個性と愛

オランダからリヒテルズ直子様が来日し、2週間で14回の講演の合い間をぬって私たちカグヤの社内研修を行っていただいた。

色々な問題意識を持つ中で、子どもの人権や社会教育など、幅広い国際感性でこの日本に様々な提案と提言、その方法を示唆してくれる一流の思想の持ち主はなかなかいないと私は思う。

一人で遠いオランダからいつも世界のこと日本こと、人々の自立を通しての平和な社会の実現を願う姿にはいつも感銘を受ける。

今回は、社内のクルー一人ひとりから私たちの取り組みを説明しそれによって気づくことを伝え、私たちが現場で感じる危機感から得た疑問や質問を投げかけて答えていただくという形式を取った。

お互いが実践で感じる疑問はとても叡智があり、それに応える側も自分の問題意識で得た結論から丁寧にすり合わせていく刹那に本質とお互いの使命や役割なども明確にできるとても素晴らしい機会になった。

私自身、クルー一人ひとりが自らで自分の会社での行っている本質的な仕事を説明するその姿に成長を感動し、そして質問の洞察の深さや問題意識の高さにも共感することができた。

人は一日で成長することはない、長い年月をかけて時間をかけて誠意を籠めて関わった真心が次第に相手に感化し、時がきてそれぞれに開花していく。

目の前が如何に変化が少ないと感じても、心の根が育ち、良い栄養分を与えて素直に豊かに幸せであれば必ず人は見事な花を咲かせるのだと予感させる良い機会になったことを感謝しています。

その話の中でも、様々な気づきがあった。

特に興味深かったのが個性の話になる。

「人は自分が自分がと言っている人ほど自分がないことが多いということ、個性があるというのは、自分の中で曲げられない強い心や思いがあること。個性が立っていけば人は幸せになる。幸せであれが学力も身に付く、学力が身についても幸せでなければ意味がない。大切なのは共生していくことで生産性があがるということを知ること、経済優先の社会では無駄が生まれる。

だからこそ、何よりもまず個性を大事にしていくことだと言う。

誰かに批判されても、言い返すくらいのことができるくらい、自分にしっかりしたものを持つこと、そして遠慮しないで、自分を表現すること。」要点解釈

外にはいつまでも自分を守ってくれるような社会はない、だからこそ自らの意志で力強く自分が独立自尊していかないといけないというようなことを仰っていたように思う。

私も日々の実践の中で、様々な批判にさらされる。

子ども第一主義といっても、教育界にいながら私は会社経営をするという経済社会の一員でもある。その中で経済と道徳を一致するには、真に誠実な生き方や在り方をしていることが求められ、そのためにどこまで自分を貫くかというのは自らの心にある揺るがない信念がともに必要になる。

一方では闘い、一方では守り、そしてその両方を混ぜ合わせて認め受容し助け合っていくという実践が日々続いていく。

個性とは自分勝手なことを自由にやることではない、今の時代は自分勝手に何かを好きに進めていけば個性があると勘違いしているけれど、それこそ流されているだけで自分があるわけではない。本当の自分があるとは、周囲をよく思いやり利己心ではなく、自利利他の心で共生し貢献し自らが幸せになり同時に他人も幸せにして自然に感謝して生きていくことであるようなものだと私は思う。

個性が尊重されない世の中に、平和な未来は存在しない。

生きるには道がある。
道で彷徨うのはまだ良い、必ず助けてくれる人が現れる。
私もどんな逆境の中でも最後は助けてくれる人に出逢うことができた。
それを運という、運とはもともと良いものだと私は定義がある。

しかし、道がなく彷徨うのは亡霊の類と一緒になり常に苦しみから抜け出せなくなる。

そして、人が偉大な目標を掲げ道を目指すとき、孤独を感じ諦めそうになる。

しかしそんなときでも道がもし本当に一人孤独であるならば耐えられないようなことも、本気で自分から信じ合える人たちの中で自分の命を預けそして歩むならばその道は一人のようで決して一人ではない。

下記は、私の尊敬するメンターであり顧問の市川康雄さんが教えていただいたことがあります。

「独りは決して寂しくありません。
 心で繋がっていれば、一人でいても百人でいるのと同じです。
 見かけの孤独に惑わされないように。」

心で繋がるということの本質は、どんなことがあったとしても自らの愛に対して誠実であるということに他ならないと私は思う。

幸せであるとは無限の愛をいつでも感じることができるということだと私は思う。

人は一人では生きていけないからこそ、愛に飢えるのではなく真実の愛を感じてそれを無限に持てるように私はなりたい。

遠慮なく自分の個性を心を開いて伝えられるように自分を表現していきたい。

感謝。