信仰の大元

古来から信仰というものは形を変えながら、あるいは変わらないままに人々の心に生きています。最近では、信仰という言葉もあまり使われず宗教とひとくくりにされていますが本来はそれは分かれていなかったものです。

信仰そのものが本来の姿であったものが、今ではわからなくなったきたのでしょう。

シンガーソングライター、俳優、演出家、タレントの美輪明宏氏は、宗教と信仰の違いを下記のように定義しています。

「神様と人間の間に立ち、中間の卸問屋をやって、こういう拝み方がありまっせーと言っているのが宗教。清らかで温かで美しく、厳しく強い、エネルギー体である神仏に対し、お力をお与えくださいと仰ぎ、日常生活のさまざまな出来事の中で自分自身をもまた神仏と同じレベルの魂にまで高めていく作業を信仰というのです。宗教と信仰の違いを見極めなければいけません。」

先日、ある霊山を訪ね参拝に登頂しているとき道の先々で見守ってくださっている50体のお地蔵様に榊やお花をお供えしながら拝んでいる人がいました。その姿は遠目にみても神々しく、挨拶をすると和かな笑顔で仕合せそうに返してくださいました。もちろん見た目だけや行為がどうこうではなく、信仰を見たような心持になりこちらが清々しい思いがしました。

全国にお地蔵さんがあり、そのお地蔵さんはその土地を離れずにいつも人々を片時も離れずに見守ってくださっています。現在は、あまりお地蔵さんが大切にされていないようにも感じあちこちで放置されたお地蔵さんを見かけます。

中心社の常岡一郎氏は、信仰をこう定義します。

「神仏を拝むことが信仰だと思っている人がある。しかし拝むことよりも、拝まずにはいられない心、これを育て上げることのほうが大切である。天地のめぐみを味わえる人になること、ご恩を強く感じること、それが合掌となり、拝まずにはいられない心がわく。これが信仰の本質である。」(常岡一郎一日一言:致知出版)

拝まずにはいられない心がわく・・

私も同感で信仰とは、何ものかの御蔭様でなんと今まで自分が無事であること、片時も離れずに常に一心同体に見守ってくださっている存在、そういうものを深く感じてその真心に対して拝まずにはおられない感謝こそが信仰の原点ではないかと思います。

少し何かをいうと宗教だとか、何かの信者かなどといわれる時代ですが本来日本人が古来から大切にしてきた習慣や真心が消えてそういうことが理解できなくなってきているともいえます。分かれていなかったものまで分解し分けてしまっては、一つであったものの存在が観えなくなっていくのでしょう。

もう一度、子どもたちに古来からの先祖の恩恵や見守り、そして智慧を伝承していくためにも原点回帰し、信仰の大元からやり直して磨き直してみたいと思います。

 

 

信仰のかたち

天神祭に向けて菅原道真公のことを深めていますが時代の変遷と伝承を通してその天神信仰のかたちができてきているように感じます。菅原道真公がお亡くなりになってからすぐに天満大自在天神として祀られてから現代にいたるまで約1100年間、天神様として子孫を見守り続けている人物として奉られています。

神社に祀られる切っ掛けになったのは道真公がお亡くなりになった後、平安京で雷、疫病、大火などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件などもあり、雷の神である天神と関連付けて考えられるようになったといいます。そして「天満」の名は、道真公が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真公の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来だといいます。

この道真公の怨霊が雷神になり、それが天に満ちたというとなんだか恐ろしい感じがしますが私はこれは個人としての菅原道真公のことを指してはいないように思います。怨念や怨霊というのは、何かしらの恨みをもって生きているものの念や霊が影響を与えることをいいますが、菅原道真公自身はというと大宰府に左遷されたあとも、無実の罪をきせられ改革がもう少しのところで頓挫するのは無念ではありましたが国家安寧を祈り、苦しい暮らしの中でも平常心を失わず学問を実践し続け修養し続けたといいます。

その証拠に左遷後も優れた漢詩をいくつも残し、この時期に大宰府で詠まれた詩は「菅家後集」三十八首にまとめられているといいます。彼は無実を叫びつつも天皇への忠誠を心の支えとして栄華の日々を懐かしみ、荘子や仏道の教えを学び続けました。流罪になった年の九月十日に一年前の内宴で天皇に詩を献じて御衣を拝領した事を回想し、詠んだ「九月十日」という詩は有名です。

去年今夜侍清涼  去年の今夜 清涼に侍す
秋思詩篇独断腸  秋思の詩篇 独り腸を断つ
恩賜御衣今在此  恩賜の御衣 今ここに在り
捧持毎日拝余香  捧持して毎日 余香を拝す

意訳ですが「昨年の今夜は清涼殿での内宴に侍し、「秋思」の題で詩を賦したが、今はただ一人断腸の思いです。天皇陛下から賜った衣服は今ここにあり、これを捧げ持って日々残り香を仰いでこれを拝んでおります。」と。

無実の罪を着せられ一族郎党みな悲惨な目に遭い、それでもただ一筋に天への忠義に生きるというのは、その後に現れる楠木正成や吉田松陰などにも似ています。そしてその誰もが今では湊川神社、松陰神社になって人々に祀られています。

つまり菅原道真公の怨念や怨霊ではなく、民のために天皇陛下のために国民国家に真心を盡したような素直で立派な人物に罪に着せて酷いことをするということに人々が怨念を持ったのだと思います。人々の政治に対する不信や不満が、その後、厄災があるたびにこの正直ではない出来事が脳裏に浮かび、また心に引っかかり、いつまでもそれが政治不信として世の中の人々の怨嗟を呼んだのかもしれません。

その怨嗟を鎮めるために、菅原道真公の罪を赦し、さらには神格を与えて祀ることで民衆の怨嗟を和らげようとしたのではないかと私は思います。つまり菅原道真公の怨霊ではなく、民衆の怨嗟が怨念や怨霊になったということです。

その後、その怨嗟が消えてからは慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神、和歌・連歌など芸能の神、現世の長寿と来世の極楽往生に導く神、子どもを見守る神、そして現代では学問の神として崇め奉られています。

日本人はこのように素晴らしい人物や、大義に生きる人の伝説を語り継ぐことによって政治として何が大切かということを教えずにして教えていきます。伝承というのは、信仰をつなぐ役割があり、私たちの生き方として何のために学問をするのか、何のために生きるのかということの本質を導くものです。

引き続き天神祭に向けて、ご縁と直観を感じながら信仰のかたちを見極めていきたいと思います。

 

時の旅人

古いもの、いにしえのものに触れていると心が懐かしく感じるものです。フランス語でノスタルジーといういい方もしますが、これは「故郷や過ぎ去った時代を懐かしむ気持ち」という意味です。 日本語では「望郷(ぼうきょう)」や「郷愁(きょうしゅう)」といいます。

この時代を懐かしむというのは、歴史を感じる心です。

私たちははじまりの親祖から今にいたるまで、長い年月の歴史を生き継いで受け継いでここまで来ました。長い年月、どのように暮らしてきたか、また古代からの仕合せ、自然と親しみ平和な日々を歩んだことをいつまでも心に覚えているものです。

幼少期の記憶は、人類の初心のころの記憶であり純粋無垢に生きてきたころのことを懐かしく感じるように私は思います。

今の時代は、IT化も落ち着いてきてそろそろAI化といって人工知能との共存が急速に発展していく時代です。もう10年もすれば、世の中はほとんどAIによって塗り替えられてしまっているでしょう。どんどん古いものが失われ、新しいものばかりが出てくる世の中ですが私たちの心や魂が時代に追いついていくにはもう少し時間が必要のように思います。

私たちが懐かしいと感じるとき、私たちは時を旅します。

古民家甦生を通して、様々な時代のものに触れていますがその道具を一つ一つ手入れをして磨いていると時が甦ってきます。そのものの持つ時代が懐かしく感じられるとき、わたしたちは時の旅人になっているのです。

歴史は知識で学ぶものではありません、歴史は時を旅して学ぶものです。その旅を共にすることにより、懐かしさを感じるとき人は魂が揺さぶられます。そして魂が故郷に帰るのです。

時代の過渡期、この潮目がまた変化する節目だからこそ改めて子どもたちのために何を譲り遺していけばいいのかを思います。引き続き、初心を守り初志を貫徹していきたいと思います。

 

一休み

先日、久しぶりにアニメの漫画の一休さんを見る機会がありました。私の幼いころのアニメとしては馴染み深く、頓智を使って次々に難問を解決していく一休さんに憧れたこともありました。

その一休さんの代表的なコピーに、「慌てない慌てない、一休み一休み」というものがあります。これも今でも心に残っていて、今思えばとても深い教えを幼いころの意識に触れていたように思います。

この「慌」てるという字は、心が荒れると書きます。意味は、落ち着きを失う、驚きうろたえる、平常心でいられないという意味です。心は日ごろは穏やかですが、何かに囚われて執着すると心が穏やかでいられなくなり落ち着かなくなります。こういう時は、判断能力を見失い感情に呑まれたりして、平素の本来の自分でいることができなくなるものです。

一休さんが、慌てない慌てない、一休み一休みという文言は、焦らずに穏やかにいつもの通りに冷静に一呼吸置いて取り組むという姿勢を自分自身で言い聞かせていたように思います。

心がざわつくのは、何か自分の中で妄想が膨らんだり、将来の不安を感じたり、過去の嫌な体験を思い出したり、トラウマや劣等感など、様々な感情が沸き立ってくるからです。ネガティブな感情が沸けば慌ててしまい、焦ったり、急いだり、結果ばかりが気になるものです。

そういうときこそ、この「一休み」の価値があるように思います。

私たちが取り組んでいる活動の一つに致知出版社が広めている木鶏会というものがあります。この木鶏というのは、荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさします。つまりは不動の境地を持った状態ということです。

何かあればすぐに心を動かされるというのは日々の鍛錬が足りないように思います。そういう時にはいつもこの慌てない慌てない一休み一休みと、心を無にして何事にも執着せずにお気楽にポジティブに過ごしていくことです。

禍転じて福にする、人間万事塞翁が馬と、物事の善い方へと転じていこうとする実践が一休み一休みということかもしれません。物事は自分にとって大変なことのように思えても、自分の思ってもいないところで偉大な運命が働いていたりするものです。

天を丸ごと信じて歩んでいく心が、この不動心を育むように思います。

引き続き、木鶏を目指して日々に一休みしながら実践していきたいと思います。

何の会社か?

多様な価値観がある中で、会社というものも多くの会社があるように思います。それはサービスが異なるように理念もまた異なります。どのような理念で何をしているのかはその会社会社で様々です。

何のために会社をやるのかの目的が異なれば、会社がやっていることの本質も変わってきます。外からみて、この会社は一体何をやっている会社だろうかと思えば売り物を見ればなんとなくわかるのですが、その会社が生き方として目指しているものは中に入ってみなければわからないものです。

私が尊敬する経営者の一人に、出光佐三氏がいます。

日本的経営を実践した出光佐三氏は、その理念を「人間尊重」としました。そして新入社員が入社した際には訓示として「ここは人間修養の殿堂即ち「人間尊重」を社是とする人格錬磨の修養道場に入られたことを心からお祝いする」と仰っていたそうです。さらに「修養は、禅寺や修道院などで行われているように思われがちですが私のいう修養はこのような社会からかい離された狭い場所でのみ使用されるような修養ではないのであります。」と仰られています。

私もまったく同様で、どのように自分を磨いていけばいいか、仲間とどのように磨くか、子どもの心を見守るためには自分自身を磨き高め続けなければなりません。だからこそ、会社での日々の働き方や生き方を通して自分磨きを行い切磋琢磨し人格形成の環境を世の中に広げていかなければならないと思っているのです。

生き方と働き方の一致という言葉がありますが、あれは正確には全人格で生きるということです。仕事も家庭も趣味も学問もすべては「人生」ということですから、その人生をどのように生きていくかを定めることが何よりも優先です。

そしてこの優先するものが目的であり、その社是を持つ会社の理念に取り組むというのは自分の人生を磨くための道場に入ったということです。あくまで何をやっている会社かと尋ねられれば、本質として「子どもの憧れる生き方をする道場」で修養をし修行をする会社ということになります。

古は、学問とは人格修養のことであると論語に書かれます。

師と友とともに道に入るのなら、その場を高めて道を続いていく人たちのためにも磨き続けて洗い清めて歩んでいきたいと思います。

先祖に生きること

子ども第一義の理念で、子どもの仕事をしているのになぜ自然農や古民家甦生などをやるのかと聞かれることがあります。子どもという言葉の定義も、大人と子どもという時の子どもという意味で使っているのではなく、子どもを童心といった赤心のままや初心という意味で私は用いています。

その時、子どもをことを深めていけばいくほどに祖先や祖霊、先祖とつながるのは自明の理であるのです。今の私たちがこうやって暮らしているのは、先祖があったからに他なりません。その先祖が一人でも欠ければ自分はなく、その時代時代に先祖の生き方が私たちの長所や短所になって今の私を形成しています。

つまり自分は自分であって自分ではなく、先祖の一部でありその一部は子孫の一部になるということです。だからこそ自分のことだけを考えるのではなく、子どもたちに譲られていくものが自分のいのちだからこそ修養や修身をもって子孫のために今この時を精進していかなければならないと思います。

「星の王子様」を記したサン・テグジュペリに「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。」という言葉があります。またネイティブ・アメリカンの格言に「土地は先祖からの授かりものではなく、子どもたちからの預かりもの。」という言葉もあります。

私たちが先祖のことを思うとき、この今のことを振り返ります。するとこの今は、まさに子どもたちの未来になるのだから子どもたちからこの世代を預かっているだけなのです。この預かったもの、借りたものを利子を増やして返却するのならまだしも借金を続けたうえに全てを消費し浪費してしまったら返せるものもありません。

今の私たちが裕福に豊かに暮らせるのは、すべてご先祖の皆様の丹精によるものです。その利子を少しずつ貯めたものを私たちは切り崩して暮らしているのです。それを自分のことしか考えず目先の欲のみに囚われ使い切るばかりで、それを貯めようと遺そうとしなければ必ず未来の子どもたちがそのツケを払わなくてはならなくなります。

幸田露伴に、「分福」「惜福」「植福」とありますが、この幸福の三福を先祖が代々続けてくださったからこそ今の自分がここで生きているということです。

つまりは子どもの仕事をするということは先祖の偉業を偲び、その祖先や祖霊を省み先祖から学び、先祖として子どものために生きるということなのです。子どもたちの仕事の本質は畢竟、先祖の生き方を伝承し、改善すべきは改善し、少しでも子どもたちのために福を増やしていこうとする一生に生きることです。そして子ども第一義の理念は、「古を愛する心」と共にあります。

引き続き、子どもたちのためにも先祖への恩恵を忘れず今あることに感謝し、初心伝承を積み重ねていきたいと思います。

磨き合い~徳を積む~

人は磨き合うことで、お互いを活かしあうことができます。現代は競争社会といわれますが、それを他人との比較の中で優劣を決めて平均を割り出し誰かを裁くような競争ではなくそれぞれが自分自身を見つめ心を高め、徳を磨くような競争であれば世の中はより安心した豊かなものになっていくように思います。

「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」というのは切磋琢磨の意味ですが、常に心の磨き合いより徳を高めるような日々の錬磨はその人の人格を研ぎ澄ませていきます。

常岡一郎さんにこういう言葉が遺っています。

「いつまでも消えない希望、それはひとりひとりの人間が自分を正しく知ることである。自分をみがくことである。鍛えることである。向上させることである。徳高く、人格清く、心豊かな人になりたい。この願いは一切の苦難をたのしく超えさせる力となる。苦しみも磨きの恩師と思える。自分はつねに自分と共にいる。夜中でもよい。自分ひとりで本が読める。早朝に起きる。これもたのしめる。お互いに自らのみがき合いを競争する。勉学に、修養に、健康の道に、こんな希望の集団をつくる。それが美しい社会の基本となる。」

すべてのことを磨く機会にするという考え方はまさに切磋琢磨であろうと思います。苦難があればそれを磨く機会にし、歓びもまた、仕合せもまた、すべてを磨くためにあるとする。

体験そのものが自分を形成していきますから、どんなことをもって自分を磨こうかと常に機会を砥石にして内省していればすべてのご縁によって磨きがかかってきます。そしてそれを行う人たちが増えていけば、自ずから磨き合いができるようになってきます。

人によりここで磨き方も異なりますし、磨かれ方も異なります。その人たちと触れ合うことで自分の磨き方を修正し、さらに磨き方が見事な人の真似をし高めていくことができます。尊敬し合う関係の中で、人はより一層磨きがかかります。

どんな磨き方にせよ、磨くことが尊いという境地。

磨き合いというのは、その境地の中に存在しているように私は思います。この世に生まれてきた以上、磨き合うことは生きる意味でもあります。その生きる意味を学び、日々に心魂を磨いていけば一期一会の日々を暮らしていくことができます。

常岡さんが言う、「自分を正しく知る=自分を磨くことである」はまさに箴言です。もっとも一番身近にいる自分のことがわからないのが人間ですから、自分の心と向き合って自分を知りながら己に克っていければ自己を調和し、周囲とも調和していけるように思います。

引き続き、磨き合い徳を積めるように精進していきたいと思います。

 

 

馬鹿になる生き方~正直者~

正直者が馬鹿を見るという諺があります。これは辞書では「悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする。 」(大辞林)と書いています。

しかしこの正直とは、損得でみてもどれくらい長いスパンで物事を観るかでその質も変わってくるように思います。例えば、短期的にみれば正直でいたことがいつも損のように思えるものでも長期的に見れば正直でいることの方が得をしていたりします。また損得だけをみれば人生で正直者は損をしているように見えていても、正直な人は周りから慕われ晩年には多くの人たちから親切にされて大事にされることもあります。結局、損か得かを基準にしたときの正直だといえば、損をする人を正直者といいたいのでしょう。つまり世の中が乱れ不徳の時代に出てくる諺ということです。

本来の正直さというのは、昔はお天道様に恥じない生き方のことをいいました。これを誠とも書き、日本人の生き方の美徳として大事にされてきました。「お天道様が見ている」と幼少期には祖父母から素直であれと叱られ、自分に嘘をつかないように、他人に嘘をつかないようにと自分を大切にすることを教わりました。ここでは嘘をつくかつかないかというよりは、一生を通して天に恥じないように自分を修め、磨き続けることに価値があると言ったのです。

例えば正直を磨くというのは、掃除に似ています。日々に汚れたり、日々にけがれたり、怠け心が出てきては日々に塵や埃が溜まってきます。それをそのままにせず、毎日丁寧に掃除をして祓い清めて洗い流して磨いて綺麗にしていく。そういうことを続けていくことが、正直にやっていくということです。これを怠り、その場しのぎで誤魔化しても塵も埃もたまっていきますからそれをいつかは片付けなければなりません。そうなって全部、散らかしっぱなしてどうしようもないと放り投げて他所にいく生き方をすれば周囲に大きな迷惑をかけてしまいます。自分で蒔いた種は自分に戻ってきますから、日々にどんな種を蒔いているのかを自覚するのもまた正直さの実践のようにも思います。

正直という嘘をつかないという実践は、単に誰かに対して嘘がなければいいのではなく日々に自分の心を手入れして誠に恥じないか、真心を尽くしたかと、内省し綺麗に掃除を続けていくことに似ているのです。そういう正直な暮らしを行う人が馬鹿をみることはなく、丹誠を籠めた真心の暮らしによって人生が磨かれ豊かになります。自分を高めて人格を磨いていくことは馬鹿なことではなく尊いことだと感じます。

まるで太陽のように清々しくそのお天道様のような心で生きていこうとするのは、自分を活かし、周囲のいのちを育み見守ってくださっている御蔭様の存在を忘れず常に感謝で生きる存在になるということです。これは人間として傲慢になるのではなく、自然のいのちと同様に謙虚に太陽の元、周りを活かし共生しながら真摯に自分の生を生き切るということでもあります。

時代が個人の損得ばかりを優先し正直さの意味もその言葉の定義も変わってしまった現代社會においては、正直さというのはあまり良いことではないと思われてしまっているものもありますが古来からある正直さは私たちの先祖が大切にしてきた真心の生き方です。自分を中心に損か得ばかりを計算して保身ばかりに走るのではなく、自分の日々の怠け心に喝を入れて自分の我に打ち克ち損得度外視で真心を尽くす実践で自分を修め磨き続けていく正直者になっていくことは敢えて馬鹿になる生き方を選ぶということかもしれません。

引き続き、日々に馬鹿になって愚直に心の手入れを怠らずに歩んでいきたいと思います。

来るであろう未来

文化の変遷を深めていると、江戸時代鎖国が解かれ明治維新後の文明開化が如何に急速であったかがわかります。暦の改変をはじめ、生活スタイルはほとんど西洋のものを手本に換えてしまいました。四民平等という思想のもと、それまであった封建的なものを否定し、国民と国家という概念ができたといいます。その後、2回の大戦を経て戦後の復興、様々な歴史の歪が今の生活のあらゆるところに出てきています。

いままで歴史というものはやってみて後世の人たちが冷静に物事の経過を見定め判断し、それを改善していくことで文化を融和させていくように思います。誰かが先に決めたこともただ鵜呑みにするのではなく、よく精査するのもまた子孫の責任と使命であろうと私は思います。

今の時代は生活スタイルはほとんど伝統的な文化のものはなく、西洋文化の中にあるかのように日常を過ごしています。着る服から食べるもの、住居や仕事、制度や法律まであらゆるものがアメリカや西洋をモデルに創りこまれています。それを改めて気づくことがないくらい当たり前に西洋文化の中で過ごしているとも言えます。

私たちは環境を通して生活スタイルを変えますから、いかに環境が与えている影響が大きいかということを思います。その環境そのものを西洋にすれば、生活スタイルは自ずから西洋になります。本来は、気候風土に沿って時間をかけて醸成されてきた生活スタイルが、都市化とともに急速に便利になり科学の力でより一層、その土地の多様な風土を征服し人間の都合のよい生活スタイルに合わせてきたとも言えます。

そのことに慣れてしまえば、もはや風土や文化というものは過去の古いものになり新しいものとは都市化され都会化したものが新しいということになります。日本古来からの生活文化を否定し、西洋から渡来した生活文化を新しいと崇拝するという傾向は戦後一層強くなり今の私たちの暮らしを換えてしまいました。

しかし本来そこに自然にあった生活文化はとても合理的であり、無駄がなく無理もなく自然に沿ったものが暮らしとして存在してあったものです。そこに外来のものを入れて維持しようとすると無駄も無理も発生し不自然を維持するために大量のエネルギーと資金を投下していかなければ保持することができません。

それは今の公共事業でもいえますが、地方を維持するのにもうエネルギーも費用も枯渇してきているのです。最近では田舎の人たちを一極集中にして狭い地域に集中するような政策もあっていますが、これもまた田舎を都市化しようとするものに似ています。しかしそれもまた膨大な無理や無駄があり、頓挫していくのは火を見るよりも明らかです。

時代の流れの転換期というものは、気づいた人から変わっていくのがいいようにも思います。人は自分の都合で新旧を決めたり、良し悪しを思い込みますし、それまでの刷り込みがあれば最初からできないと思い込んでしまうものです。だからこそ生活文化というものを見つめ直すことが難しいとも言えます。

本来の自然に沿った暮らしとは、人類が持続可能で永続する生活の智慧です。人類が今、岐路に立たされているのはこのエネルギーと貨幣の膨大な投資をどこで転換してバランスを取り戻すかということです。

引き続き、暮らしの甦生を通して来るであろう未来に向けて準備を着々と進めていきたいと思います。

お祭りの本質

祭り部ができてからお祭りのことを深めていますが、お祭りが続く理由について考えることばかりです。京都の祇園祭りや博多山笠、秩父夜祭などもそうですが長く続くものには理由があるように思います。これらの大きなお祭りとは別に、地域で行われているお祭りもまた続いているものもあれば衰退していくものもあります。

若い人が田舎からいなくなり、都会に出てしまい少子高齢化で伝承が引き継がれないこともあります。また都市部でも、引っ越してきた新しい若い人たちが地域のコミュニティに参加しないということもあります。

本来、何のためにお祭りをしているのかを忘れてしまえばお祭りを継承することもできなくなります。今の時代は、先祖が積み重ねてきた徳を守り、恩返しに報いようとするよりも自分さえよければいいという風潮が多いように思います。お祭りもまたその中で変化して単なる観光の一つのようになっているところも増えています。

以前、お祭りを深めて書いたことがありましたが本来は自分を見守ってくださっている存在、つまりは神様に対して感謝を顕すためにあったものです。先日も、古民家甦生の中で地鎮祭をしていただきましたがこれもまたお祭りの一つです。

一つ一つの儀式を通して、節目に神様に対して感謝の念を奉げるということだろうと私は思います。このお祭りなどの儀式こそ、自分自身が常に観えない存在に助けられているという感覚との結びであり、それを体験することで先祖と繋がり、また子孫繁栄を願い祈る心と結ばれるように思います。

太古から流れているもの、当たり前に生きてはいない自分たちが何ものによって活かされているのか、それを感じる仕組みがお祭りにはあるように思います。

祭壇をつくり供物を奉げ祈りを祀る。

感謝を忘れたいのりは続かず、感謝を忘れたお祭りもまた続かないと私は感じます。

引き続き、お祭りの本質を見極めながらお祭りの意味や真価を高め子どもたちのために大切な伝統をつなぎ結び合わせていきたいと思います。