毎日、人はあらゆる選択をしながら生きている。
その中でも外側に対して行っている選択と、内側に対して行っている選択があると思う。
たとえば外側で言えば、自分が与えられた現実(REAL)の環境からどうするかを選択するというもの。もう一つの内側では自分がどうしたいかどうなっていたいかという理想(IDEAL)の環境から選択するというもの。
世間でよくいう「うまくいく」と定義されているのはその両面がバランスよく存在して調和している時なのだと思う。だからそのためには決してどちらも急ぎすぎてはいけないのだろうと私は思う。なぜなら生きていく上において何よりも大切なものをおざなりにしてしまうことになるからだ。在る特殊な状況を除けば、その両面をゆっくり味わいながら自分の生のモノガタリを謳歌し楽しむことが「良き人生であった」と次に繋がる最期にはなるのだろうと定義しているからだ。
しかし、もしその両面のバランスが何らかの刷り込みという影響を受けて壊れている人を元の自然に戻そうとするためにはどうすればいいのだろうか?
私はこう考えている。
それは外側という現実で起きていることを、内側の世界を使って「まったく別の観点のものに一度変えさせる」ことだと。
毎日同じ景色や風景を見ていたものが、ある時を境に突然まったくそれが違う景色や風景に変わるようなものだ。
外側の世界は自分が与えられた環境を世間や他人が評価することで出来上がっていく。
内側の世界は自分がそれをどう受け取ったかで出来上がっていく。
つまり外側は制限があるのに対し、内側には制限はないのだ。
何かの本で読んだことがある。
「人間が持つ、心の広さは宇宙よりも広い」と。
内側の広さをただ面積的に大きく拡げるという教科書的な感覚ではなく、内側の観点を別のモノに帰れば自然に広がるということなのだろう。
そのための第一歩はまずは何より相手を「人間的」に認めてあげることだと思う。
ここでの人間的とは、美しい心、豊かな心、そんなものを持っている人間が自分なんだとそのものごとの本質を周りが深く共感し賞賛し、それを相手以上に信じてあげることだと思う。
人間的に深く認めてあげて誰よりも深く信じてあげれば、その人の内側の世界はまったく別の観点に変わっていくと思えるからだ。
今の保護者や保育士、保育、そして業界、子どもを中心とした外側の環境のあらゆるものはバランスを壊しているように私は観える。
子どもたちには、その人間が持つ素晴らしさを謳歌する大人たちが身近にいて内外ともに「生きる力」を手本とした人間の模範になれるようにまず私たちがそれをできるように内側の世界を正視してバランスをとっていこうと思う。
それは子どもが在る喜び、居る豊かさ、その全てを人間的に感動したり感謝したりありとあらゆる感情が出尽くした先にある偉大な込み上げてくるモノレベルまで実感させてあげること。
そしてそれを気づいたならば、世界の調整役を私達が喜んでかってでようと思う。
それが自分以上の大切したいものだと真剣に思えるからだ。
・・・ミッションに戻っていく。