一期一会

私はこの5月という季節がとても好きだ。

毎年、冬から春を経て夏に移っていくこの季節の風が光がそして透明に澄んだ空気を心から楽しんでいる。

人は心の状態が穏やかでなければ本当の風を感じることもないし、精神が安らかでなければ本当に澄んだ空気を楽しめることはない。

どんなに日々の喧騒に追われてしまっていたとしても、時折すべてから止まって安息に無限の宇宙の恩恵を喜んでみることも必要なのだと思う。

大きな問題意識を抱えていて、今にも押しつぶされそうになるときもある。
大きな危機感を育てていて、余裕すらもなくなってしまいそうなときもある。

そういうものは他人には見えないし、他の誰にもわかってもらえない。

そういう孤独を感じる時、本当に何もかもが嫌になってしまうこともある。

しかし、自分にはその道しかないと前向きに諦めるとき、身の回りにそういう自分を支えてくれる多くの出会いがあることに気づく。

人生本気で生きていれば、いつも一期一会に出会っているということだ。
そして逆に本気でなければ、そういう出会いも気づくことがない。

そう思うとき、人は選ばれているや選んでいるなどとは関係のない別の次元で本当の意味で「なんだ、やっぱり人間は誰しも平等なのだ」と思い心が静かになっていく。

特別な人などいない。選ばれている人などもいない。それぞれ好き勝手自分勝手にやっただけのこと。それを自分が思っているだけのことなのだ。

だからこそ、そこにゆったりと見守っていくファジーさがある、ゆらぎがある。

大事なことは、子どもの持つ心、素直さ、豊かさ、好奇心、世界へ眼を向けたやむにやまれぬ成長の魂をそのままに汚れた大人の刷り込みから守ってあげることでその特性が引き出されていくことのモデルを示すこと。

カグヤのやっている仕事は何だとよく人に聴かれる。

いろいろとああだこうだと細かく業務を説明してもどれもしっくりこない。

だから私は「世直し行です。」と言う。

こういう言葉を先日、箱根での円会イベントを行った福住旅館で聴いた。
福住正兄氏の父が、医者になりたいと願う息子を二宮尊徳に弟子入りさせるときに語った言葉だ。

『医者には、大医、中医、小医がある。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す。また大医は、その人が生まれた時から死ぬまで、健やかに豊かにその人の生涯を安心立命に過ごしていくことができるように見守る医者のことを言うのだ。』

真の教育者とは、まるで大医のようなもの。
私の尊敬する師匠はそういう人だからこそ、本気で自らを尽くしていくことができる。

常に、一期一会の念を心に抱き自分にしかできないことを貫いていきたい。そして世界に育つ立派な子どもたちのモデルとなるような本当に愛に溢れる子どものままの大人でいたいと思う。

いつも社会の中で弱い立場の人たちをどれだけ大事にしていくかは、私たちの心根の穏やかさ静かさが無限の優しさ安らぎにつながっていくことを忘れてはいけない。弱い立場の人たちを守っていけるような、世界に通用する本当の力をつけていきたい。