昨日、GTのリーダー研修が開催された。
毎年開催していく中で、年々、はっきりとしてくるものがある。
私たちは大切なもののためにまず自分から勇猛心を持ち変化を恐れずに自分を変えていこうとするから様々なものを守ることができる。
日々や時は過ぎ去っていき、そして環境は次第に変わってくる。
その中でうすうす気づいているのにやろうともせず、そして常に本質であることを怠り、自分の内外の変化に気付かず、その変化自体を恐れるようになればマンネリ化する。
もしもその中で本当に大切だったものも日々の業務に跳び付いているうちに忘れてしまえば、本当は一体何のためにやっているのかすらも分からなくなってしまう。つまりは初心を忘れる。
そうなった状態で盲目に間違った努力を正当化しいつまでもだらだらとやっていたら、後退することがあっても前進することは決してない。私たちは自分一人で成り立っていないのだから、大いなる流れに沿わないでそういうものの中で様々な事件を受け容れ人間を磨き立てていこうとしないのならば道から外れることになる。
変化があるのは、天と地と人のように繋がっている偉大なものがあると感じるからこそ私たちは本来の調和という正しい努力を知ることができると私は思う。
昨日の藤森代表の講演で発心するものがあった。
「皆さんが言うことは分かります。しかしそれぞれの価値観が異なる中で色々な話をしていても、それはどうしようもないし何も言うことはありません。しかし、環境問題と同じように子どもにとって善くない兆候がたくさんでてきているのにこのままでいいはずがない。だからこそ私たちが議論するのはどう変えるのかについてだけでいいのです。」
とあった。変わるものと変わらないものはいつの時代も問いかけてくる。その中で真実は、普遍的な正しいと言われるものを受け継ぐからこそそうであるために私たちはその時代時代に通訳や翻訳をしつつ、それを守るために自分を変えていくのだろうと思う。かつての仏陀や孔子の教えであれ、今を生きる人が正しく解釈を実践と道と教えで子子孫孫へ伝えてきたから人の世がその本筋から外れない道徳に根差した精神性で調和をはかってきたのだとも思う。
簡単に言えば、企業組織でもそうだけれど社員が話し合いばかりするのに一向に前進せず、反省と言う名ばかりの後悔ばかりして後退し続けたり、停滞するのは変わるための議論ではなく、お互いが違うから違うからという議論ばかりしているからいつまでも何も決まることがない。そんなのは疲れるだけでそのうち議論すらも嫌になってくる。
しかしそうしているうちに嫌になるだけではなく事態は好転せず次第にどんどん悪くなるのなら、いつまでだらだらとその議論をするのだろうかと私は思う。
皆が何とかしたいのならば、誇りを持って前に進むために何を具体的にどうするかを決めなければ本当に大切なものを守れるはずもない。その目的の本懐、つまりは理念の共通理解がないところで何を話してもそれはただの時間の無駄使いになってしまう。
皆と分かり合うのは、違いを認め合っていい状態でいることであり、チームとはそれぞれの持ち味を活かすことを言う。そういう普遍的な志を主軸にそれを何よりも優先していなければその仕事にその日々に誇りや遣り甲斐を感じるはずもない。
ここでの誇りとは自らの言行一致に誠を尽くし、志を持ち一歩一歩前進していく自分に周囲に高い価値とその意義を感じていることでもある。
子どものためにと働く私たちがそういう変わることを恐れていて何が子どものモデルであるのかと私はいつも思う。背中で教えていく大人が、いくら見せかけを取り繕っても子どもの純粋な眼差しは騙せはしない。自分の生き方そのものが子どもに涵育薫陶するのだからまず人は自分が将来もずっとそのままでいいのかを見つめないといけない。
時代は変わっていくし、その都度常に変化する。
大切なものがたくさん失われそうなこのような時代、何よりも私たち一人ひとりが勇気をもって前に進まなければ誰かが世界を変えてくれることはない。
昨今の環境問題のこと、生物多様性などのこと、もうずいぶん前から善くないと言われ続けているのに動こうとはしない、それでは私たちが生かされている何ものかの偉大な全てへの冒涜になりそういうものから離れて生きれるはずもない。水や空気、自然や生命、様々なものによって生かされている自分。
それを忘れているうちに善くないことがたくさん起きると分かっているのに自分はこうだからと議論するのはもうばかげている。
今はもう、強い意志を抱き、子どものためにも皆で前へ進むとき。
誰かがやらなければならないならば、まずは自分がそれをやるという一人ひとりの勇猛心での行動がこの世の中を子どもたちを見守っていけるような無為自然を取り戻す鍵になると思う。
私自身、誰かの価値観がどうかなどはもう議論にはせず、子どもを相手にする心は天に通じていると信じて天を相手に自分の真心であるかんながらの道を邁進していきたい。