失敗について考えてみる。
生きていると「失敗したな・・・」と思う時がある。
得てして時間が経過するとそれはその時は最善だったといつも思うのだがなかなかその瞬間はこれは大失敗だなとしか思えずとても悶々と悩んでしまう。
事業をしているとその目標の高みや崇高な志から、人間関係の問題や自己嫌悪が起きるような出来事があるとついまた失敗してしまったと深く悩む。
以前、師匠から論語の曾子の言葉にある「三省」の意味を教わった。
これは本当に判断を悩む時に座右にしていこうと思っている。
「われ日にわが身を三省す。人のために謀てしかして忠ならざるか。朋友と交り言てしかして信ならざるか。習はざるを傳ふるか。」
・・・
なかなかこれは簡単にはできないことであるなとつくづく思う。
自らが誠意を持って人に接し、友に対して真実で付き合い、自分のものになってない知識を安易に語らない・・・
私にとってはこれは三省どころか何百回もやらないといけない。
失敗は色々な意味で、前へ向かい自分が変わっていくための活力をくれる。
そして変わることで、その失敗と向き合うことができる。
だから私は思う。
子どもたちも失敗することよりもどう起き上がっていくことが大事だということを背中で伝えていきたいと。
今の世の中は失敗を恐れ、安定を求めることがとても多い。
以前、どこかでこんなユダヤの格言に出会ったことがある。
『決して失敗しなかった者は、何もしなかった者である』
きっと、そうなのだろう。
失敗は恐れるものではなく、失敗は成長への唯一の機会なのだと。
何かをやるから失敗するのであれば、それは勝利への勲章であるのだと。
成功への段階を得てより将来へ味わいを深めるための最高の糧が失敗なのだ。あまり大きすぎる失敗は乗り越えるのに宿命や運命が圧し掛かる。だからそれを幼児期の「学びや遊び」でしっかりと体験することが今は特に大事なだろうと思う。
生きているとうまくいかないことの方が多い。
だからこそ生きている目標や夢は、叶えるまでがオモシロイのだと。
本当の面白さは、失敗があるからこそだろうなと。