今、生きていればいろいろなゆがみの中に存在しているのはよく分かる。
環境に支配されれば、人間はなんでも宿命という言葉でかたずけてしまう。
環境に働きかけて、その環境に自分を及ぼし感化していければ環境を支配することでき、その命を正しい方へ立てることができる。
環境をどうとらえて、自らの決断にどのように実践していくかで様々なゆがみを取り除くことができる。
それを運命を乗り越えて「立命」するという。
日々ゆがみは、環境が悪いからと環境に支配され流されることで広がっていきより大きくなっていく。
子どもたちの環境もその周囲の大人の持っている刷り込みで、支配されるのを常として教え込めばきっとそういう子どもたちは環境に支配されるようになる。
夢や志や自分の命を輝かせるはずの子どもたちが、生活のためやお金のため、迷惑をかけないために生きていくということを信じさせられるのは本当に悲しいことだと私は思う。
自立は孤独や悲しいことばかりだと思いこみさせて、大事なものを我慢していくことを大人が刷り込んでいけば、子どもは何もしないことが、そして自分を出さずに一人で生きないことが正しいことなのだと勘違いされることもある。
人は自分を持って自律して、自立していこうという意欲と生きる力があるからこそ環境に支配されずに自らの命をきちんと立てていく力を持つことができるのだと私は思う。
今の社会はとても環境に支配されやすい依存型のゆがみに満ちている。
その依存の社会は、様々なルールの中にある。その意味やその求めている本質をとらえて自分を変化させていくことが、そのゆがみを矯正するには必要なのだと思う。
そしてそれも子どもたちに必要な確固たる「生きる力」でもある。
どんなことも日々起きるし、どんなことも向き合う時が来る。
逃げていても、必ず追ってくるし、避けていても必ず目に入る時が来る。
その時に、夢や希望を捨てずに自分を貫いていける本当の自分を助けることができるように、子どもたちに信じられる社会を創っていくのは我々大人の責任ではないかと私は思う。
誰も、本質的には教育者は悪い人はいない。
そのゆがみとワナに陥る人がいるだけだと思う。
そして、親でもそう、
環境が悪いのではなく、その環境のゆがみにさらされて流される人がいるだけ。
自分の子どものころを思い出し、その時に刷り込まれた仮初の真実と向き合い、今を生きる子どものことを真摯に考えて、今の大人社会が用意した様々な環境の中で子どもたちが自分の守りたいものがきちんと守れるようにしていくこと。そのために、ゆがみと向き合い受容して常に自修自反して今をよく省みることが大事なことだと思う。
子どもたちのたった一つの自分の命を輝かせて環境へ及ぼしていく力を信じて、刷り込まず、刷り込みを取り除き、そのものの持つ「命の光」を生涯その子が発揮できるような社会環境としてそれぞれが援助ができていければいいと願う。
もっと私は社業と事業を子ども第一主義に絞り込み、世の中へ対してその自立のメッセージをこれからも発信していきたい。