私は「everblue」という団体からよくウォームマグやエコバッグなど自分で考え必要と感じたロハス関連商品を購入する。
この団体は、地球環境を考えている団体や企業そしてボランティアなどが賛同し、みんなでひとつになって活動をささえあっている。冊子なども年間購読であわせて購読している。この「everblue」は、ever(=いつまでも)とblue(青い地球)をつないだ言葉だそうだ。
いつも地球のことを考えると昨今の身近な世代のことを私は思う。
自分たちが生きている時代や時間が自分だけのものだとしたのはいつの頃からだろうと・・・
昔の人たちは、短い生涯に於いてもそれは自分だけのものとはしてはいなかった。
古人は常に次に生きる子どもたちのことや関わる周囲の生物を万物の霊長として思いやり、そして天からの恵みがいつまでも続くように心で祈り、そして先人先達から受け継いだ記憶を大切に守りぬいてきた。
いつからだろうか・・・
こんなにたくさんの人たちが他人と自分との関係を孤立無縁化しようとしたのは。そしてなぜ価値観が成熟するはずだった21世紀の日本の社会に於いてこのような異常な価値観が普通に大衆に容認されてしまったのだろうか・・・と。きっと歪の理由はたくさんある・・・
成熟した精神とはもっと豊かで揺ぎ無い自然との調和、つまり「かんながらの道」ではあったはず。日本人はそれを知っているはず。
平和と引き換えに、なぜ人間は大事なものをすぐに忘れてしまうのか。
またここでも、傲慢な動物的な人間の本能に支配されてしまうのか。
もう今の若い世代や社会にいる人たちは、自分が生きるということが、本当に自分だけで生きられるとさえ思えるくらい完全に今のシステムに染まり、勘違いしていてまったく気にならなくなっているのかもしれない。
どんなところにいたって、みんなは同じところに立っている。それが地球。そしてどんなに国境や格差を創ったって人は同じ空間を共感している。それが地球なんだ。ひとつになる、そしてみんなで助け合い寄り添い生きるとは、地球とともに生きるということだ。
こんな当たり前のことさえ、あるがままにできないのはなぜなのだろうか。
最近のニュースや、周囲の話を聴いているとこの時代の人間の価値観は、この空間や場を持つ地球や自然を人間がほぼ完全にコントロールできると思い違いし、天の裁量や采配にいちゃもんをつけ後付して、すべてのともにあるべき生き物を蔑ろにして生態系を滅ぼしていくことをも気づいていない気もする。
医療だって科学だって、浅はかな人間のちっぽけな刹那的な解決のためにさもそれが分かったかのように成功したと言い切り振舞うことで大きな富を動かしている。
そんな治療なんてよりもやるべきことがたくさんあるはずなのにそこには着手しようともしない。
しかし繰り返し歴史が必ず証明するようにもうすぐ大きな竹箆返しで気づくことになるのだろう。地球がなければ、刹那的に富はあってもその意味がないからだ。
人は時に流されるのは簡単。何も考えなければそのまま時は流れる。
でも過去の歴史の先達が残してくれた記憶を受け取る「今」を生きる私達は本当にそのまま流されていていいのか?
私達は、一人でも先祖が欠ければ今の自分はここに存在しない。
そしてその先祖はみんな多くの警笛や警告を私達へ遺して譲ってくれている。
その感謝に気づき報いるためにも、いったい今我々は真摯に何に取り組んでいくべきか。
それを分かる人たちこそが、世代を担い、世界のバランスの調整役をかってでるしかないのだろうと私は思う。
別にそれは環境ボランティアやNPOだけがそれだと言っているわけではない。
大事なのは、次世代のためにも本気で地球と一緒に生きるということがどういうことなのかを思い出すことなのだと私は思う。
きっと、一世代で叶えることが出来る夢なんてたいしたことはない。
百年先、数百年先のことを思ってこそ本当の夢なのだと思う。人間に与えられた先見の力は、遠い未来次世代の夢を繋いでいくことが素晴らしいのだと思う。そしてその世代の夢は私達の子ども達が叶えてくれる。
ここに生まれてきた命を引き継ぐ本質があるような気が私にはする。
今の子どもには、自分だけのことではなく、世界を含めた地球の存在を身近に感じることができるような常に次世代、数世代先のことを思うスケールの大きな子ども達になってほしいと強く願う。
そしてそのためにもまず我々大人こそ、子ども達のモデルとなるようにせつな的な生き方を已め、魂の質を磨き、ちゃんと何世代も越えても大事にしていく進化の本質をきちんと繋いでいける生き方を見せていきたいと思う。
世代を思い、地上に生きる命を省み改めて深く地球に関わっていこうと思う。