先日、ある園で8時間近く子どものためについて話をした。
子どものためといっても色々な子どものためがある。
色々な園を見てきて少し分かってきたものが、どんな子どものためといって取り組んだ仕組みやノウハウがあったとしてもやはり園長自らが子どものために変わっていくことが「子どもたちのために」の本質的な成果に繋がっているように思えることが多い。
私がそう思えるのは、色々な園を観てきて園長が子どものために自分を易えようとするその至誠が揺ぎ無い理念の大きな場を創造して徳が建立され、子どもや職員、保護者から周囲へ感化されていき、その人にしかできないたった一つの理想の園になっていくのを年数をを追って観ていると感じるからだ。
一見、派手に変わったところに人は心を揺らめき攫われてしまう。
しかしそれではまだまだ実践が足りないだけ。
どんな時も内観による自身との正対と対話に於いて、本気で理念の基盤を磐石にしていく力には何のノウハウもテクニックも及ばない。
なぜならその「思い」や「念」に色々なものが引き寄せられて天の計らいとも思える唯一無二の絶妙の組み合わせがそこに起こって来るからだ。
どんな時も、どれだけの問題意識と危機感で日々自身のミッションにおける志と真剣に向き合うかでその人の人間力が醸成されているのだということを忘れてはいけない。
安岡正篤氏の話で「戦場で第一線から遠ざかった場所では人はつまらない雑誌か小説を読んでいるが、だんだん戦線に近づいてくると、そういう本はバカらしくて読めなくなる。真剣に精神的な書物を読むようになる。本当に命に響くものを求めるようになる。
『つまり人間は真剣になると、くだらないもの、浅はかなものは嫌になるのです。本当に命のこもった尊い本でなければ身にこたえない』(小さな人生論2 致知出版より)
どんなことも自分が変わろうとするその本気の心構えと日々の実践でモノゴトの成否は決まると私は思う。
凡事徹底の本質とは、どれだけ凡事を非凡に徹底して行うかによるのだと思えるからだ。
カグヤでは日々、社内のクルーとメールを通して問題意識と危機感に向き合っている。私自身、一年で約3000通以上のメールを通してクルーの皆と問題意識と危機感を育てている。
以前ブログでも何度か紹介したがそのメールでのやり取りの一部をここで紹介してみることにする。
・・・・・
私も、最近少し似たような経験をしました。
保育園でソフトをやろうとしたときに主任が「最初だけにしろ職員たちがこれ以上忙しくなるのが問題」と仰りました。
そして後から集めた他の職員に伺ってみると、「何のためだか分からない行事、何のためだか分からない書類、と同じように、何のためだか分からないソフトは、忙しいからしたくない」とのことでした。
皆さん、忙しいということがすべての基準になっていました。
そして驚いたのが、何のためにやるのか、何のために書くのか、何のために問題点を見つけるのかを話し合う機会は無いそうです。
忙しい理由は何故なのかを尋ねると、「何のために私達がいるのか、園として何をするべきで、何をしないべきなのかを話あわないところに問題がある」ということを聞きだすことが出来ました。
結局のところ、
>それにゆったりと保育者としての生き甲斐や働き甲斐、遣り甲斐を感じる環境がほとんど整備されていないなと感じる。
この意味合いは非常に大切だと感じます。
カグヤが全体会議やサミットなどに時間を用いるようなああいった場が本当に無い。
また、たとえ合ったとしても、何を話すべきなのかが決まっていないことが多いとのことも出てきました。
生きがいや働き甲斐は受身のままや変わらないままでは何も生まれないということだと思います。
先生方も、実際にそのことを肌で感じてもらい、途中からは答えを質問をするのをこらえて、「こうして行きたい」という言葉に変えようとしている主任先生をみて、職員の方々も色々な意見を出すようになっていました。
そうしてソフトの活用に向けたスケジュールを先生方の口から出していただけたからこそ、実現するのだろうと感じました。
色々な課題が園にはあるのだと思いますが、大事なもののために、時間をとり、ゆっくりとそれについて話し合う場を設けることで、先生方の忙しさはかなり変わってくるのではないだろうかと感じました。
オルタナティブコンサルタント 眞田海
・・・・・・
子どものために変わっていきたいと思う志の中では、どんな職業の違いもなく、年齢の差もない、国の違いもなければ、立場の違いなんてとんでもない。
どんなときも「子どものために変わってく」のは、自身の実践に於いてのみ世の中へ伝えていきたいと思う。
トップが変われば、現場は変わる。
社会のせいにも制度のせいにもしたくない。
できることを工夫して、何を補えばもっとも「昔あったものが今の時代にとってかわるもの」に還ることができるのか?
情熱と熱意で、今の行政にできないこと、社会にできないこと、カグヤでしかできないことに挑んで生きたい。
一緒に歩んで行ける仲間がたくさんいることに感謝し、謙虚に真心と誠意で日々の実践をとかく続けていこうと誓う。