筋道

人間はその関係の中で色々な事が起こり、出会いと別れを常に繰り返しながら成長していく。それを真摯に考えると人はエゴやジレンマで人とのつながりに自分を見出だし、その際に自分がどうなのか相手がどうなのかと繋がりに生かされながら成長していく。

人は、何かをお互いで行うときは必ず信頼関係がいる。
信頼を築かなければ、不安になり何を行うにも孤独を感じて何事も完遂する前に挫折してしまうし、何より分かち合うや分けあうという自立した真の幸せを感じることができなくなったりもする。

人づきあいには必ずと言っていいほど義理人情としての関わりの中に確かな筋道というものがある。

例えば、人としてどうあるべきかという普遍的な人間関係の中での筋の通し方、つまりは本筋というものがある。

これはもちろん互いを信頼や信用するために、相互いに偽らず真心でお付き合いをしているかとういうこと。具体的な実践には、嘘はつかない、約束は破らない、無責任な言動は慎む、時間を守る、打算をしない、恩を着せない、嫉妬しない、等々、色々と人と人が生きるには目に見えないけれど何かその人たちの間で共通する筋道を主軸に正しく付き合っていくというものがある。

そうやってお互いに暗黙の了解で信頼や信用するための筋道がたっていなければ必ずどこかでその筋は切れるし、もしくは筋が腐ることもある。

筋がきちんと立ってこそ人は人を信頼し合い、命を預けたり、認め合い、思いやり、人々のために自分を自分らしく協力して一緒に世界へ貢献していくことができる。

しかしよくビジネスの世界では、商売をするためと損得などを考え計算するというけれど実際問題、経営をする人たちで成功する人はみんな計算よりもその人への生き方における生きざまや心の戒律、仁義や誠意、正直や恥を持つなどの正しい自尊心からの処し方や在り方を重んじて信頼関係で商売をしているものだ。

それもよく考えれば当然分かるけれど、私たちが扱う貨幣(お金)といっても所詮はひとつひとつは紙切れ同然のもので取引をしている。信用を基盤に社会がそこに形成され、その信用という価値で、物品やサービスの価値を定めて取引をしているだけだ。

当然、モノにもコトにも人格や物格、社格や風格といった目に見えないけれど信用や信頼という格物という名の真の価値が存在する。

それをどのように守るのかには、それを行う人の理念に基づく信念や信条も要る。

だからこそ、日々、何度も人との間に居て自ら内省し、「自分を欺かなかったか、他人に偽らなかったか」を繰り返し学び直し、ブレずに大事にしている経営者はとても皆から信頼されていくということになると私は思う。

経営者に限らず、人から信頼される人とはきっとそうやって本質的に自分を大事にできる人たちだと私は思う。

東洋には道があり、そこには天がある。

よく祖母が「お天道さまが見ているから悪いことはいけません」とあったけれど、その意味が深まっていくにつれその教訓の素晴らしさを実感する。

いつでも誰が見ていなくても自分のことは自分が観ているとし、何より恥じないような生き方をする事の中に日本の武士道があり、凛としたあり方があるということ。

日本語の中にある生活習慣には先人から受け継がれた本質がつぶさに潜んでいると思うと、今さらだけれど本当に日本人の文化の崇高で清々しさには頭が下がる思いがする。

人はこのように守らなければならないものは理屈はどうこうであれ必ず守るとということを忘れ不自然に筋道から外れてしまうと、大事な人や損得を抜きにした真心の人たちが離れてしまい最後には孤独を味わい惨めな思いをすることにもなる。

人間は目に見える世界だけに囚われ真実があると思ったら大間違いでその瞬間から矛盾を受け容れる澄んだ平常心や素直さや自分と正しく向き合うという真心をおざなりにしてしまうのだと思う。

常に、人と人との間に目に見えない真の絆や繋がりがあることを深く感じ、そして信じ、人に対しては仁義や筋道を何よりも重んじる理念と信条や信念を実践できる信頼される正直な大人のモデルを示したいと思う。

子どもたちに見せる私たちの大人の背中は、いつもそこに正直に真っ直ぐにそしておおらかに明るく清々しい嘘偽りないものを遺していきたい。

そして教育業界に関わる以上、まずは自分自身がそういう清々しい筋の通った大人であるように実践して日々を暮らしていきたい。

天地自然からの恩恵と人々の中に在る思いやりに満ちた優しい心を感じながら穏やかに静かに歩んでいけるよう学問を深め自らに禊ぎし、何より素直に清らかに明るくこれからもいようと思う。

感謝