちであれば永遠に美味しいと感じ続けるのです。それは記憶の中にいつまでも遺りますし、そのいのちは永遠のカタチにまで昇華されいのちを折り重ねます。

私たちは結果を焦り、成果を求めるばかり、大切なプロセスを省くようになってきました。効率優先、収量優先、利益優先の考え方では手間暇をかけたりいのちが喜んだりすることは非効率であり、不利益だとさえ思うようになりました。

しかし、それはいのちを無視した生き方であり本来自然の一部であった人間としての姿からほど遠いものです。むかしは、いのちを大切に使っていきました。それはみんなのいのちがどうやったら喜ぶか、そしていのちの大切さをいつも感じながら味わいながらこの世での生を一生懸命に謳歌していました。

一度きりの人生だからこそ悔いのないように、すべてのいのちと共鳴し合い、すべての時間を惜しむように使い切っていました。現代は時間に追われ、いのちを無視して経済活動にみんな没頭しています。休みといえば経済活動を別の形で補填しているだけで文化的な暮らしの喜びを味わうこともしなくなりました。

私たちがこの「むかしの田んぼ」に取り組むのは、暮らしフルネスの一環であり如何に人生を充ちたりて実るものにするか、そのためにどう生きるのかを田んぼを使って示しているものです。

私たちの田んぼは、いのちがイキイキとしています。ありとあらゆるいのちが躍動し合い、暮らしを支え合っていきています。そしてその生きものがいっぱいの田んぼの中で稲が仕合せに育っています。こんな理想の社會を田んぼで実現させ、私たちはそのお米を大切に料理してみんなでその瞬間を味わいます。

こころ豊かな時間です。

いのちは、このこころ豊かな時間を養分にしてすくすくと仕合せに育っていきます。このことを子どもたちに伝承したいと祈り、私たちはこのむかしの田んぼを実践しているのです。

いつまでも永遠に大切だったことまで変えてしまうことは決して仕合せなことではありません。世の中がいくら流行で変化したとしても、変わってしまってはならない永遠があります。その永遠はいのちのことで、いのちはいつまでもいのちのままに喜ばせ輝かせていくためにみんなで協力し合う必要があります。人間が人間らしく人間のままで生きるためにもこれは人間で生まれた私たちの本命なのです。

子どもたちがいつまでもこころ豊かな時間を生きていけるようにむかしの田んぼと共に見守り続けたいと思います。

 

功徳の支援

昨日、あるご縁から仏教の伝来と共に日本に入ってきた「仏説温室洗浴衆僧経」というお経があることを知りました。これは仏陀が沐浴の功徳を説いたもので、これがのちに日本の文化と融合し発展を続けて今の日本伝統の湯浴み文化に繋がっていることを知りました。

以前、深めた時には重源上人が石風呂をつくったことが調べて書きましたが確かになぜお寺で温浴をここまで弘めていくのだろうかということに気づいていませんでしたがそれはお経によってその意味や価値が明確だったことに改めて気づきました。
この「仏説温室洗浴衆僧経」をさらに深めてみようと思います。

このお経には、温浴には7つの道具、7つの福徳があると記されています。具体的な7つの道具とは、『「然火」(ねんか)=薪や炭、「浄水」(じょうすい)=清浄な水 、澡豆(そうず)=豆類で作った洗顔用の洗い粉のことで洗剤や石鹸のようなもの、「蘇膏」(そこう)…樹脂や牛、羊の脂から作った皮膚をすべすべにする栄養クリーム。「淳灰」(じゅんかい)=樹木の灰汁のことで洗髪する洗剤のようなもの、「楊枝」(ようじ)=楊柳の枝をほぐした今でいう歯ブラシのようなもの、「内衣」(ないい)=浴衣やタオルのようなもの。』の7つを指しました。

そしてこれらの功徳としては、・四大(地・水・火・風の体の構成元素)が安隠となり。 ・風邪のように痺れや痛みが移動する病が治る。 ・湿気の高まりでうずく病が癒される。 ・寒さを起因とする病、冷え性などが治る。 ・熱が下がる。 ・垢が除かれ清潔になる。 ・心身が軽くなり、目がはっきりする。といわれます。

仏教のこの沐浴の功徳によって以上の7つの病気が治ると信じられてきたのです。その功徳を施すために僧侶たちは、自らを清めるだけなく民衆に沐浴の場を設け、修行の一環としてそれを手伝うための「功徳湯」というものが誕生したのです。東大寺の大湯屋もまたその一つであり、重源上人の石湯もまたその一つです。

日本人はもともと神道に穢れを祓い清める思想がありますから、この仏教伝来のお経のこともすぐに理解していきました。空海が、全国各地に温泉を開きその功徳によって穢れを祓うことを進めたのもまたこの日本の伝統文化の融合のように思います。
それからこの水蒸気による温室と水や湯で洗う浴室という二つの仕組みは、世の中の人々の荒んだ心や穢れや体の病を払うための功徳になってどの時代も効果を発揮していくのです。

私が創造した祐徳大湯殿もまたこの功徳湯を施すためのものです。人々の荒んだ心が癒され、暮らしから遠ざかった人たちが元の元気な姿、心安らかな豊かで安寧の時間を過ごし本来の人間らしいゆとりや余裕を持てるようにと場を整えるためのものです。

今の時代、本当に変革すべきは暮らし方であるのは自明の理です。人間の徳を顕すためには功徳の支援が必要です。あの時代は、僧侶が行っていましたが今の時代は徳を積みたいという方々によってそれが行われていくはずです。

子どもたちに日本人としての心穏やかな暮らしがいつまでも伝承されていくように私ができることをゆっくり急いで展開していきたいと思います。