花明かり

桜の花が咲く季節。
ちょうどこの桜花が満開の時期に私は生まれた。

いつもこの桜を観ていると何だか不思議な感覚に包まれる。
先日も故郷にて桜が咲いていると、つい気にとられて足を止めてしまう。
よほどニンゲンが気を取られるほどの怪光を放っているのだろう。
音のない夜に咲き誇り散る桜の様子には、まるでこの世ではないようで・・
なんともいえない美しさの中に完璧な妖艶なオーラがあるようで・・・

師匠のブログでその桜花について書いてあったので話を伺ってみた。
桜の花には、人を狂わせる何かがあるように感じる。
虚空であり、無常であり、孤独のようなものなどがあると。
だから人は桜の下で酔いしれるのだと。

確かに桜の下で宴会をしている様子を視ると、人が狂っているようにもミエル。
人は、桜のあまりにも繚乱で儚い美しさに見蕩れ粋狂してしまうのだろう。
まるで今の資本主義的な混沌とした誤った社会のようだ。

昔の大衆は桜を恐れていたそうだ。
きっと、その美しさの中の魔境に入ることを恐れたのだろう。
最近では、そんな桜の花明かりや花盛りを恐れなくなった人が多い。

そう考えると人間の麻痺は恐ろしいと感じる。
人間は、無意識に麻痺してしまう生き物。
一度麻痺してしまえば、善悪の区別もなくただの肉塊の死人のようになる。

それだけ今の大衆は、人の命の意味を狂わせるような麻疹で満たされているではないか?
ひょっとしたら、人工的に配置されたあまりにも妖艶な美に目が奪われ人の心の外から内へ内へと入り込んで麻痺させられているのではないか?

あまりにも不自然な完璧な美しさは、その魔欲の力によって人間を狂わせオカシクさせるのかもしれない。

ただ素朴にも真っ直ぐに生を粛々と繰り返し歩む生きものにとっては、桜の花はあまりにも香りが強すぎるのだと。

そう考えると、人の目に映る陽炎な攫みどころのない花は畏敬を持って眺めるものなのかもしれないと改めて心から戒める。

時に囚われ、時に奪われ、時に惑い、自らが絶対に魔境に入ってはいけない。
焦りと不安、恐れや悲しみは桜花に自分を惹き付けていく。

しかし、それではイケナイ。
早く咲き早く散ることそのものには何の意味もないと思えるからだ。
その狂おしいほどの麻痺に酔いしれてはイケナイ。

それそのものにして美しいがその美しさが持つ儚さゆえに、人は魅せられる。
しかしその魅せられ方はあくまでも桜花の持つ妖しいものと同じだと畏敬を持って戒めること。

やはりここでも大事なのは随神の道。

いつの日かそんな満開の桜花の下でも静寂を保ち、花明かりを纏えるような静寂と邂逅に離れる自分でありたいと心から思った。