二〇〇九年のテーマ

今年もいよいよ本日からスタートすることになる。

昨年を振り返っても、本当に色々な人たちにお世話になり、そして出会いあり、感動あり、感謝ありと、有難いご縁をたくさん頂いた年だった。

そして、人を信じるということ、信じようとするのではなく、信じるということを深く学び、見守るということを実践を通して言葉に換えてきた一年だったように思う。

人生の神妙さ、そして秘境のようなこの世界。
本当に不可思議なことに満ちているし、改めて語ると言葉にならない。

もし、あの時、あの瞬間に、あの方と出逢っていなければ・・・
もし、あの時、あの瞬間に、あの決断をしていなければ・・・
もし、あの時、あの瞬間に、あの別れがなかったならば・・・

この私が存在する「今」はここにはない。

もう二度と戻れないということに宇宙自然からの寛容で厳粛な命の輝きが観える。

そして私が在るこの今がこんなにも強い志に燃え、そして世界と信念と対話できるのは全ての邂逅の御蔭であり、命の集大成だと改めて真摯に実感することができる。

どんなに無垢な季節の中でも一日一日は決して粗末にすることはあってはならない。

大事に生きるとは、人生を「本気で生きる」こと。

つい、人はモノが溢れ、欲望が満たされ、情報が過多になっていく過程で本気で生きるということを忘れてしまう。

昨今、刷り込みのない心の眼で歴史に照らし世間大衆の人との関係を見渡せば、さして命を懸けるようなこともなく、死が遠くにあり、さして深く潜り探るような心の修養の手本も少なくなり、認める社会から疑う社会になり、人間関係もつまらない浅いところでのみ関わり、人助けがサービス精神と勘違いされ、バランスが壊れ心を病んで孤独を感じている人なども多い。

国も世界も、受け身では生きてはいけないのにいつまでも受け身に自分の人生を他人に預けて自らの脚で立とうとはしようとしない。

教育と理念なき社会は、こうも人間を怠惰にするのかと思うと心痛に堪えない。

そして、こういう時、いつの時代もその最初の犠牲になるのは弱い立場の人たちや子どもたちになる。

人生、もう二度とないのだから大事なもののために優先順位をよく鑑み勇気をもって決断して個々が仁愛の精神で自立していくことがいつの時代も必要なのだ。

義憤は、謙虚に自らを慎む脚下の実践により静かに価値を磨いて一円融合していくことで私は自立を目指したい。

さて、昨年も、師に人生のテーマをいただいてそれに向かって一心不乱に取り組んきた。しかし、軌跡を省みると、深さはまだ底が知れず、高さも天を仰ぐ回数ごとに意味があり、とても昨年のみで終わるテーマでもないこともよく気づいている。

しかし人生の慶びに際し、新たに今年もまた師と歩む楽しみをいただくことができた。

今年は、「自分を必要とされる人に、必要で返せる真の深さを持つこと」となった。

今までは、利用される人へ対して答えていればそれだけである程度は良かったしお互いに満足することもできた。それはサービスでもそうだし、人間関係でもそのような感じだった。そして自分の思いだけで進めてそれを突破していればある程度すべてはなんとなかった。

しかし、ひとたび、本気で生きる人との真剣な学び合いや崇高な築き合いに於いては、しっかりと自らに返せるものがなければ至誠を貫くことができなくなる。本質的な学びをより一層深めて、思想と哲学のようなものから技術や智慧を磨き抜くことにしようと思う。

私の仕事は、今の子どもたちを守ること。

この「子ども」という定義の大きさや深さから広大な世の中を観て悠久に易えたいと願う魂の一念。

新たに出会う真のパートナーとともに、初志貫徹を改めて目指していこうと思う。

最後に、本当に今があることに心から感謝します。
そして、そういうご縁を頂いた方々すべての幸せを心から祈念しています。

感謝再拝 一期一会  

二〇〇九年元旦