文化とは何か

「文化」という言葉は明治時代に翻訳された言葉の一つです。英語、ラテン語ではこれをcultureと書き、意味は耕すや洗練、また私の意訳では素養や教養、たしなみや心得ともいいます。企業文化などで語られる文化は、その組織の価値観のことであり一つの目的や理念に対して洗練されて創造されたその企業らしさを企業文化と語られるのかもしれません。

そう考えてみると、この文化というものはそのものが磨かれ洗練され創造された一つのカタチであるともいえます。これは企業に限らず、個人でさえ文化を持っていることになります。よく美術や芸術、もしくは造形のすべてにいたるまで私たちが鑑賞しているものはそのものの「文化」のことであり、その人物が思想や精神、その全生命を真摯に注入して具現化させたものを文化として認識しているということでしょう。

文化というものを考えるとき、それを創っている担い手は何かということになります。結果が大事なのではなく、その洗練される過程こそが文化育成そのものであり、如何に磨き洗練させていくか、その洗練する過程の中で人々はその文化に共感し、その文化が明確に外に顕れ現実の世界の人々に伝えることができるに至るのです。

例えば、人間には素養というものがあります。その人らしい天真を、如何に掘り下げていくか、如何に耕していくか、人間を磨き上げて人格を高めていくか、そういうものが文化です。

その人物がどのような文化をもっているか、言い換えるのならその人物の理念がどのようなものであるか、その理念をみんなで磨きあげていく中ではじめてその理念は顕現して周囲を感化するに至るのです。

人格を養いそして修めると書いて「修養」とも言いますがまさに文化とはこの「修養」のことであり、その人物たちがどのように修養したかが文化の証明であると私は定義しています。

これから文化事業を始めるにあたり私はこの意味をもう一度、展開していくなかでご縁ある人々と語り合い磨き合いたいと思うのです。

歴史を省みるとどのような時代もその時代に全生命あらゆるものを懸けて生きた人々の修養の洗練があったからこそ文化が今でも光り輝き歴史遺産として遺っています。その文化を観照するとき、私はその時代の人々がそうであったように、今の時代であってもそう生きたいと願い祈るのです。

かつての先祖のようなものが今の時代では同じようできなくても、今の時代にしかできない洗練されたものが創造できるはずです。それを自らの内面に見出し、かつての先祖の生き方に恥じないように文化を耕し、自分自身を掘り下げ、無二の初心を子孫へと伝承していきたいと思います。

真実の花

世阿弥に「命には終あり。能には果あるべからず。」があります。これは人間の命には終わりがあっても、能を極めるのは果てがないということを言います。人間も同じく、人間の命には終わりがあっても人間を極めることには果てがありません。

そのことを示す漢字に「修身」があります。この修めるというのは、果てがないものを極め続けるということです。人間はすぐにわかった気になってわかることが悟ことのように思い違いしますが、それは知識の上で知っただけでそれが極めたことではないことは明白です。

極めるというのは、極め続けているという状態のことをいい、それはわからないものをわからないままに深め続けて改善を繰り返しているということです。

マンネリ化というものは、少し慣れたものをわかった気になりきっとこうだろうと思い込み磨くことをやめ、改善することを怠るときに発生するものです。分かることやできることなどの結果に重きを置くのではなく、そのものを極めていこうとするところに人間精進の鍵があるように思います。

世阿弥の遺した「風姿花伝」には、自分の花を咲かせることを極めると示されます。これを森信三氏は「一個の天真を宿している」といいます。それぞれに天から与えられている花を咲かそうとすれば、極め続けてその時々の花を咲かせて人生を全うしていかなければなりません。人生の命には終わりがあっても、まさに生き方や道には終わりがないということです。

世阿弥は、その時々の花を咲かせることをわかりやすく整理しています。これは自分の人生を省みて感じた一つの指標であったのかもしれません。そしていつか極め続けて真実の花を咲かすように説きます。そしてそれが「初心を忘るるべからず」に続きます。

この真実の花は、果てがありませんから常に分かった気にならずに学び直し続けて一生涯を懸命に傾け続けていく覚悟が要ります。分かることよりも、修めようとすること、極めようとすること、そこには初心を持ち続けて命果てるまで道を歩んでいこうとする根があります。

根から養分を吸い上げてまた土に帰るまで、人はその時々で真実の花を咲かせ続けていくために一所懸命になるのが人間そのものの至高の姿ではないかと感じます。引き続き、子どもたちにその時々の真実の花のままで接することができるように常に真心と脚下の実践に精進していきたいと思います。

ダイバーシティ&インクルージョン

現在、ダイバーシティ&インクルージョンといって世界では多様性の確保とそれを受け入れ活かすといった包摂を行うことでどの政府や企業でも取り組まれています。これは急激な変化に対応していくためには、画一的な人材ばかりを持つのではなく多様な能力を持つ人たちが自分の持ち味を活かして協力し様々な変化に対して柔軟に対応していくために必要であると実感しているからでもあります。

特に価値観が入れ替わるような世界の大きな変遷時期において、イノベーションはどの組織においても最大の課題です。日本は老舗企業が世界でもっとも多く、常に時代の変わり目にはそれぞれに変化を続けて数百年の歴史を築き上げてきました。そこには当然先ほどのダイバーシティ&インクルージョンは存在していたはずです。なぜなら多様性や包摂というものは、かつての和魂漢才や和魂洋才のように和魂を醸成し渡来するのよき文化を自分たちの文化に吸収していくということを行っていく過程で磨かれるプロセスの一つであるからです。

しかし私は現在で取り入れているこのダイバーシティ&インクルージョンには疑問を感じることが多々あります。それはいろいろな価値観を受け容れて多様な人々を活かすといいますが、そこに伝統とか理念というものがなければ結果的には烏合の衆のように渡り鳥が自分のことだけを考えて移動するようになってしまうからです。

伝統や理念というものは目的そのものです。本来、老舗にはそれがあってはじめて多様性も包摂も活かされてきたのであり、そこが弱くなっていればただ混沌とするだけの組織で変化に強いようにみえて柔軟性は失われていきます。多様でなければならない、包摂していないと文句を言っていたらかえって組織も硬直してしまうからです。自由の問題と同じく、伝統が失われていくから自由や不自由かが目立ってくるのであり改めて自分たちの理念が何かということを定め、それを歳月を磨きあげてきた伝統の極みまで掘りさげて常に理念を甦生させ続けているからこそこのダイバーシティ&インクルージョンは実現するのです。

私が伝統にこだわるのは甦生のためであり、初心伝承のためです。

引き続き、子どもたちが安心して自分らしく生きられる世の中にするために知行合一、様々な実践をしつつ本質に近づいていきたいと思います。

 

 

自由という教材

自由というものを深めていると創造や独創という言葉を直観するものです。つまりは一人ひとりは天才であり、その天才が自分自身を発掘するプロセスにおいて自分なりの方法で自分らしい答えを創出していくということです。

とことんまで天命を追求していけば、自分にしかできないことに人間は出会えるものです。そのうえで、自分の実体験から考えたことはすべて独創的で創造的なものですからそのプロセスを重んじることで人生は唯一無二の自分自身に近づいていくように思います。

自由という言葉は、そもそも誰とも比較しないという前提があります。似ている言葉では私の解釈ですが、独立不羈なども同義であろうと思います。これは辞書をひけば「他からの束縛を全く受けないこと。 他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。」とあります。その本質は「自らものを考え、それを行動に移し、移した行動については自ら責任を持つ。それが、独立不羈の精神」です。

本来の自由の意味をどれだけ深く理解しているか、そのためには常に自分自身と向き合い自分自身の人生のプロセスを味わえる芯の強さが必要になります。

そこに本物の自己自立があります。

徳と才を兼ね備えるには、自分のかけがえのない人生を自分自身が主人公として磨いていかなければなりません。世間の常識に縛られたり、誰かの制約を受けたり、そういうものを乗り越えて自分自身であり続ける精進があって自由を満喫することができます。

誰かから与えられた自由や不自由にばかり囚われ、自分自身であることを忘れてしまえば本当の自由は遠ざかるばかりです。

如何に世界でたった一人の自分を仕上げていくかは、その人の生き方次第です。自由という教材は、それだけその人を磨くには都合の善い価値のあるテーマです。本来の自由にどれだけの子どもたちが気づき、それを自分なりに咀嚼して世の中に唯一無二の個性を発揮していくことができるのか。

私自身の人生のプロセスを省みながら、その文化や存在価値をどのように次世代へと継承していくのか、新しい時代の教育と学校というものの復古創新を同志たちと共に進めていきたいと思います。

ボタを拾う

昨日は知人と一緒に、郷里のボタ山周辺で石炭を拾ってみました。石炭とは、数億年前の植物が完全に腐敗分解する前に地中に埋もれ、そこで長い期間地熱や地圧を受けて石炭化したことにより生成した物質の総称のことをいいます。

今では見たことも触ったこともない子どもたちも増えていますが、少し以前まではこの石炭が燃料やエネルギーとして私たちの近代化の発展を支えていた材料でした。石油も化石燃料ですが、この石炭もまた化石燃料です。豊かな湿地帯や水辺、砂や泥が多いところに巨大な森があったところから石炭は出てきます。かつてここ筑豊一帯は、大きな森に覆われていたことが分かっています。

そしてこの筑豊にはボタ山というものがあります。石炭でも燃えなくて使い道がないものを炭鉱夫はボタ(捨石)と呼び、それを捨てたところが山のようになっていることから名づけられました。このボタ山は、炭鉱閉山後は自治体から「負の遺産」として位置づけられることが多く石炭産業に代わる産業として炭鉱跡地に工業団地を造成したり、最近ではソーラーパネルを設置したりと急速に数が減ってきています。同時に日本の近代化を支えた石炭産業の象徴としてボタ山を恒久的に残し、維持管理していこうとする動きも出始めて歴史遺産として遺していこうという活動もあります。

郷里には、優美な美しさから「筑豊富士」と呼ばれる日本最大級のボタ山があります。これは大正7年から集積され始め、昭和40年の閉山までに10tトラック70万台分がたまっていきました。なんと高さ141メートル、敷地面積は22.4ヘクタールあります。

40年以上前に使われなくなったボタ山も、時代の流れと共に子どもたちには忘れ去られていきます。歴史というものは、学び直すことと価値を再発掘することでこれから生きる私たちに風土の大切な教えとして発展を約束してくれるものでした。なんでも均一化し、平均化していく世の中で、如何に風土の個性や歴史の価値、また文化の智慧を継承していくかは今の大人たちの課題です。

色々なご縁を味わいながら、歴史を学び直し、風土の魅力を再発見し、子どもたちに風土とは何か、文化とは何かを復古創新し、伝承していきたいと思います。

 

人生という鉱山~物語を仕立てる~

人生の中ではいろいろな出来事が起こります。それは予想のつくものもあれば、まったく予想外であることもあります。それは日常と非日常の異なりと同じく、予想がつくのが日常で予想外が非日常です。その両輪を行き来しながら人は一度しかない自分の人生の物語を自分で創造していくものです。

かつて文化庁長官を務めた河合隼雄さんは、心の専門家としてとても素晴らしい言葉をたくさん遺されています。私もこうやって日々に心に正対してブログを書いていますが、共感するものが多く、不思議なご縁を感じております。その河合隼雄さんの言葉で、

「物語の『主人公』は自分。人間は一人ひとり違うのですから、それぞれが自分の物語を作っていかなければなりません。」

「『せっかく生まれてきたこの世で、自分の人生をどのような物語に仕上げていこうか』という生き方の方が幸せなんです。」

があります。

人生はどうなっていくのかと不安がる前に、大切なのはこの自分の物語をどのように創造していこうかとしていくことこそが豊かな生き方であるということです。よく幼少期から周りの大人や学校で夢や目標を設定され、それに向かっていくように教えられます。しかしそうするとそうならなかったら不幸、叶わないことがよくないことのように勘違いしてしまうものです。

それよりも、どんな出来事があったにせよどのような物語にしようかと自分の人生を自分なりに物語にして楽しく豊かに語っていければそれはもう仕合せといっていいものです。この仕立てる仕合せというものは、自分なりに生きていいということあり、まるで一反の反物を自由に誰とも比較せずに織っていいんだよという天の声のようです。

比較競争し目標管理をすることが社会の通念になっている中で、如何に自分らしく自由に生きていくかはこの「物語」を仕上げていくという心持に由ります。

今日はどんな物語がある一日にしようかとワクワクドキドキし、一日の終わりにはどんなことがあった一日だったかと内省しご縁と仕合せに充実していく。こういう繰り返しによって人生の物語は彩られ、主人公としての自分に磨きがかかってくるのです。

昨日は、石炭のボタに文字を彫りこんで磨いて石と対話し歴史を感じ心が感動して泣いている人を観ました。その人は夜には私たちは炭鉱夫のようなものだとも言いました。人生の物語を主人公として生きていく人は、どんな出来事もご縁も出会いもすべてドラマチックにしロマンチックにしていきます。同じ人生であっても、心持一つでそれは変化していきますから純粋無垢な心をどのように仕立てていくかも自分次第です。

最後に河合隼雄氏の言葉です。

『人間というものは自分で自分を知らない鉱山のようなもの。自分を生きるということを考え始めると、「こんなこともできるんじゃないか、これもやれるんじゃないか」――と自分を発見することができます。』

これもできるこれもやれる、なんでもできるじゃないかと思うところに夢はあります。夢に向かって挑戦していきたいと思います。

子ども第一義の第一歩

明日からの天神さまのこども縁日の準備で故郷に帰ってきました。これからいつものように天神様に所縁のある掛け軸や木像、牛や梅などをお祀りし準備を整えていきます。天神様が喜んでいただけるだろうか、また古民家が喜んでいただけるだろうかその気持ちの中に古来からある日本のおもてなしの精神が入ります。

天神様の菅原道真公は、「和魂漢才」といって菅家遺誡には「わが国固有の精神と中国の学問と。また、この両者を融合すること。日本固有の精神を以って中国から伝来した学問を活用することの重要性を強調していう」と記されます。「菅家遺誡」は、菅家の子孫のために言い遺していく遺言のようなものです。

現代の西洋文化にとって代わられた姿を観ていると、菅原道真公はどこまで先を観通していたのかと畏敬の念が湧いてきます。

この和魂とは、大和魂のことを言い日本の民族精神のことを指します。たとえどのような海外からの技術が入ってこようとも、その根底に日本的精神があるのならどんな技術すらも柔軟に正しく活かすことができるということです。

現代は様々な新しい技術が渡来してきます、衣食住だけではなくそれはIT技術であったり、遺伝子組み換え技術であったり、核融合の技術であったり、ありとあらゆるものが猛スピードで世界で行き来するような時代になっているともいえます。まもなく人工知能が発展し、私たち人類は大きな岐路に立たされることになります。

その技術の本質や意味を正しく咀嚼できなかったり、直観的にその技術が何をもたらすのかを掴むこともなく、便利だからと深く考察せずに便利な技術に飛びつけばその後、そのことから取り返しのつかないような事態に陥ることもあります。なぜなら便利な道具は使い方次第では人間にとってとても危険なものにすげ換ってしまうこともあるからです。それは歴史がすべて証明しています。

だからこそ人類が優先する必要があるのは自分たちの先祖たちが自らの人生体験で築き上げてきた経験からの反省や改善してきた生き方、いわばその暮らしの文化を学び、その精神を民族の一人ひとりが責任をもって身に着けることとです。

私たちの場合は和魂といい、それは私たちの先祖が自然との共生の中で築き上げてきた風土の智慧です。それを大和魂といい、どうすればこの地球上において長く平和に睦まじくお互いに貢献し合って生きていけばいいかを精神に宿し遺し文化にまで高めたものです。

その代表的なものに日本民家があり、暮らしの行事があります。この日本民家と暮らしの行事は、日本文化を幼少期の子どもたちに伝承するために遺された先祖の遺誡であり、智慧の結晶です。それを幼少期に体験することで人類はその風土の文化を学ばずとして学び、教わらずして教わったのです。

この伝承の大切さを私は気づき、それを恩返しの柱にしているとも言えます。明日からの子ども縁日は、子ども第一義の理念を掲げる私たちの会社の大きな第一歩になると信じております。

天に問う

先日、天神祭の中で新宿せいが保育園の藤森平司園長から「学問」についてお話を拝聴するご縁がありました。その中で、学問の「問う」とは何かそれは天に問うことであるということをお聴きしました。

今では学問は知識を詰め込むことのように思われがちですが、古来からの学問の本質は「天命を問う」ことであったように思います。

江戸時代の藩校の最高峰であった昌平坂学問所に佐藤一斎があります。この方の遺した「言志四録」はその後、多くの日本人を育ててきました。明治維新の際には、維新の志士たちの座右の書として長く愛読されてきました。その中の一つに天命について記されたものがあります。

「人は須らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」

意訳ですが、「人間は真摯に省みる必要があります。それは天がなぜ自分を創造し、私を何に用いようとなさっているのか。私はすでに天が創造したものであるから必ず天から命じられた大切なお役目がある。そのお役目を慎んで果たそうとしないのならば必ず何かの天罰があるはずである、それを真摯に省みるのなら自分勝手に安逸に生きていくことはできないと知ることになるだろう」と。

そもそも自分は自分のものではない、自分はすでに天のものであるという考え方が根本にあるのなら、自分の生は天命であるという覚悟が決まるように思います。天が何を使役させようとしておられるか、天が何をしてほしいと願っているか、「主語」を自分ではなく「天」にすることこそ本来の命を活かせるということでしょう。

この「天に問う」とは、自分の天命を知るために問うように思います。天命を知るためには、人事を盡してのちよく慎み省みて天が何を与えてくださっているのかに気づかなければなりません。

自分に与えられている道はいったいどんなものなのか、誰かの道ではなく自分に与えられた道があるのだからその道を歩まなければ天罰があるはずです。その天罰は、そうではないよ、そっちではないよと教えてくださる偉大なる罰のことです。それを素直に謙虚に聴いて歩んでいくのなら、後になって「ああ、これが私の天命だったのか」と知るに至るのです。

迷わずに生きている人は、とても強いように思います。あれもできるこれもできると選択肢が多い人よりも、これしかできないと選択肢がない人の方が迷いがありません。迷いがないから自分の天与の道に専念できるように思います。

人はできないことをやろうとするのは自分が主語になりすぎるからです。できないことは悪いことではなく、自分にしかできないことをやることが本来の学問の意味であり天意を知ることにつながると思います。

私は善い師に巡り会い人生の早い時期に、自分にしかできないことは何かと考える機会を多くいただきました。その師の根底の精神には常に「天に問う」があったように思います。

論語では、「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とありますからこの十年はしっかりと天と対話しながら歩んでいきたいと思います。引き続き、子どもたちの未来のためにも今を大切に生き切っていきたいと思います。

 

 

 

子どもの姿を~何を変え何を変えないか~

貨幣経済が優先され、古来からある日本の伝統的な文化や生活習慣は次第に便利さに流され失われてきています。歴史を鑑がみてもそれぞれの国家の発展と繁栄はその国の風土の文化で育成された民族の個性が発揮され多様な世界の中で自国の強みを活かすことによって成し遂げられてきました。

便利さとは楽の追求ですが、この楽は「楽しみ」とは異なるものです。今では大多数の人たちが便利な方を選択したり、楽な方に進むように子どもたちにアドバイスをする人も増えています。進んで苦労をしなさいというよりも、できる限り苦労はない方がいいと言ったりもします。近代に入り、技術の進歩と共に便利さが発展すればするほどに精神の方は本来は高まっていかけなければなりません。

なぜなら道具や技術を用いる側の人間が成熟していなければそれを使いこなすことができないからです。どこまではよくてどこまではよくないか、これは人生の自立と自律の話と同じで楽を選んでも人生は楽にはならず、人生を楽しくするには楽との付き合い方を知らねばならないからです。

例えば、暮らしというものを考えてみてもお金さえあればなんでもいつでも手に入れることができる状態になれば食事も生活もすべて便利なもので済まそうとします。すると健康が害され、より時間のスピードがあがり心の余裕も次第になくなってきます。大都市に住めば、ほとんどのことがお金で解決するような環境になっています。しかし人間を磨き高めているような古来からの自然な暮らしを実践している人は、日々に自律をし健康管理や生活リズムの維持、運動や学問などの時間を環境に左右されずに丁寧に工夫して生きていきます。

いくら技術が進歩しても、人間としての進化とは別ものですからなんでも便利に効率化したからといってそれが人間の幸福や豊かさにはならないものです。

子どもたちが置かれている環境は今は便利なものであふれています。最近では乳幼児のスマートフォン率がかなり高くなっているともいいます。かつて子どもにはよくないと危惧されていたことのほとんどが今の世の中では実現してしまいました。子どもは環境の中ですぐに流されてしまいます。一時的に大人の圧力で厳しくしつけたとしても、大人になれば何でも自由に自分で選択できますから楽に流されることもあります。だからこそ保育環境は大切なのです。

人生の豊かさを感じる環境をどれだけ幼少期に用意できるか、それは未来を見据えて今どう生きることが将来の真の豊かさにつながるか自分の経験から見つめ直せばいいのです。そうして大人たちは今の社會現象と真摯に向き合い未来を真剣に考える必要があると私は思います。

世の中が進化が求められるとき、いつの時代も下支えしてくれたのは根とのつながりです。根があるからどのような環境下であってもしっかりとその養分を吸い上げながら成長していくことができるのです。この根のつながりは、日本の伝統的な文化や先祖の智慧が凝縮された暮らしの中に色濃く遺っています。

今、私が暮らしの甦生に取り組むのも幼児教育の現場で子どもたちの姿が変わってきていることに危機感を覚えるからです。日本民族の存続を懸けて、風土で育まれた古来からある子どもの姿を変えてはならないのです。

何を変えて何を変えないか、それを正しく見極め行動できることこそが人間の成熟であろうと私は思います。今の社会現象を洞察しつつ、この先子どもたちが乗り越えていくであろう課題に対し少しでも多くの選択材料を私の人生を使って遺していきたいと願います。

 

縁日

来週末開催の「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」の準備のために聴福庵に来て色々と段取りをしております。午前中は、まちづくりのファシリテーターとの座談会。午後からは地域の子どもたち向けの縁日を開くことになっています。

そもそもこの縁日とは、「有縁の日」の略語であり、神仏の降誕・示現・誓願などの縁があり、祭祀や供養が行われる日のことをいいます。先月は、地域の氏神様である天神様をお祀りし天神祭を開催しました。これもまた一つの縁日とも言えます。近代以降はお祭りもセットになり、露店などが出て賑わうようになりましたが本来は有縁の神仏の祭祀と供養のために暮らしの一つとして家々においてそれぞれに有縁の日に実践されていたものです。

それぞれの風土で実践される縁日には、それぞれに受け継がれている思いや願いがあったり、大切な歴史的意味があったり、御先祖様からの伝言や文化の伝承であったりするものもあります。

例えば縁日で有名なものに8、12日の薬師如来、15日の阿弥陀如来、16日の閻魔、18日の観音菩薩、21日の弘法大使、24日の地蔵菩薩、私たちがお祀りしている25日の天神様などもあります。他にも毎日、何かの縁日と結ばれ人は信仰を守り続けてきました。特に、一年の中で特に大切に結ばれる縁日の功徳は大きく、たとえば7月10日は観音菩薩の四万六千日といって、この日に参詣すれば4万6000回参詣したのと同じになると説かれたりしているものもあります。

こうやって縁日は信仰と結びつき、お祀りすることでさらに神仏のご加護を実感しながら感謝で暮らしていたのが私たちのご先祖様たちの生き方でした。

そもそもご縁とは、何かしらの因縁によってつながっているということを意味します。私とあなたも、そしてこのブログを読んでくださっている方も、何かしらのご縁によってつながって結ばれています。これは私たちの親祖からはじまり、私たち子孫はその発展と共に増えて広がってきた民族でありその元は同一であったことを意味しています。

何回も生まれ変わり、そして巡り会う中で、時代を超えて再び出会います。また出会うのもまた何かの因縁があるのであり、そのご縁のつながりの中で共に生き貢献し合っていきていくのは私たちです。

このご縁を大切にするというのは、自分は結びの中にある存在であるということを確認するということです。この縁日はまさに、日常の喧騒や忙しさの中でつい忘れがちになっているつながりやご縁の存在を改めて確認する日でもあると私は思います。

真摯に神仏やご先祖様からいただいたご縁を活かしていけるよう、ごつながりをもったいなく使わせていただき、ご縁のある皆様が幸福であるように自分のいのちを盡していきたいと思います。