先日、保育現場で理念研修を行った。
何か大きなことをしようとすると当然一人で行うことはできない、それに保育という社会を創り人を育てる仕事はほとんど公共である仕事でそこに私見やエゴを入れてはいけないと私は思っている。
私たちのコンサルタントも、子どもの未来に責任を取ろうとする以上、公のものだし自分の感情やエゴなどを入れては末が乱れることになり理念に基づき、自ら律して模範や規範を示していかなければこの仕事はできない。
さらに、人に影響を与えるくらいで良いのならスーパー営業マンにでもなればなんとでもできそうだけれど、人を感化するくらいになろうとするならやはりコンサルタントにならなければそれはできるはずもない。
以前、私も営業のときに様々な研修を行ったけれど今はまったくその疲労感も達成感も異なる。量はさほど変わっていないけれど、質や密度、また其処までに律している日々の生活そのもの習慣などを含めるとまるで変わってしまうほどに内省をして心と体と技術を磨き、思いやりを尽くす実践を行うようになっている。
感化するという言葉で私が尊敬している安岡正篤氏の言葉がある。
「枝葉末節(しようまっせつ)のものほど、
非常に移り変わりが激しいから
影響力が大きくみえるが、
それはまことに影であり響であって空しいものだ。
直(す)ぐに消えてしまう。
本質的なるものの影響は影響ではなくって、
それはもう骨髄に入る。
ものになる。身になる。身に附く。
これは影響ではなくって感化と言う。」
感化するには、日々の実践だけが助けになるのだと改めて思う。
さて、研修に戻すと理念研修の中で、よく話すのが初心や初志の話になる。
つい仕事に振り返りをしなくなり、忙しくなると人はその仕事の本質を忘れて動作的になってしまう、特になぜ働くのか、この仕事が将来の一体何なのかなど見通しも立たず、問題がないようにと事無かれ主義や安全主義がもっとも優先され、人を思いやるよりも自分が助かることばかりを考えるようになる。
そうなると周囲とも協調できず、次第に孤立し、孤独になり、追い込まれていく、追い込まれると一番困るのが、子どもたちの未来に多大な影響を与えてしまうということだ。
余裕がなかったでは済まされないのが人を育てると言う仕事、如何に急がしかろうが心を籠めなければ必ずその傷は後に歪んだ因果を連れてくる。清算するには本当に長い時間がかかるし、無意識の問題を発掘するのに苦労したりもする。
常に仕事は初心を持っていなければいけない、これはなぜ働こうとしているのか?この組織で一体自分がどうしたいのか?自分が就職するときに決意した人生の覚悟は何だったのか?などその皆が共有する創始理念に立ち返り振り返ることではじめて余裕ができる。
余裕は、時間的に暇になるから持てるのではなく、そもそも自分の人生をどうするのか、そのために何をするのかなどを考えて心に留めていくからこそいつでも余裕を持つことができる。
余裕とは、袋を一杯にしないもう一つの袋を持つことであると私は思う。それは、一杯にならない袋ともいう、そもそも空気が入っているということだ。そうやって全体で包むようになれるには心胆を磨き、いつでも余裕とゆとりと言う心の静寂を維持しておかないといけない。
子どもの声を聞き届けるには、それくらいの実践があってはじめて穏やかに接することができるのだと私は思う。
最後に、研修ではチームワークのことがメインになった。みんなで如何にオープンに本音で気兼ねなく遠慮なく話ができるようになるか、そのためには他を思いやることを優先し、皆に情報を自らから開示し、誰でも知っている状態にすることだと話をした。
誰かだけ知っているでは、皆でせーのというように力を一斉に組み合わせることはできない、皆が一人のために知っていてはじめて一人が皆ことを知っているということになる。
最初から大きなことをやることが前提で集まっているのは理念で理解できるのだからこそ、自分の私情などを挟まず、当然、皆が守っている決まりやルールは守り、互いを尊重し、自らも組織の中の人たちと同じように大切な価値の優先順位は尊守していくことが協力をする実践となる。
知らなかったとなるのは、今まで協力してこなかったからかもしれないけれど子どもたちの未来を支えるのは大人たちの力をあわせて真心を籠めて関わることで成り立てていきたい。
カグヤは、コンサルタントとして恥じない実践を示していきたい。