元来の道徳

実践を通して、人々が幸せに生きる道を辿っていると様々なことに気づく。

朱子学や陽明学など、いろいろとどちらかに偏るようにものを観る人がいるけれど実際は彼らが目指したものは天の道であり、地の理であり、人の和であると思う。

これは絶対的な境地であり、数字で言えばゼロであり、教えによれば中庸であり、この国の思想でいえば随神であると私は思う。

つまりは、常に人智が先ではなく、元来ある道徳というものを優先して生きるということが本質的な生き方や在り方であるものだと私は思う。

しかし、人はそうではなく眼前の利に迷って真理を得ようとはせず、常に様々な苦しみから逃れようと復讐心を燃やし、さらには一人になるのを恐れて常に競争心を燃やし、日々見える形を安定させようと躍起になってしまう。

子どもたちの未来のために今を天に任せて生きようとはせず、大人のための子どものためにと一方的な思い込みの良いと決めた偏った考え方で評価や評論することばかりで何も誰も事を為そうとはせず、誰か任せで次第に疲弊しているのがこの今の世の中のように思う。

孟子にこうある、

孟子曰く「天爵なる者有り。人爵なる者有り。仁義忠信、善を楽しみて倦まざるは、此れ天爵なり。公卿大夫は人爵なり。古の人は、その天爵を修めて、而して人爵此れに従う。今の人は、其の天爵を修めて、以って人爵を要む。既に人爵を得て、其の天爵を棄つるは、即ち惑いの甚だしき者なり。終に亦必ず亡わんのみ」と。

これは、意訳すると昔の人たちはもともと道徳というものは学ぶべきものではなくそれだけ自然に人間の正直で素直なままで生活をしていていつも身近に感じているものであった。そういう時代は、常に自分がどういう役割を天が与えてくれるのかを楽しみにより自分の個性や天命を尽くして与えていただいた役割を存分に発揮できる幸せを感じて生きてきた。そして、その役割を与えられたら喜んで多くの人たちのために活かし、その生かした徳によってより世の中が素晴らしい繋がりと平和の中で幸福を享受されることを楽しんだのであろうと思うと私は認識する。

そして、孟子は今の世の中のように道徳を何かの自分の成功や栄誉などを得るためにわざわざ勉強し、それでさも立派な人間になるようにと目指し、素直な気持ちや正直な気持ちよりも、何かのツールとして天爵を理解し、そして自分の役割があるからと勝手に決め付けてそれをやるためだけに天を利用でもしようとすれば完全に道徳がただの教育になり下がりこれでは必ず滅びるだろうとしている。

以前、私の学校でも部落問題などの差別があるからと無理やり子どもたちに道徳を仕込もうとするてらいがあった。これこそがばかげているのであり、本来は人間は優しい心があるのだから教育するものではなく天に恥じないような生き方を大人がモデルとして実践してみせれば子どもたちは自然に道徳的になるとなぜ思えないのか、今の時代の教えというものの定義に本当に疑問に思った。
 
さらに孟子は言う。

 孟子曰く、「君子に三楽有り。而して天下に王たるは、あずか与りぞん存せず。父母とも倶に存し、兄弟こと故無きは、一の楽しみなり。仰ぎて天に愧(は)じず、俯して人にはじざるは、二の楽しみなり。天下の英才を得て、之を教育するは、三の楽しみなり。」

これも意訳だけれど、世の中のリーダーに3つの楽しみがある。まずは、父母が健在で兄弟も無事に家族が平穏であることは何よりも楽しみ、つまりは自分の身の回りの人たちがいつも幸せで何事もなく過ごせていることがまず嬉しいと思えること。そして、2つ目はお天道様に恥じないような生き方をしていること、つまりは自分自身に正直に本気で生きていけることができ、周囲の人たちへも誠実にいられていることが嬉しいという楽しみ。3つ目が、次世代のために、子どもたちのために自分自ら世界と自然と一体になり、この社会をよりよくしていくことに取り組め、感化していけ道を志す人たちに引き継がれていくのを見守っていけることが嬉しいとことだと私は思う。

常に、道徳とは元来ものであり、何も教えによって導くものではなく、天に恥じない生き方をし、人としてどうあるべきかを常に反省し、与えられた自分の役割を果たしていくことがもっともその道と徳に根差したものではないかと私は思う。

根本的には、人は皆「澄んでいる」存在であり、まるで水のような透明なもの。

その時の自分が居続けることこそ、何よりも役割が理解させることであると思うと、何より真心を持って歩める実践の積み重ねがそういう今まで沁みついてきた刷り込みを取り除く方法であると思う。

子どもたちには、まず大人のモデルとして、素直に誠実に対応できるような自然であるがままの存在であれるような判断ができる自分を尽くしていきたいと思う。

最後に、孟子が言う。

「天の高き、星辰の遠き、いやしくもその故を求め、千歳の日に至り、座していたすべきや」

万物流転の中にあり、真理を読み解くカギは念じることとし、まずは生活を大切にしながら孤雲の如く過ごしていきたい。

心地よさ

昨日、ある歯科の先生に来社いただきクルー全員で話をお伺いすることができた。こちらの先生は、私が以前歯の治療でお世話になったときその実践や考え方、仕事への姿勢や理念などとても共感することが多くぜひ社内で御話を聴きたいとお願いすると快諾いたけた方になる。

特に、患者さんの持っている力を引き出し治療をするという姿勢に私たちの大事にしている見守るを感じることができたことが印象的だった。

どの業界でもそうだけれど、常にその分野を究めようと精進を怠らない方は、同じ実践を行い、同じ思い、同じ課題で自分を修めていこうとするものだと私は思う。

そして道に終わりがあるわけではないからこそ正しい道を歩んでいきたいと思うのは常に自分を天が観ているという天道に照らしたものであると私も思っている。

こういう生き方としてのモデルを示すことがコンサルタントであり、常にそういうお天道様が観ているとし、いつもそこに恥じないような生き方をすること。そこに高貴な魂が生まれ、人を感化し寄り添い見守り導く原点があるようにも私は信じている。

さて、今回のお話の中で特に印象に残ったものがいくつかあった。それを抜粋したものを列記してみる。

「トラウマの取り方は包んでいけばいい、そういう体験があったからできた。消そうとすると無理なので、それを包んであげるといい。」

「治療とは、人工材料で補っているだけ、それは治っているわけではない。これは、治っているわけではない、人が何か手をいれることは補うだけ。自分だけで、自分自身の自然治癒の力を使い治癒することが本来治るということ。」

「なるべく治療しない場合は、その人の経過や、その人の価値観など、様々な角度から見ていく力が居る、それが専門性、治療も治療しないのもその方法は何百通りもある。」

「そこに確信がなければ、それは悪になる。情報は同じだったとしても、やるやらないと、決めるのは、自分の価値観、それが微妙。そこに僕だったらとか、自分だったらとか、これがよくないと思っている。最近は、それさえもなくなればいいと思ってしまう、そうならないためには、歯科に関わらない間での時間の持ち方。つまりはいつもお天道さまが自分を観ている、そこに恥ずかしくないような生き方をしようと思っている。」

「何より意識していることは、天が観ていると思っていないとダメ、一つでもルールを破るのはダメ。いけないことはやってはいけない、やらないように心がけている。」

「医者と歯医者はどんな形であれ人を傷つけてよいという合法的な仕事、これを当然普通の人がやったら犯罪になる。だからこそ資格として許されているから犯罪ではないとはいわない、それに、国家試験を通ったから人格者というわけではない。医者は傷つけることを職業にしているとついテクニックになる、フレームワークにいきがち、効率よくやろうとする、しかし、まずは自分を見つめていこうねとなる。」

「後輩のドクターには伝えているけれど、何より絶対的なルールは守らないといけない、約束事は守らないといけない、つまり人の道は必ず守ること。これが何より優先されることがなければならない。」

などなど、常に医者としての心得を通して私たちが日々コンサルタントとして現場で大切にしていること、また私自身同じように現場で行っている実践などを具体的に分かりやすく御話をしていただくことができた。

ここでの医道も、まずは相手を尊敬し、自分を尊敬し、そこに誠心誠意の真心を持って良心で実践することに繋がっていると思うと社会で道心を持つ人に出逢うことはやはり喜びであると改めて感じる。

その後、同世代でもあったので気軽に会食をみんなで楽しみながら質疑応答などを行いさらに先生のご家族のこと、人柄に触れたり、その他人生で体験したことなども御伺いすることができ交流を深めることができた。

最後に交流会で印象に残った言葉で締めくくる。

「技術や能力はある程度まで磨けばほとんど僅差になります。しかし、プロフェッショナルは自分の分野に何より貫徹したこだわりを持ちそこには一切妥協しない。アマチュアは別にそこまで究めようなどとは思わないからそんなに命を懸けてまではやろうとしない。プロ意識とは、専門分野については自分が何より徹底的にこだわり究めるということです。」

常に、一流を目指すとはこうでありたいと共に学ぶ良い機会になりました。

ともに、言行一致で納得がいくにはまだまだ長い年月がかかりますが今回のご縁があったこと何よりも感謝しています。道すがら、御互い学び合い切磋琢磨しながら心からその歩みを楽しめることが何よりの幸せです。

今回の一期一会も、子どもたちの未来のために活かしていきたいと思います。
有難うございました。