正しいこと

人の心に関わる仕事に取り組む人たちは、いつも繊細に自分が本当にこれで正しいのかを見つめていなければならない。それは医者でも教育者でもそうだけれど、心に与える影響が大きければ大きいほど自分の独善的な考えでなかったかどうかを確認していなければ大変なことになってしまうことがある。

以前一緒に社内研修をした医師の方と会食する中で、「自分が正しいことができるように日々の生活を正して自分よがりにならないようにいつも心を清らかに保つようにしている」というような話があった。

私はこの医師のことを尊敬していて、体だけを見る医者ではなく心と体を一緒に安定安心させようとする真摯な姿勢にとても誠意を感じて、その志の高さにともに道を歩んでいく方だと確信したところからのお付き合いさせていただくようになった。

私たちのオルタナティブコンサルタントという仕事は同じくし、技術として様々な経験や体験を丸ごと自分のものにし、そこから本質的な改善を行えるように具体的な行動と手法を持ち取り組むことと併せて、在り方としての日々の生活を清く明るく素直な心でいつも生きていることで、そこから王道としての本筋に沿いながら正しく安心立命で取り組むことで成り立っている。

これは、如何にいつも相手を「不安にさせずに安心してもらえるか」ということになる。

相手が不安になれば人は自分の持っている本本領を発揮することができない、これは如何にこちら側が全身全霊で取り組んだとしても当の困っている本人が自らの力を封印していたらこちら側の持っている様々なものは行き場がなくなり浮いてしまい竟には無効化されてしまうものになる。

たとえば、医者でいえば医者と患者の力のちょうど合わさった本領であり、教師でいえば教師と生徒のちょうど合わさった本領、その合わさる本領のバランスの中にこそ安心と前進、変化の核融合があ発揮されるようにも思う。

これは、車でいえば片輪では前に進めないように、また片足だけでは進めないように、必ず両方の主体的な行動によってのみ自立し調和したものであると私は思う。

そしてそこから、また新たなものが生まれお互いにいつまでも見守りあう健やかで豊かなご縁や繋がりがより互いの人生を潤いあるものにしていくのだろうとも思う。

まず、私はプロの定義として何をもっとも大事するのかは「不安にさせない」ことであると思う。

何か救ってあげたいという気持ちも、こうしてやろうと思う気持ちも、そこにど少しでも我欲が入っているようなら、そういう気持ちで決して困っている人たちの前に立ってはいけない。

何をするのもそこに相手を尊重する気持ちがなければ変に自分に頑固にこだわっている心の状態であり、そんなに平常心や平安静寂ではない気持では本物の善い仕事はできはしない。

本物とは、「不安にさせなく、安心して身も心も預けてくれて同時に力をあわせる」ことであると私は今の仕事の体験から学ぶことができた。これは自然界に委ねるようなものであり、丸ごと信じることで偉大な自分を信じるということでもある。

こえは昔やっていたような仕事の仕方はとは異なり、思いだけでは人は救えないしそこに確かな正しいことがなければ思いは生きないと今では確信的に思っている。

これは、弱くては人は救えない、そこに確かな強さがあるから優しく思いやることができるのだという意味にも似ている。本当の優しさには、裏付けされた様々な強さを持っているということだ。

思いも同じくして、本物の思いには裏付けされた正しさがあるということだ。

そしてまず自分を正すには、いつも素直でなくてはならない。

素直であるには、無私であり虚空であり、あるがままの無心の境地で清らかに澄んでいなければならずそのために日々どれだけ誠実に真摯に生きているかということに集約されていく。

正しいことをやるというコンサルタントの仕事は、約束を守るや、自他を偽らない、戒律を守り、周囲を思いやり、感謝を行動にすることなど、日々の丹誠を込めた誠実な生き方が決める。

これは何より人として志を持ち道徳的に生きるということなのだと思う。

こういう国家や世界が病んでいる時代は、そういうものを治す偉大医がいる。私の師はそういう人だからこそ、私はその背中から世界や国を治す大医であることの実践と本質を学んでいる。

子どもたちの将来が世界の未来なのだから、いつも正しい心を持ってかんながらの道を歩んでいきたい。これからも私は理想と現実を受容し新たな気持ちでm見守ることに挑戦していきたい。