潜在能力

先日、東京で知り合った友人と食事をする機会があった。
同世代なのだが、お互いがとても良い刺激になる関係を続けている。

日常のことやプライベートの話しなどをたくさんするがほとんどが仕事に繋がる話しを意識して行っている気がする。

きっと仕事を誰よりも楽しんでいる2人だからこそなんだろうなと思った。

お互いその境遇はといえばそれはそれは困難や艱難ばかり、^^;
高いハードルや大きな壁にぶち当たりながら全力でまだ見ぬ成果と自分の成長のために時間と自分という器に投資を続けている。

よく社会で定義している成功者やできる人といわれる人たちと出会った時に思う感覚がある。

彼らはみんな目標を目指して、日々ハードに努力鍛錬に取り組んでいる。
決してそこには愚痴はこぼさないし、よりうまくやろうと、もっと描いている通りにできるようになろうと誰と比較することではなく唯自分自身と真っ直ぐに対峙して仕事に取り組んでいる。

それはきっと人生の大切なものを得るためにだろうし、自分の潜在力を最大限に引き出すためにハードに働くことは重要なんだと思う。

潜在能力がどれくらい自分に備わっているのか?
20代の頃の自分の目標はそれを知りたいと必死に努力した10年だった。

振り返ると30代になった今でも、その気持ちは基本的には変わっていない。
しかし、より難しくなってくるし、より高度に複雑になってくる感じだ。
どれだけのものがこの先の対話で見つかるのだろうかと思うと心躍る好奇心で胸いっぱいになる。

だからこそ、ある意味でまた初心に戻りハードな日々に取り組む勇気がいるのだと思う。
楽になるためとか安定するためなどを目標にする人もいるが、それはきっと辛い方を選択しているんじゃないかなと時折話しを聞きながら思ってしまう。
本当の楽しさというのは、どんな時も自分に内在する自我の潜在能力と対話する悦びによって得られているような気がするからだ。

なぜなら何かしらの決断や判断は、すべて他人ではなく自分で全て選択し決めているからだ。その対話は誰とではなく自分自身としかしないはずだからだ。

目に見える世界は自分が作り出しているもの。
だからそうなのだろうと私は思う。

毎日、何かしらの出来事が世界中で起こっている。
その中で自分がどの位置に立ち、どの位置で考え、どの位置で向き合うか?

大きな課題があればあるほど、自分の中の潜在能力が「まだいける」「まだいける」と声がかかるのは本当に不思議だ。

自分を信じるということは、人を信じることに繋がっている。
できる人、できない人とは定義をしたくはないのだが唯一言えばそれは内在する潜在意識を引き出そうとする気持ちがあるかないかだと思う。

マンネリ化する日々は、無情にも過ぎ去るばかり。
より成長を目指して、世の中に貢献できる命を使う人になりたいものだ。