存在

生きていると嫌なことや嬉しいことに出会う。
また何かに執着すると自分勝手に善悪を決めて、よく後悔することがある。

形あるものには形がなく、形があるからこそ大事なものが見えなくなる時がある。
存在を感じるには、形があるものではないものを「在るもの」だと思う力が必要だと思う。

たとえば、

 そこになくても、あるように思えるもの。
 そこにあるのに、ないように思えるもの。

この存在を見つめるときに何を思うだろうか?

もし何かの感情に執着したり固執したり囚われると、大事なものまで見えなくなってしまう。

以前、田坂広志氏の著書で「死生観」のことを学んだ。

もし自分が明日死ぬとするならば、この今をどう生き切るか?ということだった。そしてその他に、「歴史観」「世界観」ということも大事だと書いてあった。

この今の判断がすべての未来に繋がっているとして、今、目の前の出来事に対してどう自分が処すことができるか?

存在を考える時、人は「今」を見つめているのだと思う。
今を見つめる時、存在の本質を穏やかにそして静かに感じるものがいいのだろう。

きっと人は存在をどう感じて、存在に対してどう向き合うかで生き試されている。
大きな存在の中に在りその境界でしか、それを感じることができない。

存在が持つ境界とはきっと、分けるものではなく「許す」ものなのだろう・・・