あっちに行けば、こっちが上がる。
こっちへ行けば、あっちが上がる。
今日公園で幼い頃よくやったあの光景を思い出した。
シーソー遊びだ。
常に長さと重さとリズムが求められた。
上がったり下がったり、相手の顔を見ながら飽きるまでずっと続けた。
笑ったり微笑んだりしながら、自分が下がらないと相手が上がらないのを見て、やって、そして楽しんだ。とにかく何度もうまくバランスを取ろうとあっちにいったりこっちにいったり友達とよくやったのを覚えている。
今思うとあの「シーソー遊び」は経済・経営などでの知恵を深く洞察している。
ひょっとするとシーソー遊びから、経済は学べるのではないだろうかとも思う。
とかく子どもの時の遊びは何でもそうだ。
大人になってみると常に実社会で応用でつかえるものばかりだということが分かる。
だから子どものときに遊びを通して発達の基礎を持つことが大事なんだろう。
私は子どもの頃「シーソー遊び」は、結構得意だったが今はどうだろうか?応用で活かせているかどうか?今でもあの頃のようにできるだろうか?何だか大人になってもあたまでっかちにばっかりになってもいけないような気がする。なぜなら、知識が煩雑になり大事なことがよく分からなくなってくるからだ。
大人になると何て当たり前のことを深く悩むのだろう。
でも当たり前にするにはどうも今は理屈や刷り込みが着き過ぎたようだ。
しかし疑似体験として仕事に置き換え身の回りを見渡せばうまく出来すぎてて子どもの頃のシーソー遊びのときのように笑ってしまう。
また行ったり来たり、上がったり下がったりを子どものように自然に楽しめるようになりたいものだ。