何か大きな事をやろうとし、力をあわせて成し遂げるというのは自分以外の人たちの支えがなければできはしない。自分一人でいくらやろうと思っても、それには限界があり私たちの生きている社会は此処なのだから人々の中でしか成し遂げられることもない。
しかしみんなでやることと一緒にやることを勘違いしている場合がとても増えたのは残念なことだと思う。これは、要素は複数あるのだけれど特に大きく関係しているのはグローバリゼーションという資本競争の中で自分は自分のものなのだという歪んだ個人主義が蔓延し、周囲を信じなくなり不信や不安などで心の余裕と潤いがなくなれば誰かと協力をするというのを潜在的に忌み嫌うようになるか怖がるようになる。
それでもやらないといけないのだからと一応みんなの意見をすり合わせたからという単に集まったというだけでやったのだという落とし所を持ちあうのだろう。
先日、ある有識者の会合の話し合いの様子を聴いて実際はみんなで足並みをそろえることを重視しているだけで事無かれ主義と暗黙の了解のうちに、結局は先送りということをやってしまっている。どの業界も結局はそれかと思ってしまうと、みんなで一緒にやるということをどれだけそれぞれが理解して調和をしているのだろうかと思う。
私は「みんなで」やるのと「一緒に」やるのは同じではないと思っている。
例えば、みんなでやるために毎回会合を繰り返し、集まっても誰も自分のことだと思って考えていなければただ表面上はみんなでやっているように見せたって、一緒にやっているわけではない。それは見た眼は集まって話し合っているように見えるけれど実際は個々が自分勝手にやろうとしているだけであることが多い。
私が思う「一緒に」とは、離れていても自分のことのように真剣に考えているから相手のことも全体のこともその問題も自分のものになっている。そういう人たちがみんなで集まるから三人寄れば文殊の智慧ではないけれど不思議な力で解決していくことができるのだと思う。
人は、最初から相手のことを信じるか信じないかとしていたら何も協力できないしチームで働くこともできはしない。そんなことばかりに囚われるから表面上の「みんなで」に持っていかれて時間と共に疲弊していくし、本気で正直にやっている人たちは疲れはててしまい、どうでもいいと思っている人たちのためにやるような話し合いになってしまうのだ。
そうではなくて、「みんなで一緒に」とはもっと意義深く、たとえどんなに距離があってもどんなに異なる立場や環境でも、共通の課題を本気で自分で考え抜き、その夢やゴールを共有するからこそ一緒にやっていると思えてくる。そしてそういう仲間がみんなで取り組んでいるから、偉大なことは成し遂げられるのだと私は思う。
みんなでとは、身体を一つに集め協力していくことであり、一緒にとは、心を一つにして協力していくことである。つまりは心と体が一つになることをみんなで一緒にというのだと私は思う。
まず心を一つにするには、自分の心をまず相手と同じ課題に寄り添いそれを自分の問題として受け止め本気で取り組むことがいる。そして心をあわせたまま身体を一つにするには、みんなでその場や間などを共有し感覚を五感六感で感じ取りその中での出会いや奇跡などという閃きがくるのを根気強く待つことでもある。
どんなことも調和や融和、そして新しいものが発明される時はこの心と体をあわせていくことが何よりも優先されること。そして人間は、たとえ一人では何もできないちっぽけな存在でも多くの人たちと力を合わせれば凄いことをやる生き物であることはこの世界と街並み、科学や偉大な聖人を見てもすぐに理解することができるはずだ。
だからこそみんなで力をあわせるには、個々が本気で自分から考えて自分の問題として誰に期待するのではなく常に自分こそがやるのだと高い志を持って発奮し立ちあがり、そういう個々が一緒になってともに勇気を出して力をあわせていこうとしなければ本物の変化を生み出すことはできない。
もともとこの国は、大和(やまと)の国。
つまりは「みんなで一緒に」ということを聖徳太子の時代にその国家理念を可視化して、いつまでもそうやって取り組んでいこうと決めたはずでそれをみんなも喜んでみんなで一緒にこれまでもずっとやってきたはずだ。
それが少し海外から新しい理念が入ってきたらそれに偏ってしまうのは本当に残念なことで、何より私たちは日本人の誇り、大和民族の大和魂があるではないか、吉田松陰も遺訓に書いた「やむにやまれぬ大和魂」の大和魂とは、みんなで一緒に力をあわせて調和していこうと語りかけたのだと私は信じている。
大和魂とは、決して激しいものではなくもっと穏やかで優しく潤いがあり美しい自然の調和の心をいうのだと思っている。思い出してほしい、あの自然の中にある神秘を私たちは人間の間に存在させてきた貴い民族であることを、そしてその誇りたかき自然の民、地球人であることを。
これからもカグヤは、もっと自然に、もっと素直に、あるがままに個性を存分に発揮していきながら子ども第一主義という世直し行を楽しみ明るい未来とこの終わりなき世界の道しるべになるよう変化そのものになり維新することをみんなで一緒になって広げていきたい。
譲り受けてきた今、その今をより良いものにし、より善い未来を譲り渡していくことが悠久の流れの中で生かされている私たちの本当の使命。
色々な気付きの機会との邂逅があることに感謝し、今、此処で、本当に自分が天から何を期待されているのかを実感しながらかんがらの道を歩んでいきたい。
感謝