いい道具

先日、いい会社やいい人など何が「いい」のかと書きましたがこれにいい道具というものもあるように思います。技術革新というものは、時代と共に何度も訪れますがそのたびにいい道具とは何かと道具を発明し開発する人々は哲学をもってその問いに正対していくように思います。

現在のように、何でも便利になってきてあらゆる道具に囲まれて生活をしていますがその中でいい道具に囲まれているかどうかはまた別物のように思います。

この「いい道具」とは何か、少し深めてみようと思います。

そもそもこの「いい」というものは、誰かにとってのみ都合がいいものである「いい」というものではありません。その「いい」になればその人はいいものでも他の誰かにとってはよくないものになっていきます。一つの「いい」だけに固執してそればかりをしていけばすぐに全体のバランスが崩れて悪いものになってしまうものです。

では何が「いい」のか、それは全体が調和するものです。別の言い方では「循環」するものということになります。全体が循環するものは、自然です。この自然に沿っているものが全体のバランスを調和するものですから中立で中庸、つまり「いい」ものであるのは自明の理です。

この「いい」ものは、例えばむかしの道具であれば自然物から創造され、それを使うことで自然を活かし、さらには最後は自然に帰るという循環のサイクルにしっかりと入っています。

古来よりいいものはすべて自然の循環の中にあり、自然の循環から外れてしまうものを悪いものとしているのです。その循環から離れてもしも一時的に、自分のところだけその流れが留まるようにいくら操作してもそのうちそこが澱み腐っていきます。それが天地自然の法理だから何人たりともであってもそれを変えることはできません。それが機械であろうがAIであろうが、無理なものは無理、それが道理というものです。自然の力は偉大ですから私たちの想像を超える天災や自然災害などによりその道理に気づかされます。むかしの人たちは、それを自覚していました。ひょっとするとかつて何度も文明実験を繰り返してその境地に達したのかもしれません。文明と文化の和合はその時代を生きるものたちの使命です。

長くなりましたが自然の循環を毀さないようにすべてのものは働いているのが自然の摂理です。そしてこの自然の摂理に沿ったもの、それを私は「徳」ともいいますがこれが循環することによって世の中が他と支え合い共生しているのです。

いい道具を創る人は、いい人が使う道具を造る必要があります。いい人といい道具は、自然の力を引き出してより徳を活性化させ循環を促進していきます。

子どもたちに「いい世の中」を譲り渡していけるように今、やるべきことに専念していきたいと思います。

自然の道~シンプルにする~

物事をシンプルにしていくことは、現代のような複雑な世の中ではとても重要なことのように思います。このシンプルさは、物事を本質的にするということでもありますがそれとは別に心や思想のシンプルさというものがあるように思います。物と心を一体化する中で如何にシンプルにしていくか、そこに物事を突き詰めていき自分を磨く面白さがあるように思うのです。

このシンプルさというものは、日本語では素直さと言ってもいいかもしれません。物事を素直に受け止める人はいつもシンプルで本質的です。時折、あるがままのことをありのままに観えている人に出会うと尊敬の念がこみあげてきます。

いくら本を読んで知識を蓄えても、どのような智慧に触れたとしても、子どものような純粋な心で透明な澄んだ目で世の中を見て心のままに話ができる人は美しい世の中の原型を持っています。こういう人を自然体の人というのでしょう。

自然体の人になるには、自分自身の心を整理する必要があります。そのためには、自分が何を感じたか、自分がなぜそれをやるのか、自分にとっての意味が何かと、直観を信頼して歩んでいく必要があります。つまり自分に素直になって行動していく必要があるということです。

そうすれば時折、障害や困難、不安や恐怖、他人からの誹謗中傷や非難などもあります。それで常識的に従っていけばまた複雑さは複雑さを呼び、何をしたいのか何をしているのかわからなくなっていくのです。

素直になるというのは、直観を信じるということです。そして直観が分かるのは素直だからです。この素直になるというのは、松下幸之助さんが一生涯かけて修行したとお聴きしたことがありますがまさにその境地になってこそ物事の真実に生きるという自然の道なのでしょう。

自然の道は果てしなく限りない、まさに永遠ですからこの今も素直であるかと自問自答、自反慎独をしながら坦々蕩々と日々を楽しみながら歩んでいくことが人としてこの世に生を受けた私たち人間の道です。

言うは易く実行は思いのほか難しいことですが、だからこそ挑み甲斐がある道で遣り甲斐がある歓びの一生です。日々に一期一会に自然の道を意識しながら、この今に自分を懸けていきたいと思います。

道を怠らない

先日、稲盛和夫氏の言葉で「謙虚は魔除け」という言葉を知りました。これはとても感じ入り、すぐにノートにメモを取りました。確かに、謙虚であるときは不思議と福が集まり好転する循環が発生してきます。しかしこれが傲慢になるとき、ありとあらゆる魔が差し込んでくるものです。

その「魔」とは何か、少し深めてみようと思います。

この「魔」は辞書には、「人を迷わすもの。修行をさまたげ、善事を害する悪神。人間わざでない、不思議な力をもち、悪をなすもの」と書かれています。ブリタニカ国際大百科事典には「古くは摩,磨とも書いたが梁の武帝のとき,魔にしたのが始りといわれる。しかし,武帝以前に魔の字は存在したらしい。魔はサンスクリット語 māraの音写,魔羅の略語で,殺すものという意味。翻訳語に殺者,奪命,悪魔などがあるが,人の生命を奪い,善事を妨げる悪い鬼神をさす。仏教では魔の内観的意味として,煩悩など衆生を悩ますものを魔といい,自己の身心から生じる障礙を内魔,外界から加わる障礙を外魔という。」と紹介されています。

つまりシンプルに言えば、人間修養の妨げになるものであり人間の煩悩のことを言うように思います。人間には誰しも己の中に魔が住んでいるといいます。これを「己心の魔」とも言います。己の中から湧き出てくる魔を如何に払い除いていくかに「福」が関わっているということでしょう。

この己心の魔は、自分自身に宿る煩悩や欲望で仏教では五欲や十悪などと言われますが人それぞれに非常に多くの煩悩が存在します。人間としてどう生きていくかと向き合い取り組みはじめても常にその煩悩が邪魔をしてくるのです。この「邪魔」とは文字通り、道を歩む妨げになるものです。

その「魔」を除けることで道を安心して歩んでいくことができます。神社では御守りやお札などで魔除けをします。同様に生きる上で心がける御守りを持つということは、様々な自戒をもって歩んでいくことに似ています。その一つに、謙虚というものがあるのです。

中道を歩みバランスを崩さずに歩んでいくことはとても難しいものです。一度、己心の魔に呑まれたら都合よく解釈をして自分がズレていることにも気づきません。そうならないように常に自己を正しく反省するために、物差しになるのは同じように修行をしている謙虚な人々の生き方を学び直したり、その人たちに触れたり、諫言や叱ってくださるようなアドバイスを自ら学んだりという素直さが必要です。

そして素直になれば、自分の傲慢さで自分の魔に打ち克つ謙遜があります。本物の自分でいるか、あるがままの自分を自覚しているかと確かめていくのです。自分の心が澄んでいないのではないかと常に確認している人は、常に今を善き心にしようとします。このように生きている人は、まさに「謙ゆえに福、虚ゆえに幸」なのでしょう。

道を歩む心構えを歪めないように、日々に深く反省し子どもたちや大切な人たちを見守れるように私自身の精進を怠らず謙虚を魔除けにして努めていきたいと思います。

心の中の平和

昨日、ある園の理念研修で「一人ひとりの中に心の平和をつくる」という理念を学び直すことができました。乳幼児期は人格形成の基礎だからこそ、何よりも重要だという動機から初代の方が開設してから約70年の歳月が経っています。

この心の中の平和という言葉を思う時、ユネスコ憲章の理念を思い出します。

「戦争は人間の心の中で生まれるものであるから、人間の心の中に平和の砦を築かなければならない」

平和を願う人々はみんな心の中にある平和を築こうと世界に発信していくものです。戦争を産出す原因は、心の中で戦争が続いていくからです。その戦争は、比較競争や差別や格差などから発生する疑心暗鬼が原因になっているように思います。お互いを信じ合い道徳を守り助け合い協力しよういう心が失われていきます。そのためにも、感謝や信頼、協力や尊重などということを学ぶ必要が出てきます。

人間は、それぞれ生まれた環境も育った環境も異なりますが人間としてどうあることが心の平和を築いていけるか深めていけばその方法が観えてくるものです。

私が実践し提案する一円対話も、協働も初心の内省も徳報酬もすべてはこの一点「心の中の平和」を創るために広げていこうとしているものです。人々の中に心の平和ができるのなら、そこには平和な社會や未来が築けて徳世が築けます。

何度も何度も戦争を繰り返し、人類は一体どこに辿り着こうとしているのか。今を生きる私たちはもう一度それを深く見つめる必要があるように思います。

そして今まで過去の歴史になかった新たなパラダイムが誕生が求められます。

子どもたちのためにも、自分にできることを脚下の実践をもって努めていきたいと思います。

聴福庵

「炭鉱のカナリア」という慣用句があります。これは炭鉱においてときおり発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報としてカナリアという鳥が活用されたことが由来です。鉱山以外でも、戦場や犯罪捜査の現場で用いられたりします。また金融の世界では、株価の急落や景気変調のリスクを示すシグナルの意味で使われたりもします。

このカナリアはつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止みます。そうやってカナリアが危険を察知して騒ぎ立てることで、人々のいのちを救ったのです。ここから身を捨てて多くの人々を救うという意味でも用いられました。

聴福庵は、筑豊炭鉱の中心地にありかつての炭鉱王伊藤伝右衛門邸の正面にあります。この炭鉱はかつては日本の産業革命の際の全エネルギーのほとんどをこの地の石炭で賄ったほどに貢献してきた土地です。つまりひとつ前の時代の変化の礎になってきた歴史を持っている場所に建っています。

世界の進む方向が大量生産大量消費のグローバリゼーションの席巻で自然を覆いつくすほどの市場を拡大していく中で、大勢の人々が自転車操業的に資本主義経済の激流に流されるまま流されているだけでこのままでは危ないと気づいていても進む方向を誰も変えることができなくなっています。歴史に学べばこのまま進めば人類はかつてないほどの危機に晒されることになります。この濁流に柵をかける人たちがどれくらいいるかわかりませんし、崩壊しないように楔を打つ人がいつでてくるのかもわかりません。

世の中の道とはまるで逆走するかのように聴福庵はその反対の方へと孤軍奮闘しながら前進して小さな鳴き声で危機を発信していますがまるで「炭鉱のカナリア」そのもののようです。

人類が滅亡の危険になるとき、自然災害などの異常が発生する予兆、そして時代の変化の時に身を捨ててでも人々を守ろうとするカナリアです。これはまさか自画自賛をしたいのではありません、まさにもう心身もボロボロの満身創痍の状態で薄氷の上を戦々恐々として歩む心境ゆえにそう自称したのです。

こういう時、西条八十の童謡「かなりや」を心を頼りに歩んでいるのです。

「歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは背戸の小薮に埋めましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリヤは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」

これは西条八十が詩を捨てようかどうかと思い悩むときに作詞したものだといいます。居場所を見つけて美しい詩を奏でられるという希望を子どもたちに伝えようと謳ったものだと言います。人間の愛や美しさを信じるからこそ唄を忘れることはありません。

聴福庵の声を私がもしも世界へと届けるのなら、「炭鉱のカナリア」の遺志を伝えるのみです。いよいよ聴福庵は、始動を開始するうぶ声をあげはじめました。しっかりと見守り共に歩んでいきたいと思います。

 

 

 

いい循環

世の中には「いい会社」というものがあります。そのいい会社とは何か、それを話し合い定義しなければいい会社が何かはわからないものです。たとえば、成功している会社とか、成長する会社とか、給与や休みが多い会社とか、自由な会社とかいろいろとあるものです。

実際に人間にはそれぞれに価値観もあり、自分に都合のよいものをいいと言いますからいい会社も多種多様に存在するものです。実際にいい会社とは何か、それを定義するものがなければ人はいい会社のこともまたわかりません。

しかしいい会社と呼ばれる会社には、本来普遍的に流れている一つのものがあるように思います。それは「徳」というものです。これは会社に限らず、人も同様に「いい人」とは何かということの定義も同じです。

この「いい」とは「徳」のことを指すのです。

この徳のことは最近は誤解されていることが多いように思います。一つは、何かお得な人物や特別な能力がある人を徳があるといったり、もしくは聖人君子みたいない人物が徳のある人などと言われます。しかしそんな人は最初から徳があるわけではなく、生まれつきの個性だったりもします。

本来の徳は、後天的に精進して磨いていくものです。それは人間として大切な道徳心を磨くこと。たとえば、誠実であること、約束を守ること、生き方を貫くこと、真心を盡すことなどによって徳を積んでいくのです。

徳を積んでいけば、次第に「いい人」になっていきますし、徳を積む人たちが増えれば「いい会社「になる、そしていい会社が増えれば当然日本は「いい国」になり、徳が日本に増えれば「いい世界」になるのです。

徳を積む人たちの背中から私たちは徳の本体を学び、その徳を守り自分もまた徳を積んでいくことで「いい循環」はつながり永続的にその徳は天の蔵に貯金されて子孫たちの繁栄と発展に寄与していくのです。

「いい会社」になることがゴールではなく、徳を積んでいくことがゴールなのです。

いい会社かどうかを査定したり比較したりする前に、何のために「いいこと」をするのかを定義することが大切だと私は思います。

引き続き、私も子どもたちにとっていい人、いい会社になるためにも常識に囚われず至誠を貫いていきたいと思います。

 

自分の選んだ道

人生は生き方で決まるものです。その人がどのような生き方をすると決めたか、それがまずすべてにおいて先でありその後に結果としてどのようなことを為したかが追いかけてくるものです。

結果を出したから生き方が決まったのではなく、生き方が決まっているから結果もまた出てくるということです。その結果とは何か、それは単なる世間的な成功などというものではありません。生き方が現れるというのは、その人が死んだときに生前の人柄や生き様の価値が人々の心を通して世の中に顕現してくるのです。

生き方は常に心の中にあるということでしょう。

しかしその生き方を選ぶには、日ごろから自分の中で定めた初心や覚悟を常に優先していこうとする心の作法が必要になります。

一般的には人間は職業上の立場や肩書、世間体などを気にして自分の行動を決めたりするものです。世の中の常識に従っていることで身の安全も保障されますし、周囲の偏見や差別に受けなくなります。しかし、それは生き方を選んだのではなく無難な方を選んだということです。

人生の挑戦とは何か、それは何も巨大な敵に挑むことでもなく、まったくやったことがないことに挑むことでもなく、未知なことに手を出すということでもありません。

人生の挑戦とは、生き方を貫くと決めることなのです。

生き方を貫くと決めた時から、後悔しない人生を歩むためにありとあらゆる日々の決断や決心を自分の心に問いかけて行動に移していく必要があります。それがたとえ世間から「狂っている」と言われようと、「馬鹿げている」と笑われようと、それは生き方だから自信をもって歩んでいくのです。

そうやって一人一人がその生き方の背中を子どもたちに見せていくのなら、いつかきっと世界はお互いを真に尊重できる平等で誰しもが納得できる平和な世の中になっていくでしょう。

日々は生き方の連続ですから、決して油断はできません。常に自分を磨き上げ、生き方を貫けるように自分の選んだ道に誇りを持ち続けたいと思います。

山を育てる

先日、京都の鞍馬山に訪問して倒木で山が破壊されている惨状を見てきました。昨年の台風の猛威の爪痕が激しく、山肌が丸ごと裸になり、木々が何かに抉られたように折れたり根っこからひっくり返ったりしていました。

お話をお聴きしていたのと目の当たりにするのは全く別もので、自然災害というものの大きさ、その巨大な力には畏怖の念だけが湧いてくるだけです。これからどのように木々を片付けて新しい山にしていくか、お寺も100年後、1000年後を見据えて復興計画を練り直しておられるようでした。

山には林業というものがあります。これは森林を育てて、人間生活に利用するのを目的とする産業のことをいいます。私たちは都市に住んでいますが、むかしは里山といって山と里が調和した暮らしを実現していました。山と暮らしていくことで、山の恩恵を受けて私たちは暮らしを維持していました。

その山を手入れしていたのは人間であり、人間が森林と上手に付き合っていく中でその山を育て人間と共生していくように仕組み化されていたのです。現在では山は荒れ放題になってきて、人間と共生できないような山が増えています。

林業では様々な諺があります。

「一年の計は田を作るにあり、十年の計は木を植えるにあり、末代の計は人を教えるにあり。人のまさに死せんとするや、その頭まず禿げ、一国の亡びんとするやその山まず禿ぐ。一国の盛衰はその山林を見ればわかる。児童なき人民は希望なき未来を有し、樹木なき国家はまたこれと相似たり。河を治むるはその源を養うにあり、源を治むるは山を治むるにあり、樹芸の道ここにおいて過大なり。森林は著しき酸素の製造所にして、炭酸ガスの消滅所なり。」

一年の計は田んぼをつくること、十年の計は木を植えること、永遠の計は人間を育成することである。まさにその通りです。さらに人が死ぬとき頭が禿げていくように山も死ぬときは山も禿げていく、一国の様相は山の姿を観ればわかると続きます。

かつて奈良に「日本林業の父」と呼ばれる土倉庄三郎という人物がいました。この人物は、林業だけに留まらず治山、道路整備や日本の教育、文化を支援を行いました。しかしこれは林業の本質につながっているように感じます。たとえばこう言います。

「林業にとって、もっとも重要な作業は何だろうか。すぐに頭に浮かぶのは、樹木の伐採だろう。だがそれ以上に重要なのは木材の搬出である。伐採だけなら、オノやノコギリがあれば個人でも可能だ。しかし倒した大木を人里まで運ばなければ木材として利用しようがない。しかし木材は重くてかさばる。動力機のない時代、木材を運ぶには多くの人力と斜面や川の流れを利用した大がかりなシステムが必要だった。だから林業の要は、木材の搬出にあるのだ。」(樹喜王 土倉庄三郎より)

木材を搬出するには、道を切り拓く必要があります。道路整備は林業には欠かせません、また人材教育もまた山を守るためにも必要ですし、田んぼの維持のためにも必要です。そして文化も日本のために必要なものでこの根があるから木が育ち山を保てるのです。

林業というものは奥深く、山を仰ぎ見るときそこに山を育ててきた人間の智慧と人格を感じます。もう一つ、こういう諺があるのを知りました。

「造林は親を細めて、子太る。木を立てて、見せてセガレに、親となる。夫婦仲なら焼いても良いが、焼いていけない家と山。山は裸で器量が下がる、植えて緑の晴れ姿。山高きがゆえに尊からず、木をあるをもって、尊むべし。盆の仏は、家には行かず、まず山に行く。学者と大木はにわかにできぬ。」

山の姿の中に人間のあるべき姿が観得てきます。山に入れば山から学び、何かを頂いて外で出てくる。以前、千日回峰行の僧侶の方が山で自らを磨き上げ山から掴んだ智慧を民衆に伝道していこうとされていたお話を思い出しました。

山にはそれだけ人間を真の意味で学び直させる何か、空気感というか「気」があるようにも思います。その気を学び直すことは、元氣を学び直すことですから人間は山を求め道を探すのかもしれません。

鞍馬山がどのように甦生していくのか見守りながら、私も日本の甦生に向けて100年、1000年後を見据えて山を育てていきたいと思います。

歴史を学ぶこと

私たちは本である場所のその過去のことを知ることができますが、本当に過去を知るためには現地に赴き自分の足で確かめていかなければ本当のことはわからないものです。

王陽明に「知行合一」というものがあります。知識と行為は一体であるということ。本当の知は実践を伴わなければならないということ。つまり知識と行為はバラバラではなく本来は一体であるということ。知識と行動が一致することを実践といい、この実践することなしに本当に知るということはあり得ないということです。

歴史も同様に、過去の知識がいくら残っていたとしてもそれを自分が知ろうと行動していかなければ歴史も単なる知識として理解してしまい中身のない文字だけのものになってしまいます。

歴史を学ぶということは、職人が技術を学ぶことと同じように真摯に何度も実践し深め本質に近づいていくように骨身を削って達していくことに似ています。そしてそこで得た本物の知識のみ本当に役に立つものになるのです。

この「知る」ということは、骨身を削ったり辛苦を味わったりしなければ知ることはありませんから楽して便利に手に入るものは所詮、同様に便利に簡単に使えなくなっていきます。逆に大変でも苦労して手に入ったものは、いつまでも使い続けることができます。

いくら仮想で脳が現実を補ったとしても、心を籠めて身体を使っていなければその穴埋めは脳の知識だけではできません。人間は脳を使うとき、同時に真心や身体的努力を用いて現実というものを感受することで真実を得ることができるように思います。

だからこそ、まずは心と体、つまり行動を先にして脳はそのあと使っていくというような生き方をしていなければ知行合一することは難しいように思います。言い換えれば、今のような時代はまず行動をして知り、知ったことをまた行動で省みるというようにつねに生の人生を体験し続けて味わい続けるというような学問の姿勢が問われるように思います。

歴史も同様に、現地にまずは趣き自分の足でその土地や地理を確かめていく。その土地の文化や風土、人々に触れて話をよく聴いてそこに残存する空気や気配を感じ取る。そのうえで、歴史の記録を辿りながら記憶をつなぎ合わせて本当のことをつなぎ合わせていくということが歴史をものにしていくことではないかと思います。

歴史がものになればどうなるか、それは生き方がものになることであり人類のこれからを確かめるということになるのです。私が現地でつぶさに歴史を学ぶために足を運び何年も深め続けるのは、人間というものを深く知りたいからでもあります。

先人や先祖たちの生き方の中に、今を生きるヒントがありそして答えがあります。

子どもたちが安心して暮らしていける社會のために、知行合一に歴史を学び直していきたいと思います。

本物の経済人~世直しの仕組み~

二宮尊徳の弟子たちが残したものに二宮翁夜話があります。これは二宮尊徳の門弟、福住正兄が身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理して尊徳の言行を記した書のことです。

この夜話には、二宮尊徳の思想や具体的な行動が記録されています。その夜話231条の記録の中に「神儒仏正味一粒丸」という言葉があります。

「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり。ゆえに予は高尚を尊ばず卑近を厭わず、この三道の正味のみを取れり。正味とは人界に切用なるをいう。切用なるを取りて切用ならぬを捨てて、人界無上の教えを立つ、これを報徳教という。戯れに名付けて神儒仏正味一粒丸という。その効用の広大なることあえて数うべからず」

どのように世直しをしていくか、その善いところだけを合わせて団子のように丸めて薬にして人々に与えるという発想。この「正味」という字は、余分のものを取り除いた中身、本当の中身という意味です。二宮尊徳は、報徳という考え方はこの3つを合わせてできたということを暗に意味しています。

そしてこの報徳を実現することを報徳仕法を実践することとしました。

「農村の復興・改革という報徳仕法の実践面は、勤労、分度、積小為大、そして、推譲から成っていると考えられる。つまり、まず分度を立て、その分度を守りつつ勤勉に働く。最初は小さな成果しか得られないかもしれないが、それを継続し、積み重ねれば大きな成果が生まれる。成果が生まれたら、いたずらに浪費するのではなくそれを家族や子孫、他人や社会のために役立てる。一言に集約すると『勤倹譲』(勤労、倹約、推譲)と表現されることになり、これらが報徳仕法の実践である」

これは現在のソーシャルビジネスにも通じており、尊徳はもうずっと前に経済で生み出される人間の貧困の問題を解決するための方法を発見しそれを具体的に実現し成果を出していたのです。その後、明治維新により西洋化を急速に進める中で報徳仕法は失われましたが世界を救う世直しの仕組みとしてこれ以上のものは産み出されていないのです。

二宮尊徳がこの仕法に気づくキッカケになったのは、大飢饉と飢餓です。自身の人生の苦労から一生涯を懸けてこの問題の解決に取り組んだ方なのです。グラミン銀行のムハマド・ユヌス氏もグラミン銀行の創設の理由を同じようにこう語っています。

「グラミン銀行設立のきっかけは1974年の大飢饉でした。当時、私は米国の大学で博士号を取得して帰国したばかりで、大学で経済学を教えていました。若くして自信満々でしたが、いくら経済の知識を持っていても餓死していく人々を救えませんでした。」

人が貧困や飢餓で死んでいく現状を心底憂い、なぜこうなるのかと社会構造全体の変革について挑戦した人物たち。まさに経済の道の中で、世直しを実行しようとした本物の経済人たち。

このような人たちが、経済というものの本質を見極め、経済とは何のためにあるのかということをシンプルに語り掛けてきます。

「貧困は人災である。貧困のない世界を創る。貧しい人々は力さえ与えれば、チャンスさえ与えれば、才能さえ引き出せれば自立できる、そしてよりよい社会を創り上げることができる。すべての人に尊厳、自由、平和の保障された生活を」と。

今一度、私たちは深く考えなければなりません。

貧富の差の本質とは何か、格差社会の本質とは何か、同じ人間がなぜこのように差別されてしまうのか。それはすべて「心の問題である」と気づいた人たちが世の中を変えていくのです。どうせこの先、行き詰まる世の中で必ず人類の誰かがそれに気づき立ち上がりみんなを動かし世界は変わります。

その過渡期にある私たちは、その問題にみんなで勇気をもって向き合う必要が出てきます。人類の平和や仕合せとは何なのか、本当の暮らしは、本物の人生はどのようなものであるべきか。

道の途中ですから、今を真摯に学び直しながら人生の正味を練り上げていきたいと思います。