坦蕩々

生きていると日々に大変なことが発生します。理想が高ければ高いほど、また純粋であればあるほどに思い通りにはならないような出来事が波のように押し寄せてくるものです。

その都度、心や感情はざわつきますが生き方を訓練する機会として日々の初心に立ち返り自分を大切にしていけば波風は収まってくるものです。

以前、ある方に「波がたっても風を立てるな」と教えていただいたことがあります。その方も、心を澄ませていく実践を日々に取り組んでおられる方で生き方の訓練によって安心の境地を会得しておられました。

人間には偽りの自分と本来の自分というものが誰にしろあり、日々の暮らしの中でその自分自身をしっかりと見つめているからこそ本当の自分を磨いていくことができるように思います。

そのために学問はあり、学問は自己を修養するために存在するのです。孔子が  「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」と言いましたが、周りの目を気にして評判や評価のために勉強しているだけでは自分のことをさらに誤魔化していくばかりです。

何のために学ぶのかということを、腹に据えて人間学に取り組む人たちは真摯に自己と向き合い自分の与えられた使命に粛々と楽しんで取り組んでいけるように思います。これが楽しくなくなるのは、まだまだ学問が本当の意味で自分のためのものになっていないからかもしれません。

中江藤樹はこう言います。

「順境にいても安んじ 逆境にいても安んじ 常に坦蕩々として苦しめるところなし これを真楽というなり 萬の苦を逃れ 真楽を得るを学問のめあてとす」

意訳ですが、順調であろうが逆境であろうが、上手くいこうがいかまいが、自分にとって最高の状態でも、もしくは酷く悪い状況の時ですら、傲慢にならず慢心せず謙虚に心は静かに落ち着いたままで同じ処に居て安定し安心している。常に心は「平のまま」で波風を立てることもなく日常のように実践を続けて煩悶とすることがない。これらの安心立命の境地こそ「真楽」というのである。すべての自我妄執の苦難を切り抜け、この真楽を会得することが学問の本懐であると。この真楽とはまさに、もっとも深い感謝であり仕合せの学びの境地です。学問が楽しくて仕方がないのでしょう。人生をもっとも有意義に活かしきった姿です。

孔子はこうも言います。

「子曰わく、君子は坦(たいら)かに蕩蕩(とうとう)たり。小人は長(とこしな)えに戚戚(せきせき)たり。」

これも意訳ですが、自分を磨いていく人物は順逆の状況でも常に初心を保ち波風立てずに穏やかでゆとりがある。この逆に日々に磨かない人はつまらないことにいちいち波風立てて迷走し不安になり、落ち着きが無く自分や未来の心配ばかりをしている。そうならないように学問があり、人は人間を磨く学問がある御蔭で時々の状況で大きく崩れなくなるのかもしれません。

この孔子の言う「坦蕩蕩」、まさに平らで大らか、いい言葉です。もしも一人一人が、この「坦蕩蕩制」をやったらこの世の中は君子が増えて人々がみんな安心立命しながら笑い合い助け合い真楽の世の中を築けるかもしれません。

日々の実践は、大変な時にも生き方を貫けるかどうかで試されます。順境も逆境も人生を磨くための試金石です。時間という手助けもありますから、また原点回帰して根さえ残っていればそこから新たな芽が生えだしてきます。甦生や新生はいのちの常です。

日々に気楽に極楽に頑張らずに無理をせずに坦蕩蕩と、そうやって真楽の境地を得て子どもたちに安心立命することの価値や意味を伝承していきたいと思います。

見守る側としての心構えと心がけを楽しんでいきたいと思います。

 

自分を大切にするということ

中江藤樹の「致良知」という言葉があります。これは今の時代は素直になり切ること、真心のままになること、人徳を究めることなどと定義してもいいかもしれません。中江藤樹は人間には誰にしろ「良知」という美しい心を持って生まれているといいました。これは虚心赤心でもあります。まるで生まれたての赤ちゃんがはじめから周囲を信頼仕切らないと生きていけないように生まれながらにしてすべてのいのちと仲よく親しみ睦み合い尊敬し合い認め合う心が備わっているということです。

私の日ごろからの言い方では、これを「初心を大切にする」とも言います。しかし人間は日々の私欲が我欲、また感謝を忘れて足るを知らなくなってくるとその初心が曇っていき本来の備わっていた真心を見失ってしまいます。そうならないためにも、日々に内省し自分の心にだぶついてくるその欲を洗い清めていく必要があります。

そのために中江藤樹が実践したのは「五事を正す」というものです。これは「貌、言、視、聴、思」を常に意識するということです。つまり和やかな顔つきをし、思いやりのあることばで話しかけ、澄んだ目でものごとを見つめ、耳を傾けて人の話を聴き、真心をこめて相手のことを思いやるということです。

この平易な言葉で説明できる五事は、実際に自己観察してみるとすぐに我が入りこみ以上のような心のままでいることは難しい状態です。だからこそ、普段から自分の心と向き合い、自分の心を大切にし、心の命じるままに心を実践していく必要があります。

その心の実践で今の時代で大切にした方がいいと私が感じるのは「自分を大切にすること」のように思います。これは自分を優先すればいい、自分勝手にすればいい、我儘を聞いてあげればいいという意味ではありません。それに、単に自分を守ればいいということでもありません。

これは自分に孝行するということです。言い換えれば自分を敬うのです。

中江藤樹はこう言います、「私たちの心や体は、父母からうけたものであり、父母の心や体は、先祖からうけつがれたものであります。それはもともと、大自然から授かったものです。孝行とは、父母を大切にし、先祖を尊び、大自然をうやまうことです。そのためには自らの良知をみがき、体をすこやかにし、行いを正しくし、家族やまわりの人々と仲よく親しみ合うことが大切です。さらに、子どもをあたたかい心でしっかりと育てることも孝行です。」

自分を大切にするというのは、ご先祖様からいただいたこの借り物の自分を大切にしていくということです。そのためにはご先祖様を敬い、今の自分を育ててくださった父母や周囲の環境を敬い、日々に自他を愛して優しく思いやりの日常を過ごしていくということです。同様に子孫たちにも、その孝行を盡していくことが「自分を大切にする」ということなのです。

自分を大切にする人は、致良知が磨かれていきます。そして噓偽りない真心の人になっていきます。「自分を大切にする」とはつまり自分に嘘をつかず自分を誤魔化さず自分を責めず、自分に奢らず、自分を粗末にせず、親孝行や子どもたちをあたたかい心で見守るときのように自分自身に接していくということなのです。

時代を超えて、中江藤樹が大切にした生き方は今の時代の人々の生きる指南になっていきます。先人を敬い、本来の学問を子どもたちに伝承していきたいと思います。

聴福人の習慣

人の話を聴くのにおいて、「信じて聴く」ということは大切なことです。これはきっと善いことになっていくという信念で聴いているとも言えます。さらに話を聴くことの前提に、相手のことを丸ごと信じている状態になっている必要があります。

つまりは自分自身が聴ける状態であるか、それは自分自身が何を信じて話を聴いているか、自分の信じるということへの哲学や信念が聴くことに現れているのです。

よく話を聞くとき、正しいや間違いなどを指摘しようとするものです。それは信じて聴くこととはあまり関係がなく正しい答えを教えているだけです。正しい答えを聞くことはその人にとっては正解ではなく、その人たちが本当に欲しているのは信じてほしいということがほとんどです。

自分自身が生きていく上で、自分を信じられなくなる時、丸ごと信じて聴いてくださる存在に人は救われるからです。私もそれを幾度も体験しています。

今の自分があるのは、自分が信じることができなくなるような出来事で葛藤するときそれをじっと丸ごと信じてただ聴いてくださった方があったからです。

単に聞いて正論を教えてくれたことがあっても、それは長続きせずその場はわかった気になってもまたすぐに不安や心配になります。しかし丸ごと信じてくれた存在が見守ってくれていると思えると安心して不安も払拭していけます。

つまり心で聴くというのは、相手の心を信じるということと同義なのです。

聴くことができる人は、どんなことがあっても天の声だと素直にメッセージを受け取ることができます。そのメッセージは、「必ず天は最善にしてくださっている」といった全体善に原点回帰していくことを自覚するものばかりだからです。

だからこそ自分の心がどうなっているか、他人の話を聴く前に整えておくのが聴福人の実践なのです。そして聴福人であり続けるためには、日ごろの過ごし方に心を整える内省という習慣が必要になります。

丸ごと善で聴く、丸ごと信じて聴くというのは、日々の御縁を信じて前向きに明るく生き、生涯学習を続けて自己を修めていくという習慣を維持していくということです。私のこのブログもまた、聴福人の実践の一つです。

引き続き、子どもたちが安心して育ち、見守りを感じ続けられるように怠らず努めていきたいと思います。

襤褸の心

先日、聴福庵の離れの古布の襤褸を眺めながら改めて「ぼろ」の意味などを深めていました。私は人生の中でよくこの「ぼろぼろになっている」という気持ちになる体験から多く、そんな状態であっても信念に従って真心を盡したいと挑戦し続けてきました。今年は「許し」をテーマに取り組んでいますが、この襤褸と許しはとても密接に関連しているように思います。

そもそもこの襤褸というのは、襤褸と書いて「ぼろ」と呼び、擬態語のぼろぼろも同じ意味です。江戸時代以前、綿布を刺し子という技法で強化されたり穴があくと継ぎを当てボロボロになるまで使い込まれ、なおかつ裂き織りという形で布の命が尽きるまで最期まで使い切られていました。一代だけで着終わるのではなく、遺り続ける入り子々孫々の方々に大切に着られてきたものです。

これがフランスのファッション界に評価され、今では「BORO」として世界共通語となり欧米の染織美術・現代美術のコレクターの人気になっているとも言います。

このいのちを尊重して大切に使い切るというのは自他を思いやる心に充ちているようにも思います。そしてこの襤褸ほど許しに満ちているものはないように私は思うのです。

自分というものを削ぎ落していく中で、遺ったものが何か。ことわざに「ぼろが出る」という言葉もあります。隠していた本当の自分が出てくる、認めていなかった自分と向き合う、いくら表に出ないようにと振舞っていても自分自身のことは自分が一番身近でよく知っているのです。

それをいくら責めて心をひた隠しにしていても、心は限界になって表に出てきます。そしてぼろが出るのです。この襤褸とは自分自身のありのままの姿のことで、あるがままの心の現実のことです。

それを如何に許すか、つまりは自分を認めるかというのはとても難しいことです。自分のことをわかってもらえない、自分を理解してもらえないと辛く苦しみますが、それは自分が自分のことをわかってあげようとしないことから発生します。

自分というものを直視するのは、あるがままの自分を許し認めることが必要です。直視せずにいくら偽ってもぼろぼろになるだけで本当の自分という襤褸になるわけではないのです。

そのままでも美しい、あるがままでも必要価値があるというこの襤褸の心は私には必要不可欠なものです。まだまだ時間がかかりますが、経年変化とともに磨かれてそぎ落とされていくその凛として美しさに恥じないように私も学び直しを続けていきたいと思います。

棟梁の心構えと心意気

150年古民家、聴福庵の天井板の張替えを先週から行っていますが今まで見ることもなかった立派な梁が現れてきました。重厚で歴史を刻んだ雰囲気のある飴色の偉大な梁は、屋根を支えるだけでなく家全体のバランスを保つ力の中心です。

改めてよくよく観察すると、大変なエネルギーが漲っておりその梁が家を保ち支えているのを感じてこれこそ家守主人の力の源泉であることを実感しました。大黒柱、小国柱などのすべての柱を繋ぎ橋渡しをするこの梁は、家のいのちの最重要部分ではないかと実感するのです。

改めて「梁」を深めるとこの梁という漢字の成り立ちは、水に両木をかけわたす形であると書かれます。これは「川の上を木で渡す橋」の意味で家の場合は内(うち)ですから内張り(内張)になりそれが、梁(はり)となったといいます。また他にもつっかい棒のことを「ばり」ということもあるそうでこの梁もばりも「張り」から来ているともいいます。この張りは「腫れる」が語源で丸く膨れた状態をいいます。漲るという字も、先頭に立つ勢い、力が充ち溢れるという意味で張り(梁)と同義です。

家をあらゆる自然災害から守るのが屋根瓦でしたが、その屋根瓦のすべての重みを受け止めて支えるのが「梁」です。すべての柱の上に水平に横たわりその重みをグッと堪えて偲び支えていく。まさに組織であれば中心核、大工ではすべての職人をまとめる頭、会社であればそれは社長であり、国家であれば大統領の役目です。大統領という字の統領は、棟梁から翻訳されたものです。そして家を建てるには棟上げという祭祀があるように、棟は家の天辺にあり屋根を司り安定を保ち続けます。

この「棟と梁」は常に一家の建物を支える重要な部分であり棟梁は集団の統率する中心的人物ですからそこから家を支えるもっとも重要な人物が棟(むね)や梁(はり)ということでそれを親方ではなく、粋で匠に優れ最も尊敬される人物という意味も込めて人々から「棟梁」と呼ばれ神を祭ってきたといいます。したがって棟梁になれる人は一家、一国、一族、一門の統率者であり中心となる人物が選ばれていたのです。

梁がむき出しになった天井を、聴福庵をずっと手掛けてくださっている棟梁と一緒にその梁を眺めていると棟梁が「このままいつまでもずっと梁を眺めていたい」と小さく呟いておられました。私も、屋根裏で日ごろは天井板によって隠れて日の目を見ないその姿を観て心に深く染み入る感動と尊敬の念を感じました。

家をもっとも支える存在とは観えないところをしっかりと全員の橋渡しをしている陰徳的存在なのかと感じ、改めて本来のリーダーや総責任者、そして主人としての覚悟を学び直した気がします。

私はこの古民家甦生そのものが経営の師であり人生の先生になりました。これは決して人間ではないし言葉で教えることはないけれど、そこには確かに人間としての生き方の証が随所に智慧として伝承されていたからです。私は今もこの伝統的な家によって保育をしていただいています。

世間は私のことを古民家好きな人や、普請道楽、また骨董趣味やマニアックな人などと勝手に評されたりします。そして本業の仕事もせずに古民家ばかり没頭していると周りからもいわれます。しかし私はその家から自分自身の生き方の研修をしていただき、生き様のご指導をいただき、自分自身を苦労によって成長させていただきました。実践とはその境地で没頭するまでやっていることを言うのであり、事物一体に真剣に没入しなければ学んだことにならないからです。ご縁を活かすというというのはそういうことなのです。

私はこの家から棟梁としての心構え、そして棟梁たる陰徳の心意気の意味など家から学ばせていただきました。きっと傍から見ても変人のように楽しんでやっていますからただの古民家狂いに見えるかもしれませんが、私はその都度に職人や道具からむかしの人々の心と対話し、智慧を伝承し、それを子どもたちの生き方に伝道していこうと思っているのです。そしてそれが保育の仕事につながっているからです。

暮らしとは本来、日々の心の持ち方のことであり、それをどのように美しいものにするか。そして道徳とはまさにその生き様としての実践をどのように積み重ねていくかということの連続なのです。実践とは現場で努力して高い志で深く学び続けることをいい、知識を単に増やすことではありません。実践するには苦労して楽しく道を歩む必要があり、学問を深め正しく実行することではじめて前進するのです。

つまりやっていることが良いか悪いか、正しいか間違っているか、関係あるかないかではなく果たして学んでいるか実践しているかが大切なのです。まさに匠とはそういう人物のことかもしれません。

引き続き、子ども第一義の理念に沿って深く広く学んでいきたいと思います。

かんながらの夢

先日、御縁あって東京の泉岳寺にお伺いすることがありました。忠臣蔵で有名な赤穂四十七義士の墓があるところでもあります。墓地では年齢が多様な日本人の参拝者が多くあり歴史の篩にかけられても未だに忘れられてはいません。

今の時代ではこの忠臣蔵の出来事の本質を深めようとするような学問も少なくなり、道徳が荒廃すればするほどにこの義士たちの理念が忘れ去られていくように思います。道徳の荒廃は大げさに聞こえるかもしれませんが私たち日本の民の原点から守り続けてきた生き方が失われていくことでもあります。

日本人が親祖より最も大切にしてきた生き方を守り続けるということは、言い換えれば子々孫々まで親祖の理念を維持していくということです。神社のお役目も本来はそうであったはずで天皇もまた祭祀によって理念を守り続けていらっしゃいます。そして世界のそれぞれの国には日本と同様にそれぞれのはじまりがあり、多様な国家や民族はそれぞれにその場所でその風土で誕生した道を歩み続けています。本来の道(聖道)から外れるとき、その聖道は途絶えます。途絶えさせないようにその時代時代の忠義の人物たちが理念を守り続けるから私たちは先祖の遺徳に感謝していくことができます。その遺徳を顕現させるものたちこそが義士なのです。

この義士は、先ほどの赤穂義士でも使われますがその定義は「人間としての正しい道を堅く守り行う男子。」ということです。この人間としての正しい道とは、道徳に則った人物ということになります。この道徳は、天地の至誠とも呼び、天地にあって常に中庸を貫き真心を盡すということのように思います。

赤穂義士たちの師は、山鹿素行です。山鹿素行と言えば、古学を究めた人物ですがこのアジアの原点や根本を突き詰めて達した人物です。私の定義する「かんながら」はこの山鹿素行と同じく自然です。山鹿素行はこのことを「天地」と定義します。

「天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、生々無息造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、人民をして是れによらしむるゆゑん也」

この世のすべての生成者は天地であり、永遠の道もまたここにある。聖人とは、この道を守り続ける人物であるといいます。何が人間の自然であるか、根本を説いています。故に「天地これ師なり、事物これ師なり」と言います。本物の師とは、天地のことである、その天地に生きる私たちの師は出会いであるとも。だからこそこう続きます。

「天地ほど正しく全き師あらんや。ただ天地を師とせよ。天地何を好み何をか嫌う。ただ万物を入れてよく万物になずまず、山川、江河、大地、何ものも形をあらわしてしかも載せずということなし」

この天地とは、自然の真心のことで風土の顕現した道理のことです。古来人はそれを神と呼びました。現代の神は、どこか人間の価値観で勝手に作りこまれたものを言いますが本来の神とはまさにこの風土のことを言うのです。天地のことを風土と呼び、その道を実践することを「かんながら」と私は呼ぶのです。

風土を改善するという私の夢は、言い換えるのなら風土に沿うということです。日本人であれば日本人の道徳を、日本の経営であれば日本らしい経営を、まさにその風土を師として風土を体現することが私のコンサルティングの中心なのです。

なぜならそれは親祖の祈りであり、孔子や聖人たちが願い続けた理想の道だからです。人類の平和はまさにその「風土を師と仰ぎ中庸を保つ」ということなのです。不思議にも今回のブログは私の遺言のようなものかもしれません。

義士たちがいつかここにたどり着くことがあるのなら、ぜひ一緒に問いかけてほしいと願います。「義」とは何かと、「志」とは何かと、そして「道」を想い直し「徳」を思い出してください。人類の成長を見守るのが保育であるのなら、私が子どものために何をしようとしていたのかを伝道してほしいのです。

最後に山鹿素行は学校を創りました、その学校はカタチは消えても心の中に存在し今でも子どもたちを見守り続けます。その学校は何か、こういいます。

「学問は天子より庶人に至るまで、一にこれ皆身を修むるをもって本となす。これを為すに学校が必要であり、学校と云うは民人に道徳を教えて、その風俗を正すの所を定むる事也。学も校もともにおしうるの字心にて、則ち学校の名也。学校のもうけは、上代の聖主もっぱら是れをもって天下の治道第一とする也。学校は、単に学問を教え、ものを読み習わせる所ではなく、道徳を教える所であり、つまり、人間を作るのが学校の目的である」

将来、私は学校を創りますが世の中の人が一般的に思っている学校とはあまりにも異なるかもしれません。しかしいつの日か、自然と調和し、人類がそれぞれに正しい道を歩んでいくことができるようにかんながらの夢を念じながら前進し続けていきたいと思います。

楽観力

人はポジティブとネガティブという思考を行き来することで感情が揺さぶられていくものです。喜怒哀楽を中心に複雑に入り組んでいる感情は、その人の心の表情として周囲の人間関係に影響を与えます。

いくら見た目が明るそうに見えてもその根が暗い状態であったり、見た目が暗くても実際はとても明るい状態である人もいます。つまりは人間は決して見た目と中身が同じではなく、自己を複雑にしながら社会で生活をしているといえます。

たとえば、他の動物でいえばほとんど顔の表情と心は同一で見た目通りの表情をします。犬であれば喜怒哀楽ははっきりしていますし、鳥もまたそのまま感情をさらけ出します。しかし人間は、見た目は喜んでいるように見せて実際は悲しんでいたりと、心と感情を別にしていくのです。これを何度も繰り返して自分を偽り続けると心と感情のバランスが崩れて疲れてしまうのです。

自分のままでいること、自分らしくいられる居場所があることは、自分の安心だけではなく周囲の安心をも創造します。安心できる場所があることで、自己のパフォーマンスを最大限発揮でき、他者の持ち味を活かしあうことができます。それができない状況は不安な環境に自分でしてしまうことです。自分を偽る理由はそれぞれにありますが、比較競争からのプライドであったり、もしくは自分自身がそういう生き方を続けてきたから自分の本来の姿が分からなくなったり、自分の価値観によって裁いていたりと様々にあります。

しかし最初からそうなったのではなく、過去の何らかの環境や出来事によってトラウマになったり、それによって自分が攻撃されたと思い込みずっと守ろうとしているとも言えます。

自然体でいいというのは、自分自身がオープンである環境を創り出すことです。何を言っても大丈夫、仲間がいつも見守ってくれているという意識で環境の一部になることが、見守る環境を準備することであり自分自身が安心していない状態で見守るというのは難しいのです。疑心暗鬼になり、いつ裏切られるかと見張り緊張しっぱなしの環境の中にいたら頑固になり空気も澱んでいきます。そのうち澱みが溜まり過ぎると流すことができなくなっていきます。いつまでもしつこく根に持つのは、物事をしなやかに受け流すことができないほど楽しくなくなってしまっているかもしれません。

実際に客観的に事実を観たらポジティブさもネガティブさもその中にどちらにも善いところがあります。常に自分自身がその善いところをみて自分自身の心の穢れや淀みを笑いによって澄ませていくことや、そのものを楽しんでいく工夫をすることでより見守り安心できる環境が醸成します。

楽しくないことを楽しくするには、善い側面を観ることや意味を深めて学ぶチャンスにするという前向きな心の態度が必要のように思います。前向きとは、今に集中して前進するということです。逃げると人はその思い出が辛い思い出になり、攻めると人はその思い出が楽しくなるといいます。つまり人生を楽しんでいる人はいつも逃げなかった人なのかもしれません。後悔をしたからこそ次こそはと楽しんでいくことが人生の醍醐味かもしれません。生き物はすべて前進していくことが人生の命題ですから、どんなことがあっても逃げずに前に進んでいこうと精進していくことで楽観力もまた高まってくるように思います。

根っから好きになり楽しくなるように働きながら子どもたちのモデルに近づいていきたいと思います。

 

乗り越えるということ

成長のことを思う時、自分の人生においてどこがもっとも成長したかと振り返るときそれは困難に立ち向かい困難を乗り越えた時のように思います。その困難は失敗の連続であったり、高い壁で八方ふさがりになったり、怪我や病気で苦しんだり、心身共に挫折したり、自分自身と向き合い「乗り越える」ことが求められた時のように思います。

この「乗り越える」とは何かといことです。

少し深めてみると、この乗り越えるのは順風満帆の時に使う言葉ではありません。逆境や困難の時に用いられます。人間は誰にしろ因果応報の原理が働きますから、今起きていることは過去の何かに起因しているものです。つまり変化は突然やった来たことではなく、必ずいつの日か起こりうる出来事がその時に発生したということになります。

その時、自分にとってはそれがとても受け容れ難い変化であり、その変化に順応しようと努力するとき、人はその意味を理解し努力をして乗り越えていくことができます。

この時の努力は、物事を福に転じたり、楽観的に今に集中したり、感謝にまで心を高めていくことをいいます。つまりは「心の持ち方を変えることができた」ということが乗り越えたということになるのです。

有難うという言葉も、難が有ると書いています。自分にとって困難な状況の時こそ、感謝で乗り越える、ありがとうで乗り切るという智慧が言葉に宿っています。

感謝の反対は当たり前といって、何でも当たり前になっていくとき困難に潰されていきます。ないものねだりではなく、如何にある方をみるか。そして足るを知り、頂いているものに感謝できるかが人を大きく成長させていくのかもしれません。

困難は人間を進歩向上するための砥石なのです。

一度しかない人生で、自分自身を向上させていくことは人格を磨き夢を実現するための唯一の手段です。歩みながら感謝、謙虚、そして素直と心の持ち方をどんな時でもその状態が維持できるように日々に精進していくしかありません。

子どもたちが憧れるような進歩向上を歩んでいきたいと思います。

 

感謝の節目

昨日、恩師の古希祝いと「保育の起源」出版記念会が東京で開催されました。全国各地から250名を超える人たちが駆けつけてくださり大盛況のうちに終了しました。これだけ多くの方々から尊敬され、慕われる先生を観ていると有難い気持ちと共に改めて尊敬の念が込みあげてきました。

私は人生の半分を恩師と共に歩み、まだ人も少ないときから恩師の信じるものを信じて歩んできました。なかなか理解されなかったり、賛同者も少ない中でも恩師の信じる言葉と信じた理想を信じて切り拓いてきたように思います。

人は何を信じるか、そして信じたことをどれだけやり切るかで人生の未来が変わってきます。昨日、あの場に集まった人たちと恩師の話をみんなで真剣に聴き入る光景を眺めながら同時にこれまで歩んできた私自身の20年の振り返りも行うことができました。子ども主体の保育を実践する徳のある方々の思いや熱意にこの今も支えられていることを感じ、ここまでの道のりへの感謝を改めて実感したからです。

恩師から人類についての話がありました。

人は一人では生きてはいけない、必ず集団の中で育児をする。そのことで人類は生き延びてこれたという智慧の話です。保育の大切さを改めて語られました。私も持続可能な社会や人類の平和、永遠の繁栄を願うからこそ恩師の言葉を信じてここまでやってきました。

その恩師に昨日は「貝の首飾り」をお贈りしました。これは、古代の人類が貝を絆のお守りにしたことからです。かつて貝は財宝であり宝そのものでした。そして貝は中のいのちを守る存在でした。最初に赤ちゃんが生まれると、その部族や家族が「あなたを支え見守ります」という証に貝を持参して子どもに贈りました。その貝を結んで首飾りにしてその子を守りました。外敵もその首飾りの貝の量を観て、それだけ多くの人が見守っている人を簡単には襲うことはできませんでした。貝は仲間の信頼と見守りの証となって、様々な困難からその人の一生を「信じ見守り合う」ことで守ったのです。人類の自立は、貝を渡すその時に定まったのです。

貝の首飾りは人類が何百年も何千年も集団を形成し、厳しい自然の中で助け合い暮らし生きてきた智慧の証だったのです。

そしてその貝には、私の魂の同志である福田康孝さんに6000年前の貝を磨いて「GIVINGTREE」と彫り込んでもらい、左右に「縁」と「恩」の貝でつないでもらいました。これは「ご縁とご恩に結ばれる中に真の’見守る’は存在している」という意味です。そして首飾りを彩る多様な種類の貝をつないで「個性を尊重し合って絆を結んだ」という意味も籠めています。

透明に光る貝は、透明な心で磨かれ美しい光を放っていました。その貝に会場に来た皆様に「ネガイ」を籠めて触れていただき「私は仲間です、私はあなたを支え見守ります」という真心を入れていただきその貝を恩師に贈りました。

貝の一生は宿主がなくなって貝殻になっても新しい宿主を探し求め、その形なくなるまでいのちを守り続ける存在です。海の砂浜で出会う貝は、みんなそうやって宿主を探して漂います。神社の宿り木や依り代のように、守るそのものを遷して守るのです。皆さんの「ネガイ」が込められた貝が、これからも恩師を支え見守ってくれることを願い一緒にお贈りしました。

これから恩師も新しいステージに向けて、また新たな挑戦がはじまります。

これまでの支えや見守りがさらに恩師の信じる力に転換され、これから人類に向けて保育を伝道できるように祈り私も真心を込めていのちを懸けて尽力していきたいと思います。

ありがとうございました。

 

自学自習の学問~初心~

人は忙しすぎると心が迷子になるものです。一体、自分がどこを歩んでいるのか、何のために歩んでいるのかを思い出せなくなります。ゆっくりと丁寧に自分の足元を踏み締めながら遠い目的地に向かって日々に歩んでいくのなら心は迷子になりませんが、忙しくなりすぎて不安や焦りが出てくると急にスピードが上がってしまうこともあります。

これはスピードが上がったから忙しくなったのか、それとも忙しいからスピードが上がるのかわかりませんが心が迷子になってしまわないように工夫するしかありません。

目の前のことに追われていくと、目の前のことをこなすだけで精一杯になるのは誰もが同じです。その時々に心が何を感じたか、自分が何を思ったか、外側の変化と合わせて内面の変化もまた一緒に味わうことで心身は成長していきます。

心が迷子にならないためには、初心を忘れないようにしていく必要があります。この初心というものは、どんなに修練を積んだ人物であっても忘れてしまうのです。かつて世阿弥が初心忘れるべからずの中で、自らの若き時の芸の未熟さを忘れてはならないとも言っています。人は次第に無意識に傲慢になりますから、つい若いときの屈辱や恥ずかしい気持ち、そこから一念発起したときの決心を忘れないことをいいます。なんでも慣れてくると次第にマンネリ化してきて新鮮な気持ちが失われていきます。自分の中で組み立てられたやり方でやっているうちに様々なことが分かった気になってしまいます。

分かった気にならないためには謙虚さが必要で、そのためには初心を忘れない工夫が必要です。つまりは学問のように常に深め続けて自ら磨き続けて高め続ける実践がいるのです。

それを日々にコツコツとブラッシュアップしていくことが初心を忘れていないともいえます。この初の心というのは、赤ちゃんの心のとも読み変えられます。どんなことからも丸ごと吸収していく好奇心の塊、その心です。年々、歳を経てくると赤ちゃんの頃の新鮮な気持ちが失われてしまいます。新鮮な気持ちを失わないで生きていく人は、赤ちゃんのままの心で居続けるということです。

心が迷子になるというのは、無理に大人になってしまって赤ちゃんの自分の心を置き去りにしたということでしょう。日々に振り返り、自分の心と対話していくことは自分はどうしたいのかと自問自答していく自学自習の楽問です。

子どもたちのためにも、子ども心を守るため、真心を大切にしながら日々に感謝で歩んでいきたいと思います。