祖父の思い出

幼い頃から両親が共働きだったのでよく祖父に私の面倒をみてもらった。
その祖父はもう亡くなったのだが、とても印象が強い人だった。
戦争も経験し、寡黙でとても自他共に厳しい人だった。

その祖父はよく私を山登りへ連れて行ってくれた。
私が今でも山登りが好きなのはきっと祖父の影響を受けているのだろう。

祖父の山登りは少し違って、どこから登るというものがない。
たとえば、世間一般の登山路ではないところから山に登ろうとする。
どこを目指しているのかさえまったく分からない。

幼心に、遭難しないのか?大丈夫なのか?と不安を抱きながら一生懸命背中を追いかけて信じてついていった記憶がある。
子どもの歩むペースにはあわせてはくれず、足早に登っていくのも怖かった。
ここで引き離されたら遭難してしまう!と必死で着いていってた記憶がある。
実際に、遭難に近いこともあり数時間以上彷徨い反対側の町へ出ることもあった。

そんな時は、私が色々と文句を言うのに無言で公道を通り道伝いに帰るのだ。

戻った後は、祖母から色々と心配されるけどそれでも祖父はよく無言で孫たちを連れ出した。

しかし今思うと、その登山という無言の実践から学校では習わないもうひとつの学び方があるということを教えてもらっていた気がする。
社会に出ると、この山登りの記憶が色々なところで役になってくれるからだ。

またこんなことも思い出した。

祖父は畑を耕して野菜を作っていた。
その畑で耕した野菜を車に乗せて知り合いが集まるところに売りにいっていた。

いつも祖父が私を呼びに来る時は「乗れ」の一言。
その後どこに連れて行かれるのか常に不安だった。

山か、川か、ひょっとすると畑の手伝いか、草むしりか、自転車発掘か、だいたい楽なことはなかった。

しかしこの野菜売りだけは何もしなくていいのが特徴だった。

今思うとここから商売というものの原点を教わった。

祖父は野菜を必ず相手が払いたいと思う以上にあげていたのだ。
たとえば、500円で大きな買い物袋2つ分くらいの野菜をつめてあげていた。

傍で見ても、「本当に商売する気があるのか?」と子どもでも分かるようなお金のやり取りにいつも不思議で仕方なかった。

その帰りに手伝いをしお小遣いの100円をもらっていた。

あれだけ苦労して手伝って作った大量の野菜が、あの量で他人からたったの500円。
その手伝った私のお小遣いが100円も。

「これでいいのか?!」

といつも感じていた。
でも使う時は子どもだったのですぐに駄菓子へ直行だったのだが。

でも今は、とても有難かったと亡くなった祖父に心から深く感謝している。

商売という無形の財産、無形の資産があることを教えてもらった。
私が幼い頃に見ていたものは、ただのお金だった。

会社を興し、たくさんの人たちに助けられ支えられる今、祖父が無言で私に教えてくれたことが少しだけ分かるようになった。

社会貢献というものの無形無財の対価。
見える財産と見えない財産。

商売の本質を教えてくれたのは、幼い頃の祖父の教育だった。
祖父は、必要なものは自分で感じ取れということを言いたかったのだろう。

今の社会は、勝ち組だ負け組みだとくだらないことで生き方を翻弄される人が多い。子どもたちには、そんなものを見るよりも知るよりも違うものを見てもらいたいものだ。

幼い頃に学んだものは、すべて成人し社会に出て本当に自分自身を支えてくれる。
その支えがあるからあらゆる艱難を喜びに変えていける。

祖父のような人を解釈することはできない。
すぐにマスコミや評論家は言葉に変えてさも分かったように物事を語る。
本当に心が寂しい人だなと思うし、これで食べているのだから、、と思ってしまう。
だから学校では、もっと情報リテラシー教育を進めれば良い。
本質を見抜くとは、その背景や世の中を広く見て自分自身で答えを見つけ出すことなんだよと教えることもそのひとつだろう。

本当に美しいものはきっと一緒になることでしか分からない。
本当に感動するとき人は、その中に一体になっているのだから。

祖父に教わったこの大事な本質をもっと醸成し、仲間を増やしていきたい。
亡くなった祖父の人柄を思い深い感謝を込めて。