幼児業界の常識非常識

以前、GTで「園の常識非常識」というテーマで研修をやったことがある。
この業界では常識と言われていることが如何に他からみると非常識であるのだということをディスカッションしながら見直していくというものだ。
とても好評だった企画の一つだ。

園経営のコンサルティングをなさっている方から伺った話だが、園を立て直す一番簡単な近道は社会的な「一般常識」を再度基礎からしっかりと教え込むことが最も効果があるらしい。挨拶・掃除・お辞儀・お礼・報連相・プロの自覚・・・きりがないがどれも一般常識の範疇だそうだ。

私も業界にいながら色々なお仕事をさせていただくので常識非常識が見えることがある。

たとえば、自園での保育をあまり園同士でストレートに語り合わない、見せ合わないなどもその一つだろう。通常、何かしら業界での様々な集まりや研修はそれぞれで培った技術を開放しお互いが高めあうためにその場を最大限活かしていくものだ。なぜなら業界が目指す理念に対するそれぞれの役割や目的があり、よりお互いが多くの学びを収穫することを目指しているからだと思う。

しかしこの幼児の教育保育業界ではそれはそれぞれの園の独自性だからと、そこに触れようとしないのも「常識非常識の特徴の一つ」だろうと私は思う。
特に教育の業界にこの傾向が根強いが、本音ベースでも建前が常にあり一定の距離は越えることができない。なぜこんなに損なことを選ぶのだろうといつもそのような話しを聞くと考えてしまう。

以前、ある方からこんな話を聞いたことがある。

「どうせ手に入れろうとしても簡単には手に入らないのだからむしろ思い切って全てを隠さず堂々と表に出した方がいい、そうやって開放したものが相手にとっての等価交換になりその御礼としてそれ相応の気付きや学びが返って得られるものだ。」

またブログを書いているとある事例を思い出した、

質問:『丸い器に水を溜めて、葉っぱを中心に浮かべその葉を自分の手前に寄せるにはどうすればいいか?』答え:『それは、水を自分と反対側に押し出せば逆に葉っぱは近づいてくるのだ。』これは以前、小学校で先生から習った授業にあった。きっと自然界の法則はそうなっているのだろう。

また以前お医者さんにこんなことを尋ねたことがある。

その地域のお医者さんは毎月勉強会をずっと近くの同業者とやっている。
でも、私も気になったのでそのお医者さんに聞いてみた。

「そんなに近くのお医者さんとオープンにやって大丈夫なのですか?」

すると、そのお医者さんはこう答えた。

「人の命を預かる大切な使命のある仕事なのだから(それは)当然のことだ、我々は別に特別なことをやっているわけではなく「当然」をやっているだけだ。」

今もその地域は、特に腕が良いお医者さんが多いと評判で県外からもかなり多くの人が病気を診てもらいにやってくる。

私が好きな温泉地で大分県の湯布院があるが、ある時TV番組で特集していた。
毎年大会や研修を行い、お互いの旅館で料理を競い教えあっているそうだ。
そこでもみんなお客さんのために「当然のことだ」と仰っていた。
この地域も県外からたくさんの方々が訪れていつも大繁盛している。

なぜこれが「当然」にできないのだろうか?

きっとこのようなことがなかなかできないのは、誰かが始めた狭い視野での自身の保身や権力の維持からはじまったのだろう。

何だか尊敬する企業人、京セラの名誉会長稲盛一夫氏の言葉を思い出した。

 「動機は善なりか、私心なかりしか」

医療や福祉の仕事は本当に奥が深いなと思う。
自分を犠牲にしてまで人に尽くすわけだから崇高な使命がある本当に特別な仕事なのだろうなと。

明日から2日間、見守る保育研究セミナー九州ブロックが熊本で開催される。

今回の機会が近くであっても、遠くであっても自分よりも大事な子どもたちのために色々な意味で早く常識的に「オープン」になるような時代が来ることを心から祈る。