以前、ある人にこんなことを言われたことがある。
「こんなことをして相手にどう思われているのか気にならないのですか?」
それは生きている以上、他人が自分をどう思っているかはとても気になるものだ。できる限りの配慮はしながら、自分の主張は通そうとは常日頃から苦心している。しかし、それだけをずっと考えているかというとそうではない。
「自分が相手をどう思っているか」の方を大事にするようにしている。
相手からはどう思われたいと思うのは確かにある。
しかし、それをどうしても白黒つけたいと思っている人がいるけどそこまではない。常に好きか嫌いか、敵か味方かと相手の心は分からないのにそればかりに執着する。でもそれは自分が確立できていない証拠だと思う。
好きか嫌いか、はっきりしたいのはそれを聞く本人なのだと思う。
私にとっては、相手よりも私自身がどう思っているかの方が大事なことだ。
色々とこの世の中にいれば、立場上、色々な柵を持っている方々もいる。
それに、何かよからぬキッカケがかなさり誤解されることだってある。
集団になると、小さな噂が間違った事実を広げることだってある。
マスコミに報じられればもはや正しく伝わることはない。
どう思われたいと思っても人は主観があるからどうしても好き嫌いはある。
でも、ここで大事にしたいと思うことがある。
それは、「こちらが愛している」という事実があればそれ以上は両方忘れてしまえばいいのだと思う。
ある感情をもって白黒つけたいと思うくらいならば、両方なくして素のままの在るがままの心で接していけばいいのだと思う。
感情は鏡のように自分の心へ透写する。
せっかく大事な自分、大事な本質があるのならばそう関わりたいものだ。