確かな意味

日々、意味を感じながら生きていると色々なことに出会う。

二度と同じ事は起きないし、ひょっとしたら二度と会えない人もいるのだから常に人生は一期一会に満ちていると思う。

子どもたちとの出会い、お客様との出会い、朋との出会い、その出会いに確かな意味は在る。

先日、ある園の経営会議に参加してきたのだが、意味があるものをどのように意味があるのかを決めるのは、妥協ではなく受け容れることだと話した。

どんな出来事も、どのように開き直ってすべてを前向きに受け容れるかでその意味が異なってくる。

過去の出来事は、今の自分を形成するのに必要なことであったし、過去の出来事を肯定しているから今はそれが愛おしく思え、受け容れることができる。

肯定するためには、味わうことが大事だと思う。

それは後悔ではなく、反省することだ。

意味のある反省とは、「ああ、一度きりのこの人生、本気でやったのだから仕方がない」というように自分の今のすべてを一度受け容れ、その上で次はもっと学ばせてもらおう、次はもっと大切にしようというような心構えに変換していくことだとも思う。

結果だけでは分からないものが世の中にはたくさんある。

そして周囲が意味付けした仮初の真実もたくさんある。

しかし、本当に大事なのは、自分の生き方や信念、志に対してどれだけ正対したかがその人にとっての確かな意味になるのだろうと思う。

いつの日か、その日は来る。

一日一日を噛み締めて、そして味わって、今を生き切るほどの確かな意味をもって歩みを強めいきたいと思う。

子どもたちには、自分の人生は自分が主人公になるということ。

そしてその絵は、自分にしかできないもので自分自身が描いてほしいと心から願う。