子ども自身の声を聴く

先日、保育環境セミナー第17回を開催した。全国から数多くの子ども一人ひとりの主体性を保証する保育、「見守る保育」を目指し実践する方々が集まった。

毎年この時期に開催していてるけれど、いつも内容全てに感動するセミナーになっている。

子どものことが分からなければ子ども自身に聴いてみる。
子どもの環境が分からなければ子ども自身を観察する。

私もよく園で保育の相談を受けた時に、具体的なスキル論よりも子ども自身をよく観て、そして聴いて、どうしたいのかをよくよく深く洞察していけばいいのではないですかと伝えることが多い。

今のやっている保育が本当にあっているかどうかはマニュアルではわからないし、それを安易に答えている人がいるとしたら本当に怪しいものだ。

藤森先生も園内研修をよく行っているけれど、コーナーや環境だけ言われても子どもがいないとはっきりは答えない。それを不満がる人がたまにいるけれど、それこそが刷り込みの世界で保育を捉えていることがよく分かる。

大事なことは、子ども自身の声や子ども自身の行動に尋ねて自分がそれをよく内省観察して、その子がどうやったらより良いたった一つの自らの人生を生きていけるか、発展させれるか、幸せになれるか、それを自問する。そしてそういう人間として豊かにみんなと共生していける力を自らの力として身につけてあげられるのが保育なのだと最近では私も少しだけ身に沁みてきているようにも感じる。

よくこの業界ではなぜか企業が保育のコンサルティングなんてや、企業のクセに偉そうに先生に研修するのかなど言われることがあるけれど、それも不思議なことを仰るなと思ってしまう。

高い問題意識と志で起業した方が、必死に学んで経験を積んで、その道のプロを目指して磨かれ本質を観れるようになり、自分にしかできないことで愛する方々に貢献したいと願えば自然にそのようにもなるだろう。

それを誰かの風潮や外側だけの偏見や、今までの古風な官僚主義で判断し、自分で見てもないのに、自分で体験してもないのに、決めつけてしまったらご本人が一番大きな損失になるのではなかと思うし、本当のご縁や一期一会なんてないのではないかと思ってしまう。

私は、どんな教育者でも保育者でも企業人でも保護者でも、子どもの前では平等であると思っている。

子どもを愛する気持ちに上下はなく、子どもの未来を思いやる気持ちに貧富の差もない。

子どもがどうしたいのかをよく観てあげて、それを保障してあげていくというのは私たち未来を先往くものたちの使命であり、義務であると思う。

毎回このセミナーでは、すでにこの保育を実践している園が数か所発表していただいている。

その中で、私自身がいつも嬉しく、そして幸せを感じて、勇気と励ましをいただけるのはそこで発表してくださる先生方から「この保育に出会えて本当に良かった。」「子どもたちのことを子どもたちの目線で考えていこうと思う。」というようなことをよくお聞きする時だ。

その発表する方々の傍にいる子どもの人権が本当に保障されていくのを実感し、深く感謝と感動とに心が沁み渡り感謝に満ちていく瞬間になる。

一人ひとりがこの世に生まれてきたのは、厳しさだけを教えられるためではない。その中にある様々な喜びや豊かさ、愛や感謝、穏やかさや静けさ、優しさや寛容さなど、多くのものをその人だけの真実で学んでいくために用意してくれたたった一つ掛け替えのないステージのような気がする。

そういうものを子どもの頃に保障されて、それを少しでも掴んで穏やかにその先の自分自身の人生の道しるべにして自立していければいいなと本当に願う。

これからもカグヤは、子どもの声を聴き世界を変える企業としてモデルを示し、受容や寛容さを身に纏い、この業界を温故知新しながら激励し、常に子どもたちの味方として歩んでいこうと念じる。

素晴らしい出会いと邂逅に心から感謝。