はじめに志ありき

何か事をなそうとするならば何よりもまずはじめに志がないといけない。これは私が尊敬する吉田松陰が松下村塾において、何よりもその「立志」を特に優先したことによる。

志とは、それぞれが自分が何をやりたいのかを自覚し、それを世のため人のために尽くしてその意志を常に明確に固持し、実践に従い揺るがない信念を醸成していくことにもよる。

そのまずはじめに「あなたは一体この世で何をするのか」が明確でなければ志が立つことはない。私は社業に於いて、それをテーマとしミッションと言う呼び名にしているけれどこれは和名では「志命」であると思う。

人はただ自分のためだけで努力すると次第に欲望やエゴに変わることがある。
自分さえよければいいや、自分のことばかりで周囲を省みずまた慮からず何よりもいつも自分のみを満たすようになることがある。

しかし、全ての生き物は当然決して一人では生きられない。
動物や植物も生ある全てが周囲に自分をどう活かすかを知っている。

人間には知性がある、そして人間は言語を得た多様性がある。

だからこそ、人間が人間でありながら世の中に対して自らどう貢献するのかを持っていることが自然なことになる。そして真に貢献するためにはまずはじめに志を立てなければ何もはじまらないということになる。

そしてその志は、若いうちに社会に入る前までに立てることだと思う。青年になりまずはじめにもっておかないといけない資質は大志を抱くことだとよく偉人は言う。すべての偉人や賢人は、初志を忘れず、終志も忘れず、志そのもので今もこの世に生きている。

人は生きる上で、もっとも道であるには立志こそを優先しないといけない。

そのために、志がある師友と交わりあい共に学び、道の覚者たちの古典や名著を読み込み、自らの本性やその志を明らかにして人生で一本立てるのをまず大事にしないといけない。

話は飛ぶけれど私は驚くほど会社での採用活動などは特に力を入れていない。ここ数年は、採用会社に募集の依頼すらしていない。普通は派手に宣伝広告をするのだろうけれど、そういうものは不自然だし社風や風土にあわない。それにこういう時代だからこそ、「来るものは拒まず去る者は追わず」という原理原則が要る。

こういう末の時代は、志があるものだけが自然に集まってくるのが理に叶っているしその逆もまた言える。

これはつまり皆で何かを成し遂げるなら「志」があるかないかということを基盤にしていなければ大を為すことはできないということでもあると私は思う。

仕事なども見ていると良く分かる。志が高いものはその質は高く、志が低いものはやはりその質も低い。これはスキルの問題ではなく、志が立ってないから自立できないということなのだと思う。

やはりはじめにどの仕事も志を立てることによるものだ。

私たちは大ミッションというものがある、文字通りそれがこの会社の立志立命する処ということ、そして幼児教育や、世の中を本当に今よりも良くしたい、このままではいけないと自我自噴できるような人でなければ今の世はそうそうは変わりはしないからこそよりカグヤでは優先される。

如何に自分が志が立っているかを確認するのは、その継続するということにより確かめることもできる。継続とは決意により意志を固めて行う規範でも模範でもいいそれを観てみると状態がよく分かる。なぜならいつもいつでも志は誇りを隣にしているからだ。

積小為大も、継続は力なりも、あの有名な言葉はスキル論で語るのではない。

本心本音の覚悟で挑む志への正対こそが自らの誇りになっていき、独立し、自助自尊ができることで何よりも実りある自信に繋がってくる。

例えば生来どんな気質が悪い人でも、先天的に賢愚があったとしても、人は必ず自信がつけば学問の求道で繰り返し正しく化わる。それは、理念理想を高く持ち志に自らを没頭することでより鮮明になる。

毎年、私自身も志を確認するために萩の松陰神社にて様々なもの見つめる。特に草莽崛起の在り方に於いて自らどれくら実践できたかなどその性質の質量をいつも確かめ自らの今を鑑がい純粋な思いと発奮し感涙感激を味わい尽くして初志をよ研ぎ澄ますようにしている。

しかし、まだまだ私自身も刷り込みに勝てないでいる。
勇猛心で、諦める境地を得て、松陰が真にできなかったことを成し遂げたい。

毎年伺っている萩の松蔭墓前近くに、吉田勇氏の遺した歌碑がある。

『萩に来て ふと思えらく いまの世を 救わんと立つ 松蔭は誰 』

心にあるのは、

   「 草莽崛起 」

志あるものよ、此処に集まり子どもたちに命を懸けよう。

まだまだ求心力と遠心力を不動の覚悟を以て醸成していきたい。

実践はいつも空の彼方、海の彼方、陸の彼方、そして天の大気に在る。

浩然の気を養い、自分にしかできないことのために求められる深さに応えられる自分を貫いていきたい。子どもたちが自由自在に人生を謳歌できるような成熟した社会を実現していきたい。