先日、カグヤクルーと一緒にレストランひらまつのシェフ兼社長の「ぶれない経営」の講演を拝聴してきた。
故郷のために料理を創るという原点を持ち、一人でも多くの人たちに敬意を払い、眼前の人たちの幸せを創るといった理念で実践を重視されている現場の方のように感じた。
私はとても料理が好きなので、つい料理人の話などは聴いていてワクワクすることが多い。素材への思いやり、創作への遊び心、おもてなしをする人への尊敬など、どれも一つのご縁への活かし方に思想が感じられて人の温かさなども感じてしまうからかもしれない。
大切な人や、思いを伝えたい人には私は料理をよく創る。
そのものの溢れるほどの思いは、言葉では伝わらないことが多いことを感じるとき、人はそのセンスによって質量や軽重などを実感しているのだと思うとその感じる心は常に繊細透明にしておきたいといつも思う。
個性豊かな素材に巡り合うとき、新しい豊かな創造を発見し、一期一会の邂逅になる。
すべての道理は、それを観る人、聴く人、触る人の感性によるのだと思うと、いつになっても魂が揺さぶられるような奇跡の体験をたくさんして生きていきたいと思う。
本気のスイッチ、本気の人生、在り方一つで世界が変わる。
環境のせいにせず、自分一本で主体的に生きるというのは慎み深い豊かな個の自己表現であると本当に思う。
平松氏の講演で印象に残ったものがある。
平松氏は、よく社員に「君は今、幸せか?」と尋ねるそうだ。
そして幸せかどうかを尋ねた後、「幸せでないのなら辞めなさい、幸せでないのなら意味がない」と話すといい、これを何よりもとても大事にしていると仰っていた。
これはカグヤの「自分にしかできないことをやる」というミッション経営にも通じている。
昔は私はつい自分があり、自分が出ると、相手への後ろ向きな諦めが現れ、何か大事なことなのに相手への押し付けではないのかを悩み、すぐに遠慮してしまい貫くことができなかったことがある。
経営者は、人格が磨かれていないと傲慢に自分勝手なことばかりをやっている人もいて、そういう謙虚ではない知性のない人柄にはつい嫌悪感を覚えてしまうことがある。
しかし、本物に近づけば、自分にしかできないことを自然体でできるようになり、自己表現が時として傲慢に見えることもある。これは傲慢ではなく、自分というハッキリした信念や理念が明確になっている行動があまりにも集団の中で目立つために現われているだけで決して傲慢というわけではない。
これが観える人が周りにいれば、その人のミッションの体現により世界にたった一つユニークな生き方が周囲を活かし、周囲を巻き込んで素晴らしい組織や経営になっていくのだとも私は思う。
そして、「幸せか?」と聴ける境地に入っていく。
まず、これは自分が幸せでなければ相手に本音でそれを聴くことができない。そして、相手に自分と同じように幸せを掴める自由な環境を用意していないとこれも聴くことができない。最後に、本気で相手の幸せを思っていないと本気で辞めろや意味がないと言うこともできない。
自分がどれだけ今、自分の周囲にいる人に感謝し、その人たちを幸せにしていくかと透徹する信念で自分をモデルとして日々を実践していなければその言葉はない。
私は、今までを思い返すと言えなかった自分が確かにあった。
しかし、自分で決めて、自分で選択できて、自分で行動できる自由な環境を用意し、情緒の安定と発達を助長できるような環境にして、見守る実践を行うとき、同じように「幸せでないなら意味がない」と言えるようになってきた。
それは、これだけの環境を用意しても主体的にならず、やる気がない、チャレンジしない、本気にならないのなら、もっと人生をちゃんと考えなさいという気付きの機会を与えているようなものだと思えるからだ。
今回の講演での御縁も有難い機会になった。
時折、一生懸命に歩んでいる中で同じような原理原則でぶれない経営をする人たちに出会い本心での邂逅があると皆も安心することができる。
セミナーもそうだけれど、自分たちカグヤのやっていることの重要さもこういうところからも学んでほしい。
最後に、私はこれからも、日々、自分の生き方を自分にしかできないものへ昇華する精進に努め、押しつけではなく、本人たちが自分の力で刷り込みやしがらみなどを拭いさり、主体的に一度しかない掛け替えのない人生を、使命感溢れる命の躍動とともに歩めるような本気のスイッチが入った幸せに満ち足りた覚悟ある素晴らしい人生であるように願う。
そしてパートナーとともに、一人でも多くの人たちに幸せの意味を実感できる理念を具現化していこうと思う。
私たちが関わるあの子どもたちにも、そういう人生の喜びに満ちた主体的な環境をこれからも見守ることで広げていきたい。
本当に有難うございました。