世の中の大切なものには、目に見えるものと見えないものがある。
職人の世界などは顕著なのだろうが、目に見えているところばかりに囚われていてはその微細な五感で掴んでいくようなことができなくなるので、目に頼らずに何かを行うとういうことなどは当然の定義になっていると思う。
しかしこれは単に職人の世界だけの話ではないと私は思う。
先日からコンサルティングをしているある園で弊社のオリジナルで開発している理念ブックを制作し研修をしている。
経営者というのは得てして外側への理念の伝達というものについては目に見えやすいのですぐに形ばかりに力を入るし、それはある程度はよくできていると思う。
そのためか変に自分はできていると安心して肝心な足もとに力を入れようとしないことがある。さらには「きっとできているし、そのはずだ」と必死で盲目に信じようとしていることすらもある。
たとえば、身近な人や右腕、また身内や職員には本当に伝わっているかというと言葉にして明らかに一人ひとりに説明してもらうように質問してみると本人が思っている以上に正しく理解されていないことがとても多い。
何となくは伝わっているのだけれども空気で読んでなんとかしているだけだったり、経験から当たらずともきっとこの辺だろうとなんとなく帳尻をあわせているだけだったりして、実際は本質的に明確に理解しているというのはとても少ないように思う。
家族や夫婦などでもそうだなのだろうが、本当に大事なことをどれだけ日々大切に評価し、丁寧に慎重に共通理解をとっているかというとそれができている人は本当に少ないと私は思う。
理念や方針などというものは身近な人は分かっていて当然と思っているのだろうが、本来のあるべきようは真逆で身近で距離が遠くないからこそより丁寧に接し、そして正確に分かるように繰り返し評価し理解してもらう必要があるのではないかと思う。
理念というのはただ可視化すればいいのではなく、プロセスの中にあるその意味の本質の共通理解こそが重要なのだ。
人はつい見ている目ばかりを頼りに物事を行おうとすると無意識に「わかった気」になってしまうものだ。
眼には見えない物、そして宙に浮かんだその朧げなビジョンをより進化させ明瞭にしていくためにも日々理念に向き合い、日々内省を積み、実践し、自分の中にある自分のやりたいことをしっかりと放さない様に掴んで「観続けている」ことが自らの人生のミッションにおいてとても大切なのだと思う。
園では、子どもたちにも同じように目に見えるものばかりで判断したり、その目に見える知識だけで物事の成否や推測をするのではなく、目に見えないもっと大切なことを自分がなくさないようにモデルを示し、日々理念に帰り、理念を実践していけるように援助をしていきたいと思う。
私たちカグヤの進む道は、朝霧の中にあっても揺らがないかんながらの道であるように私も思いを強めて理念の実践でのみ語っていこうと改めて思う。