方針とビジョン

沖縄研修の最終日に入り、方針とビジョンについて話をした。

方針とは、磁石が必ず北を指すようにどこに向かって進めばいいのかを明確に示すものとしてそれぞれが自分が歩んでいる方位を確認するために使っている。そして、ビジョンとはその具体的な行動計画やカグヤで行っている実践やこだわりを明確に示すことで、自分の居場所や会社の理念を可視化して分かりやすく理解することができるために使っている。

カグヤでは年に一度のこのビジョンや方針の研修では、常に意識的に原則や法則などを織り交ぜて普遍的な部分をいくつかの領域に分けて進めている。

今年の方針はDVDを使って映像を用い私と同じような経営方針を貫いている方の講演を一緒に鑑賞し学び合うことにした。それは客観的に異なる分野で同じレベルに居る人を理解し、その人の言葉から異なる角度で理解することでより深く自らの取り組みの質に近づける。

そしてビジョンでは、4つの普遍的な原則に照らしながら自分たちのこだわりや日々の実践の重要性を再確認するために使うことにした。その具体的な実践や自社のこだわりなどの意味を掘り下げることでその価値の高さや重要性を理解してもらうように努めた。

また全体を通して、近々(この一年ほど)の目標についてはこの沖縄研修での具体的な感動体験を通して会社が目指している顧客満足などを心で感じれるような機会と空間を用意し、繋がりの中で自ら気づけるような環境を設定して進めることができた。

全体としては、私の持ち前の透過シンクロニシティを発動し、様々な御縁と邂逅の中で一期一会の学びと皆がそれぞれに自立のプロセスを味わっていくことになる。

集団で何か社会のためになることをするというのは、そのリーダーがどこまで真剣に社員やお客様のために考え抜くかにある。そのかじ取りは、眼前の一喜一憂に心が惑わされ左右されず、ブレず自らの信念を貫くために理念に止まり、不動の心を練り上げ平常心で最期まで使命を完竟し終えると言う覚悟が必要になる。

どの時代も商売に限らず様々な企業や法人は、一方的なサービスを求められる。その中でもいつも方針や理念、その他が盤石になっていなければ様々な問題でその都度経営が左右されることになる。

例えば、保育園幼稚園であれば保護者が要求してくる様々なクレームなどにどのように対応していくかなど常に問題が現れどのようにするのかを求められる。

クレームが来ないから良い園なのではなく、どのような方針とビジョンがあるかでどれだけ周囲が理解してくださっているかということの方がより経営をすることにおいては優先されるのだと私は思う。

社会は自然界と同じように部分でできあがっているのではなく、全体(総合)でできあがっているのだから当然部分を変えることよりも全体として自分がどうあるべきかをよく見定め、本来のあるべきように自分を定めてこそ本当の意味で社会にとって価値のある実践表現と社会貢献を行うことができると私は思う。

そのためにも、部分が全体になるための方針がありビジョンが必要になる。

今回の沖縄では、様々な人たちとの関わり合いの中で私が将来あるべきようを示すことができたように思う。

今回示したことは、数年先ではなく数十年先、数百年先でもそのまま使える真理を伝えたつもりだ。

何千年も前から、ずっと変わらずにあるその心の中の仏性を学ぶために人間は生きる意味を求めてきた。

どんなに時代とともにやることが変わったとしても、その人間の本質はいつまでも変わらない。それは、生きる意味を学ぶために生まれてきたということ。万物の霊長とは、なぜ生きるのかなぜ死ぬのかを考えることによる。闇から光の世界に来たとすれば、単なる繰り返しでなくその中で気づき悟り、その悟りを持って世の中を照らし、すべての生命に思いやりを与えて幸せな世を調和するに至る。

そしてやはり私は子どもたちへの仕事を生業にする以上、常に自利利他の精神を基盤に独立自尊のかんながらの道をこれからも貫いていきたい。

今年も方針とビジョンを示す機会が得られたこと、そして様々な人たちの御蔭や御恩の上に成り立っているこの今に何より深い感謝をしています。

本当に有難うございました。

ぜひ、この一期一会も子どもの未来につなげていきたいと誓います。