先日、ある園で理念設計について研修を行った。
現場では、長く勤めた人やそうでない新しい人がいる。しかしそこで働くことになる以上、理念を学ばなければ本質的な組織の一員にならないのだからそれぞれ新旧あっても平等に学ぶことになる。
通常人は、目に見えないものを理解しようとするとき、まず肉眼で見える所から察知して自分の体験に照らしこういうものなのかなと理解をしていく。
しかし、大事なものは肉眼では見えないのだからそれが一体どのようなものかを心眼で理解しようとするときは至誠と実践がなければ分かるはずがないと私は思っている。
それなのに、人はすぐにこういうものだろうと理念を安易に理解したり、相手にあわせてみて反応を確かめることばかりに気を取られ、根本や原理原則、その本質からズレてしまい、そのためにやりたい事や、やれることをできなくなりできないからもがく努力を本当の努力だと勘違いしたりしていることがある。
理念の体現というのは、自らがその場で自分にしかできないことをやるために如何に実行実践に於いて学ぶかということになる。人間は、真理や本質がすぐに分からないからこそ、どの仕事も初心を大事に丁寧に真心をこめて小さきことから深く理念に沿って打ち込んでいかないといけないのだと私は思う。
私は理念はたったの一日の研修で理解できるとは思っていない。
私がやっている理念の研修とは、方向性であり、目指す道であり、そのものが価値があるという意味付けであったりする。
二宮尊徳にこうある、私がもっとも尊敬している文章になる。
「我が道は至誠と実行のみ。故に鳥獣虫魚草木にも皆およぼすべし。況や人に於けるをや。故に才智弁舌を尊まず。才智弁舌は、人には説くべしといへども、鳥獣草木を説く可ならず。鳥獣は心あり。或は欺くべしといへども、草木をば欺く可ならず。夫れ我が道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜瓜茄子にても、蘭菊にても、皆是を繁栄せしむるなり」
人は知識を得て言葉を喋る。
そうしているうちに、実践よりも知識が増えていき、他人にああだこうだとわかったように喋りたくなったりするものだと思う。そうしているものでも、実践と行動をして体得したものだと、あまり多くを語らなくても感化され伝わっていく。
しかし自分がそれができていないときは、何万弁話をしても相手には伝わることはない。
そしてこういう実践により練磨陶冶された本質的な感化は、それがたとえ植物であっても動物であっても、虫であっても影響を与えることができるということ。
私は植物や動物などを育てるのが好きで、昔から長くやっている。それに料理や生活も好きなので、いろいろとこだわったりする。
理念の実践を通じて、そういう生活がより豊かになるだけではなく、行いの一つ一つが実生活で丸みを帯びて優しくなり磨かれていくのが分かると、如何に頭でっかちのマニュアルのような発想を捨てて、実践と真心で理念を体現することの方が自分の人生にとっても価値があるのかというのはよく分かる。
理念が実践されて行動が身体に伴ってくると、心が穏やかになり迷いがなくなってくる。そうなると、感謝でき、思いやりが育ち、信頼され、今に力を存分に発揮できるようになってくる。
しかし、理念を実践せずに、あろうことか分かった気になって傲慢になっていると心が迷い、何をするにも焦ってしまい視野狭窄になり周囲への思いやりや感謝まで忘れてしまっている人もたくさんいる。
理念とは、自分自身の身を助けるものであり、そしてそれが経営者やトップを助ける道になる。
理念から外れれば、自分も苦しみ、そしてトップやリーダーの足をひっぱることにもなる。
たいしてそれを掲げない場合は、無難に周囲にあわせていけばいいけれど、一度、明確に打ち出すと大きな変化の波があらわれその中で変化を体現体得できるように動きだしていく。
本当に変わるのなら理念を持つことだと私はよく現場で話す。
変わった気にいくらなっても、理念なきところに本質的な変化はないと話す。
これは理念があるからこそ、万物流転することに畏敬の念を抱き、あるべきように時代の変化において自らが変わらないといけないのだという意味になる。
常にリーダーだけではなく、社会というもの、みんなで組織するというものは、その道理を弁えて給与をいただき、働くことだと思う。
最後にまた二宮尊徳の遺訓を紹介する。
「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」
そういう理念がなければ、何もしていないのと変わらない。
ただテレビを眺めているだけのようなもの。
人生は、ドラマは、現実の世界、この場、この今にあるのだからこそ、何よりも理念の実践にはじまり理念の実践に終わるような日々を送ることが社会の中で本当に働くということになるのだと思う。
子どもたちへ、理念というものを保育現場を通して、実践により感化し、環境を通して理解できるように理念設計をし、一人ひとりが自らがどのように生きていくのかなどを学ぶ小社会の実現に向けてカグヤという会社が貢献していければと心から念じる。
この今も、私たちにしかできないことで子どもの未来に遺せ譲れるものを鑑み、自らの理念を深め省みていきたい。
感謝