先日、ソフィアバンクの田坂広志先生の講演をカグヤのクルーと一緒に拝聴した。
田坂先生とのご縁は、もう数年前になる田坂塾での邂逅になる。
あの頃からまっすぐに動じずに変わらずに、ご自分の本懐を遂げるための実践をなさっているのが今回の講演でもひしひし伝わってきて感動した。
講演の中で印象に残る言葉はすべてに及んだけれどその中でも印象深かったのは
「最も正しいメッセージはすでに過去の思想家や哲学者などによりほとんどすべてが語り尽くされている。しかし今の時代の大衆はそれを忘れているだけである。そしてそれを行じるというのはなかなかできないから難しいのである。」
という言葉。
語っているご本人が学び、それを実践してみて語るからこそ心に響くメッセージに感じた。
私自身、自問自答したりもそうだし師匠や名著、メンターとの出会いで得られる言葉も行じるとなるとそれは別物だと本当に実感する。
よく学者の方々が明快に答えられるのを拝見しても、実際にやろうとするとそれはその通りにはまったくいかない。
やはり孔子や二宮尊徳のように実践したものが遺した軌跡を辿ることが行じようとするものには真の助けになるのだろうと思う。
私たちも園では、様々な取り組みについての参考例を話すことがある。
私たちは会社の理念に「やったことしか語らない」というものがある。
会社では、様々な実践のルールがある。
そしてそれが次第に増えていく。
その増えていくのは、それが現場に必要だと感じたものは定義をつけて意味を見出し、それを実践することで真理を掴み取っていくためにもやっている。
そしてそこで学んだことを、園の先生方へお伝えして一緒に行じることを認めあい実践を増やしていくようにしている。
いろいろな評論や分析系の方がいらっしゃるが、高度なコミュニケーションは言葉を使わないと私は信じている。
コミュニケーションが高度になってくると、人は実践だけで伝えていくのだと思う。それを別の言い方では感化というのかもしれない。
しかしそういうものがなければ人は決意や覚悟、本気という人生に響くような大いなる感動も邂逅も得られないし伝わることはないと自らの体験からも私は信じている。
子どものモデルになるような大人とは、自らが理想と建前と使い分けるのではなく実践することで得た、矛盾も内包しても揺るがない信念、一円融合した叡智や智慧を語ることなく心胆を以て伝えることがもっとも相手のためにもなるのだろうと思う。
言葉で喋ることや物を書くことがどうこうではなく、その人に裏付けされた自分を律する厳しく豊かな実践がどれだけ練りあがっているのかを見てもらうような道徳的な社会に未来がなっていければといいなと思う。
子どもたちが安心して成長していけるような良い大人の背中を見せていくためにも、社業の実践を通して学びを深め行じることを優先して丁寧に歩んでいこうと思う。
一期一会に再び感謝。