子ども第一主義を掲げ、真剣に理念に取り組んでいると様々な場面に出逢う。
それは決して生易しいものではなく、そこに確かな人間の息を感じることばかりであることが多い。コンサルタントという仕事は、自らが同時に相手を鏡のように映し出しその自分自身の心を尋ねて併せ鏡としそのものを浄化するという真心と思いやりを必要とする仕事であると私は定義している。
自分に余裕がなければできるはずもなく、それは単に時間的なものでいう余裕ではなく心のゆとりや相手への優しい気持ちに満ち溢れ、よく周囲を慮り、自分は度外視して相手の心に深く傾聴し共感していきながら丸ごと信じ抜くという芯のあるものでなければそれはできない。
人間は小さく生きれば小さくなり、大きく生きれば大きくなる、それは器であるように何を其処に容れるのかを思うとき、自分だけの偏見や、自分都合の思いばかりで一杯であればもうその器は単なる私的な趣味のコレクションのようになる。しかしその思いを至純の夢を持ちそこに載せていけばその器は偉大なものをも包容することができるのではないかと私は思っている。
今の時代は、子どもたちが子ども達であることすら難しい世の中になり物と心のバランスが崩れ、貧しさや不安、そして孤独というものを身近に感じている人が多くなった。平和であるとは、そういう人間としての人間らしさや生き方が豊であることをいうのに物ばかりを満たしているからこういうことになったのだろうと思う。
心物一如という言葉が在るように、そもそもそれは一つのもの。
これだけゴミが増えて無造作に捨てられ粗末にされるということは、きっと同じく人間の心の中もそのようになっているのだろうと思う。
私が行っているコンサルタントには、常に種蒔きという思想がある。どんなものであれ、どんな弱い力であれ、種を蒔きそこに芽が出てそれをじっくりと育てていれば確かな実をつける。それを信じると言うことである。
私の尊敬する師に二宮尊徳の言葉がある、
「私の願いは、人々の心の田の荒廃を開拓して、天から授かった善の種を育てて、またまきひろめることにある。心の荒廃を一人がひらけば、土地の荒廃が何万町あろうと恐れるものではない。」
種を蒔くとは、その人たちの心にある見守るというものに穏やかにまたは情熱的にも光を当てて、その人たちのその種を揺さぶることによる。
その種が一度目覚めれば、人間は爆発的に変化し自分らしく生きることをはじめていく。その種は土の中で御縁という機会を待っていると信じて土を耕しその人間を信じた善の種を育てることによる。
私たちが行っている小さな種蒔きも、心を籠めて続けていれば全世界の荒廃を救うことができるのではないか、私は今もそれを絶対的に信じている。
子どもたちの心にはいつも善なるものを見出だすことができる。
人間は必ずそういうものを本来は持っている。
だからこそ、それを引き出し、それを見守り、それに寄り添う。
日々は、かけがえのない大切な出会いと邂逅の一期一会。
常に種を蒔くことに感謝の心を持ってコンサルタントに精進していきたい。
感謝。