未来のために少子化を止める

国家の少子化対策基本法前文にこんなふうに書かれている。

「我らは、紛れもなく、有史以来の未曾有の事態に直面している・・」

そんな事態なのに、このままのやり方では本当に危機的状況になるのではと焦る。
この国の民族は、なぜいつから自らの将来を閉ざそうとしてしまっているのかという気がしてしまう。

どの国も、将来への行く末を見通し今何をやるべきかを考えている。
命が存続すること、大切なもの受け継ぐためにやっていることだ。

この国のリーダーたる人たちが、目に見えない偉大な叡智なるものを大切にしない今、どうやって将来を見通すことができるだろうかと思う。
簡単に目に映るものの如何に価値の低いものかなぜ分からないのか?
本当の感性は、そこから見えないものを分かるようになる霊性のところにあるのということも忘れてしまっているのか?

たとえば、政策ひとつでもなんと浅いところで国民に語るのだろうと毎回思ってしまう。
国民が分かりやすいようにとやっていることが矛盾だらけだ。
言葉に力が感じられない。

先日、師匠にセミナーで対談していただいた。

やはり本物といわれる人、凄い人は、誰にも分かるやさしい言葉で話しながらももその話しの水準の高さは一切下げてはいない。
決して難しい言葉ではないのに、相手に対して伝えたいところはきちんと伝えている。
そして聞き手がその大事なものを受け取ることができ美しく変わっていく。

そんな本物の人がこの国のリーダーにならないから、分かりやすいところだけで民衆に語る言葉言霊に「本気の魂」が宿らないのだと思う。

本物の人が本当の場所に座し本気じゃないから変わらない。

産むためにどう、働き方がどう、補助がどう、、、なぜ分かりづらくても見えづらくても創意工夫、努力信条で物事の本質を堂々と語らないのかと思ってしまう。

それが分かる人がこの国を救うのではないか?
どちらの価値観を持つ人たちを集めて一体何をしようとしているのか?
そんな生き方をこの国の手本にして果たしていいのか?

今の時代は、大衆も何かを話すとすぐに宗教だなんだとコウルサイ。
しかし本当はそれはこの国の大事にしてきた「誇り」であり「文化」「伝統」だといえばいいじゃないかと思う。何が恥ずかしくて、何が悪いのか、あなたが今ここにあるのは誰のおかげなのか?すべては連続性があり、繋がっていて途切れていては今はないはずではないか?それなのにそれに感謝する気持ちも忘れてしまったのか?日本人の霊性は世界最高だと私は信じているのに。

もう道徳心をないがしろにする身勝手な大人の持つ利害関係や損得基準で、「世界人類のための命=こどもの将来」を閉ざすのはやめて欲しい。

こどもは、過去、今、未来の全てを持ってここにいるのだ。

少子化を止めるには、もっと違う視点がここで必要だと思う。

それは我々国民一人ひとりが、神道にあるようなすべてのものに生かされているとうことを感じる力を分かち合い醸成し、すべてのものに命が宿るというかんながらの心をもう一度初心に帰り見直すことだと私は本気で思う。

こどもの素晴らしさは、自然を内包しているのだ。
自然の中に世界への扉、未来への夢が開いているのだと思う。

このような感動と素晴らしさを国民の皆で心底味わい、分かち合い、喜び合うことこそ、本来の姿であると思う。

 五穀豊穣を祈り続ける姿から、この国の明るい未来の行く末を。
 伝統を重んじ、守り続ける姿から謙虚な未来への姿勢を。
 太陽や水、空気、地球から生かされているという未来への感謝を。

かんながらにあるようにそうやっていくことが少子化を止めることだと私は思う。

一見、繋がっていないように思えることでも物事の本質は変わらないと思う。

目に見える快楽、耳さわりのよい政策、都合の良い満足に決して惑わされてはいけない。
確固とした価値意識を共有できる崇高な理念の人たちを集めていくのだ。

私たち日本人は全世界へ大きく貢献する力が備わっている。
世界にとって稀な民族であり崇高で偉大なものが分かる唯一の民族。

この国の皆が心の奥底に持っている本当の誇りをもう一度未来へ向けて開放する時期が近いのではと思う。

今こそ人任せにせず、まず実践し、すべてをこどもから学び、すべての自然から受け取るようにして、保育界、幼児教育界に関わる一企業人としてこの価値を分かって頂ける方々と共に命を懸けて真摯に取り組んでいきたい。