先日、オランダから教育界専門のコンサルタント会社JASを招聘し合同意見交換会を新宿NSビルの最上階のスカイカンファレンスで行った。
JASはオランダのイエナプランを中心にした学校経営や教育のコンサルティングを行っている。特に教育者が狭い空間や繰り返しの中、また日々の社会生活にある誤った刷り込みの囚われないようにするために子ども主体の原則に即した気づきツールの開発に長けているということが意見交換をしながら分かってきた。
また教育・研修でも6つのモジュール(背景・人間学・ワールドオリエンテーション・グループ指導・基本活動・芸術活動)を分けておりそれぞれに工夫された専門性の高いワークショップを展開している。
今回来日のメンバーは、その共同経営者2名と現場専門家の1名の3名で来日した。
その日は、カグヤも全クルーが参加し一日中世界と日本の差異や同異をディスカッションして何が課題で何が共通のモノサシなのかをとことんコンサルティングの現場感覚で話し合うことができた。
その中で視得てきたものもある。
もちろん、日本の社会構造がそもそも画一的な資本政策にあり先進諸国の中では時代の成長速度における個々の市民の民度レベルなどがあまり向上していない問題もあるのだが保育や教育という分野でも、一人ひとりの人権というものをちゃんと定義するような機会が日本の学校教育にはあまり設けられていないことにもよる。
別の言い方で話すと、人はどんな人にも生まれながらにして持っているたった一つの命や個性があるんだということをどれだけの社会や教育、保育などの環境を通して「見守る」かということを幼い時からキチンと話し合いされて定義されて意識されていないという意味だ。
世界では、人間が人間になるために、そしてその人間が豊かに生きられるためにキチンと教育を行っていく。
教育は、別に画一的にさせたり、競争させたりして、社会の荒波で生きるためにだけあるものではない。
どんな環境下であっても、それぞれの個性や命を認め合い助け合い、そして何よりもそれぞれが「豊かに生きられる」つまり「幸せになる」ために教育や保育をキチンと環境として幼い頃から自らで考え身につけるようにしているのだと思う。
本来、宗教なども現実世界の厳しい状況下でもどれだけ自分の理想との中心軸、いわばこの地球にある天の理に沿って正しく生きていこうと創られたものでもあるのだと思う。それも豊かな心を持って生きることを忘れないための方法の一つであるのだと私は思う。
人は誰も生まれてきた以上、必ず「幸せになる権利」があるのだ。
カグヤで開発した個人内差記録のソフトウェア「見守るほいくプラス」の園内研修でもよく話すのだが、人権に対して哲学なき、また定義なき思想は、時として人間を傲慢にし無意識に深く相手を丁寧に傷つけることもあるのだ。
子どもの隔離や特別扱いは時としてその幸せの権利を奪い取る行為になるから私たち大人や教育に関わる人たちは本当に気をつけないといけないと私は思う。
何を持って平等かは、「その子の幸せにとって」平等であることは当然の権利だと私は思う。決して大人の「分かった気になった」平等は押し付けてはいけないと思う。もしなんらかで押し付けるのならば、文字通り命がけの覚悟で遣るべきだと私は思う。
話は戻す。
意見交換は深夜まで続いたが代表のフレーク・フェルトハウス氏との会談が特に忘れられない。
私が、「日本ではこのように物が増えて平和で豊かになったと言われても、実際は物が増えて正しい心を失いかけ、平和といいながら他人の幸せを皆で味わえないことが多い、、、お年よりは生きる意味を再び問いかけ、子ども達は未来に希望をあまり持とうとしないよう、、、一体いつから、そしてなぜこんなになってしまったのか?」と義憤を話していたときのこと。
その時、代表のフレーク・フェルトハウス氏が静かにこう言いました。
「それを社会のせいにしてはいけません。社会が今、このようになってしまったのは過去の教育がよくなかったからそれが今の社会になっているのです。子ども達がまた正しい教育を受けることができればきっと社会は変わるのです。そう、だから私たちは絶対に社会のせいにはしてはいけません。」
その言葉に、ガツンと自分がまた意味のない義憤を語ったことを戒めた。
義憤は内在する自我だけで十分で、今はそれを私たちが解決するためで出会っているのだと。
私はその言葉に国は違えども私たちと同じ時代にあって同じ使命や志を持っていることを深く感じた。
私たちは全国の保育園や幼稚園を廻っていると
「カグヤさんはなぜ会社にしたのか?」や「なぜこんなことをするのか?」
今でも園に伺うと色々な人たちにそれを聴かれる。
その時、私は「目指しているものが世界標準(グローバルスタンダード)だからです。」と伝えるようにしている。
私の言う、世界標準とは世界の持つレベルで危機感と問題意識を持ち話をして、世界の持つ普遍的な課題に対して同じ高みで取り組んでいるということ。
そしてそれは一部のマニアックな専門家やちょっと有名な人たちが徒党を組んでいるというような村社会標準ではなく、思想や哲学ではまずはとことん極みまでを目指し、世界がやろうとしていることをどんなに距離が離れていようが世界市民のその一人として常に真摯に「今、在る環境に甘んじず常に高みを求めて前進していく」ことだと思っている。
あの虹の向こうに一体何があるのか?
あの地平線の向こうに一体何があるのか?
それをこれから生きる子ども達には見せてあげたいと心から思う。
まだ至弱な私たちの活動が、いつの日か世界に影響を与える至強の魂になって席巻できるように日々内省と練磨を繰り返していこうと思う。
社会は子どもたち自身で築き上げることが子どもの幸せになると信じること。
この先3年でJASの持ってきた思想やツールを一円融合し業界に「見守る保育」を通してより深めて広げていこうと改めて誓う。
感謝。