自分

以前、ある人にこんなことを言われたことがある。

「こんなことをして相手にどう思われているのか気にならないのですか?」

それは生きている以上、他人が自分をどう思っているかはとても気になるものだ。できる限りの配慮はしながら、自分の主張は通そうとは常日頃から苦心している。しかし、それだけをずっと考えているかというとそうではない。

「自分が相手をどう思っているか」の方を大事にするようにしている。

相手からはどう思われたいと思うのは確かにある。
しかし、それをどうしても白黒つけたいと思っている人がいるけどそこまではない。常に好きか嫌いか、敵か味方かと相手の心は分からないのにそればかりに執着する。でもそれは自分が確立できていない証拠だと思う。

好きか嫌いか、はっきりしたいのはそれを聞く本人なのだと思う。
私にとっては、相手よりも私自身がどう思っているかの方が大事なことだ。

色々とこの世の中にいれば、立場上、色々な柵を持っている方々もいる。
それに、何かよからぬキッカケがかなさり誤解されることだってある。
集団になると、小さな噂が間違った事実を広げることだってある。
マスコミに報じられればもはや正しく伝わることはない。

どう思われたいと思っても人は主観があるからどうしても好き嫌いはある。

でも、ここで大事にしたいと思うことがある。

それは、「こちらが愛している」という事実があればそれ以上は両方忘れてしまえばいいのだと思う。

ある感情をもって白黒つけたいと思うくらいならば、両方なくして素のままの在るがままの心で接していけばいいのだと思う。

感情は鏡のように自分の心へ透写する。
せっかく大事な自分、大事な本質があるのならばそう関わりたいものだ。

醸成

時に土に触れ、土を感じる。

私は、土を愛し、土に返る。
子ども心に土に触れた記憶が蘇る。

きっと人は、醸成する時期にこそ試されるもの。

ひとつの「思い」は無から生じ、そして生れそして永遠になっていく。

その思いたるもの凄まじいものでなければならない。

努々、生涯において培う魂の芽生えはまさに今にある。

私は、決して逃げず、弛まず、その眼前の試練と向き合う。

醸成

人多きこの世に人はなき、だからこそ人を目指し人に成る。

子どもたちにも醸成する期間が、命を育むのだと伝えていきたい。

割り切り

亀井勝一郎氏の言葉にこんなものがある。

「割りきりとは、魂の弱さである」

経営をしていると色々な矛盾と対峙することがある。
子どもや人に関する仕事をしているとなおさらのことである。

たとえば、何かしらの善を求め行動すると何かしらの悪のようなものが生まれる。
良かれと思ってやったことも、時と場所を変えれば悪かったことにもなる。
福祉として取り組んだことが、商売という形で跳ね返ってくることもあり、逆に商売が福祉となることもある。

他にも人間模様ではより色々とある。

厳しいことを言うことがあるのだがそれは仏心であったりする。
優しさのようにみえて、それは厳しい現実を先送りして相手から逃げているだけというのもある。

つまり、一見誰しもが日常的に判断・決断する中に矛盾から生まれる精神的な葛藤がありどちらかに安易に割り切ろうとする精神が無意識に働く。
すると現実から逃避し、知らず知らずに安易な方へ判断を延期し割り切ることでその場をつなごうとするようになる。

子どもを商売の軸においての会社経営とは日々矛盾との対峙であり、福祉サービスとはその壮大な矛盾を胸に抱えながらどちらも併せ持つ覚悟がないと決断をすることができないのである。

以前、師匠はこの業界での将来へのビジョンを一つの「道」であると説いた。
一つの道を進むにあたり、大事なこと割り切らない思想を持つ事であると私は思う。

割り切らないという精神的な格闘を乗り越える勇気と覚悟があってこそはじめてこの業界で一つの道「ビジョン」を成し遂げることができるのだろうと思う。

「割り切りとは、魂の弱さである」

この言葉の深遠なる意味をもう一度考え直してみる機会になった。

こども

将来を予測していても予測できないものがある。

子ども達の持つ、無限の可能性。

時期や、場所、出来事や環境、遺伝や神の意志、出会いや別れ、そして心の成長、どれがどう作用し未来になっていくのかはわからない。

とても、嬉しく、わくわくすることだ。

多くの子ども達を見ていると、楽しくなる。

目の前の彼が、将来日本を支えていくかもしれない。
向こうの彼女が大女優になるかもしれない。
そこのお兄ちゃんが会社を立ち上げ、大企業群を作り上げるかもしれない。
優しい目をした、この子が多くの命を救うかもしれない。

        無限の可能性

それは、「かもしれない」の中にある自分の心。
自分自身が、心の中に夢見る可能性を子ども達へ映し出す。

可能性を引き出すのは、自分自身の心の姿勢。

どんな人もきっと、素晴らしい力を備えているはず。

もっと信じて、その可能性を引き出していきたい。

あの無邪気な笑顔が無限に輝き続けるように。

この仕事の楽しい所以はそこにある。
子どもの中に可能性を見る力を距離の中で身につけていきたい。

自己陶冶

『陶冶(とうや)』という言葉がある。

「陶」というのは、焼物を造るという意味。
「冶」というのは、冶金の冶で金属を精錬するという意味だ。

つまり土を練り焼いて陶器を造り、鉄を鍛えて鉄器を造るということだ。
幼児教育にはこれが必要だと師匠は仰っていた。

保育・教育は陶冶に繋がっているのだ。
人間も焼きを入れ鍛えることがなければ立派な人になるはずがない。

如何に優秀な大学を出て最高の教育を幼児期から受け続けたとしてもその後の自己陶冶の心構えがなければ大成することはないと思う。

陶冶というのは道を求めなければ手に入れれるものではない。
どんなに環境が不満でも劣悪でも自己陶冶の生き方をしていれば教育どうこう理由は関係なく必ず良い方向へ導かれていくのだと思う。

自己陶冶を目指さないといけない。

もっと土を練り、しっかり焼いて、鍛えて形にしていく気概を持ち自己陶冶をしていこう。
子どもたちの未来の手本となるような「大人の姿」を見せていこうと思う。

大事なものを守る

大事なものを守る。

生きていくと大事なものが次第に増えていく。
そしてその大事なものを守りたいと思うようになっていく。

大事なもののために、自分の命を使っていくのが人生だと思う。
何かしらの大事なものを守ろうとすると、それ相応の覚悟がいる。

守る必要のないものは間違っても守ってはいけない。
虚像の中にあり、真実は内在している自我にこそあるものだから。
だからどんなに外面を装っても、決して私の前では偽りの嘘は通らない。

人は深い悲しみを乗り越えたとき、深い挫折を繰り返したとき、死に直面したとき、今まで見えなかったものが見えてくるようになるものだ。そして生き方として真理を求めてきている人とはじめて分かち合えるものだ。

分かち合えないならばそれは誠の付き合いではなくそこに何らかの嘘があるのだ。

どんな時も大事なものが何かを決して見失ってはいけない。
大事なもののために自分を捨てきる勇気が人を変え、世界を変えていくのだ。

今日は揺ぎ無い覚悟を持った記念すべき一日になった。
大切なものを守るためにもっともっと強くなる。
そして強くなって大切なものを守る力を手に入れてみせる。

そう厳かにそして静かに心に誓った。

覚悟はできた。

明日からは、自分は何があっても揺るがない魂を求め大切なもののために歩む。

対談セミナー

本日は、六本木ヒルズで自社セミナーを開催した。

先ほど帰宅し一人パソコンに向き合い、今日のかけがえのない大切な一日を静かに振り返っている。この今も会場にいらした先生方の一人ひとりの顔を思い浮かべて感動している。一瞬の邂逅の中にも永遠を感じた3時間半だった。

出会いの感謝と思いの共有の素晴らしさにこの今も心熱く涙がこぼれる。
一期一会は人と人だけでなくその時間にもあるのだな・・・・
弊社スタッフの皆もこの機会と邂逅が素晴らしいものになったと思う。

この業界に入ってからひたむきにずっと追い求めてきたひとつの「道」がある。
今日は、その第一歩を踏み出せた気がした記念すべき日になった。

藤森先生、安家先生、師匠のお二人には言葉にならないほどの感謝を覚える。
そしてまだまだ背中を追いかけていこうと初心と原点に帰り胸に誓った。

幼児教育と関わる仕事は、私が今まで見てきた仕事の中では世界最高の仕事だ。
人間の育ちを見取っていくことは即ち人間の可能性を観て行くからだ。

この仕事は、美しい未来を創る仕事なんだ。
この国の未来を支える唯一無二の仕事なんだと改めて思った。

そのお手伝いができ、そして生き方を学べることは本当に素晴らしいことだ。

セミナーのアンケートをたくさんいただいた。
内容を読むと嬉しさと感動、感謝の涙でどうもこの先が読めそうもない。

まだまだ自分にできることは本当にたくさんあるんだなと深く気づいた。

今日は時間が足りなかったが講演の中で一番伝えたかったことがある。
そして世界へ発信するプレスリリースがある。

『それは大切なものを守るために、変わり続けることが守ることなのだと。
 伝統とは、常に変化してきた人たちが紡いできた本質なんだということ。
 競い合わない本質的な価値観の青い海(ブルーオーシャン)へ一緒に目指そうということ。』

人は見えないものを見ようとするから、「気づき」があるのだと思う。
そしてそのような「気づき」があるから「感動」があるのだと思う。
「感動」があるからきっと人は変わっていくことができるのだ。
そして「喜びや悲しみ」を味わっていくことができるのだと・・・

見えないものをもっと見ていこう。
分からないものをもっと分かろうとしていこう。

大きな矛盾は人を育て、人を変えていく。

大人が変わっていく、変わっていくんだって未来の子どもへ伝えていきたい・・・
そして業界へ世界へ伝えていきたい・・・

もっともっと上へ、もっともっと上へ。
守りたい大切な人たちと子どもたちのために全力で駆け上がって生きたい。

対談セミナー前日

明日はいよいよ自社主催のセミナーが六本木ヒルズで開催される。
また軽度発達障害を抱える子どもたちのための保育ソフトを公式発表する。

振り返ると「見守るほいく」というソフトを開発しなければ明日はなかった。

最初は、青森のとある園で「3つ子の魂100まで」の感動と出会った。
この3つ子の魂のことを考えながら今と未来を思いわが国の将来を憂いた。
それからが環境創造から情報創造(IT)への転身のキッカケだった。
今思い返せば「自然のままの子どもの姿を情報(IT)で科学してみたい」といった感じに思ったのだろうか?

それからパソコンを買ってきて一人で保育園幼稚園を昼間飛び込み営業をして、夜にホームページを作るといった事業からのスタートだった。

そして3年ほど経って、お得意先様も増えて色々な勉強とご縁をいただいた。
その中で、道を探しながら「果たしてこのままでいいのか?」と自問自答の日々の最中、歩みの岐路にたったときに出会ったのが藤森先生だった。

そしてはじめて企業人として、志を持つ一人として保育の世界へ入った。

その第一歩がこの「見守るほいく」ソフトの開発だった。

その後、ソフトを通して安家先生に出会い軽度発達障害のことを伺い深い興味を持った。そして色々な先生にお聞きし訪ね歩き、藤森先生からのご紹介でCEセンターの野田先生と出会った。

その野田先生と一緒に開発したのが明日発表の「見守るほいくプラス」だ。

あの時、あの組み合わせで縁が繋がらなかったら明日はなかっただろう。
一期一会の奥深さと偶然の一瞬を心底感じる。

今回のセミナーはその3名の講師とのキッカケとご縁でできあがった企画です。
明日の参加者の皆様との邂逅や出会いにもとても深いものを感じます。

全国各地からわずか3時間半のために遠路東京までお越しいただく方々。
その中には、日帰りの方もたくさんいらっしゃった。
往復の航空券やご宿泊のことを考えるとかなりの費用がかかる。
本当に有難いことだと心から感謝しています。

時間へも自分へも多くの投資をなさっている素晴らしい方々。

しかしこの「価値への投資」が分かる方々こそが「本当の凄い人」なのだと私は改めて思う。きっと明日は大切なものを守るために、変える事と変えない事を持つ勇気と自己投資ができる素晴らしい方々との出会いなのだと思う。

感動で始まるセミナーとプレスリリースになるよう心から祈り準備をします。
本当に楽しみです。