経営のかんながら

色々な方とビジネスをすることは社会貢献の尺度を自分へ試される。
自らの何を持って社会へ還元して共生していくかは、よくよく自らの分と度を弁えないと話がおかしくなって取り返しがつかなくなることがある。

儲け話とよく世間で言われるものは、誰が儲けるかで話の筋道が変わっていく。

世間では、正しく使う、正しく用いるなどあまり問われないが私はこれが一番重要なことだと思う。

よく私は、カグヤがいただいているお金は一銭たりとも泡銭は使わない、意味のないものには一円たりとも投資しないと話している。

これは別にセコイからやケチだからという世間の定義ではなく、園が補助金をいただき子どもが学ぶために両親や先祖からいただいた大切な徳を粗末には絶対にしないという覚悟からそう思っている。

だから私はある意味で合理的なのだと思う。
無駄が嫌いだからだ。

その無駄も、価値のある無駄はロハスやスローなどで会社の柱にしているのだが他の誰でもできるような仕事は価値観の優先順位の低いのであまりやりたくないと思っている。

「わがままですね」と他人に言われることがあるけれど、私は「わがままではなく「在るがまま」と言ってほしいと話しています。

在るがままを受け容れて、自分の中にある徳と才を命ある限り最大限活かしてその生を終えるというのは、なぜ生まれてきたのかの問いに繋がっている気がする。

そこに社長だからとか、先生だからとか、何それとは関係ない。
人間は、限り在る命の前では平等だと思う。

「自分にしかできないことをやる」とは人生のテーマだと私は心底思う。

私は目下、二宮尊徳先生を尊敬している。
知るのが遅すぎたが今からでも学びつくそうと思う。

脚下にある実践にはまさにこの方の生き様が人生の模範だとも思える。

尊徳先生の正しくモノゴトをジャッジして経済を計るに良い言葉がある。

「徳は本なり、財は末なり。
 本を外にし末を内にすれば、民を争はしめ奪ふことを施す。」

その子孫が書き記したもののなかにある徳を以て徳を活かす「万象具徳」というのは本当に深みのある良い言葉だと思う。世の中には本質で生きる素晴らしい方々がいるから勇気がもらえ、まだまだと背中を押してくれる。

本当に有難いことだ。

そして、もうひとつ。
これは日々の実践で、とかく自らを省みる言葉としては真玉のものだと思う。

「 遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す

 それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う

 まして春をまきて秋実る物においておや、故に富有なり

 近くをはかる者は、春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず

 ただ眼前の利に迷うて、まかずして取り、

 植えずして刈り取ることのみ眼につく

 故に貧窮す 」      (二宮尊徳先生)

私たちは、子ども達の次世代に貢献していくと誓った企業。

自分にしかできないことで、次世代に何を遺せるかを日々の実践を通して未来の想念を実現していきたい。

感謝。