勘違い

田舎と都会と違いではないけれど、自然から離れて人間だけで生きていると様々な勘違いをしてしまうことがある。

たとえば、自然はとても厳しく、助け合わなければ生きてはいけない。雪国でもそうだし、砂漠でもそう、または高山でもそうだし海の周辺でもそうだ。本来、厳しい大自然の懐に戴かれ保育されつつ周囲に生かされている自分を感じながら私たちは発達し自立していく生き物であるのだと思う。

しかし、これが自然から離れて人間社会の中にだけ埋没しているとお金さえあれば一人で生きていけると勘違いしだし、コンビニから医療福祉機関、その他さまざまな安全な環境があるから助け合わなくても一人で生きているのだから一人でなんでもできるとさえ思っている人たちもいる。

今の都市化の問題は、一人で生きていると勘違いしていることでありどこまでも甘えられる環境の中で自分ひとりでやろうとして助け合おうとしないでいることが問題なのだと思う。

何かの仕事でもそうだけれど、自分ひとりでできているという勘違いはかなりおかしい。そんなに甘えた中でいるのでは、何でも周囲にお金と権利さえあれば保障されていると大きく勘違いしているだけになる。

そうなってしまうと、結果も一人で出すものだとし大事なことは誰にも頼らず自分ひとりでやろうとして失敗を繰り返し、仲間を創ろうとするのではなくまず自分はとやっているうちに孤立化しお互いが協力しあうことを困難にする。

先日仕事でもあったのだけれど、最初から一人で自分勝手にやっているのに最後にできませんということは一人でやった方が楽だからと思ってしまっているのだけれどそれは大きな勘違いで必ず後で帳尻あわせがやってくる。

たとえば、皆で旅行をするときの車の運転でもそうだけれど眠いのならばすぐに交代するか休むかを相談してやればいいのに一人でできると真面目に過信すれば居眠り運転をし事故を起こし周囲に多大な迷惑をかけてしまうことのようなものだ。

会社でも数字や目標なども自分だけでしなければと過信して勘違いしているけれどそんなことは絶対に一人ではできはしない、会社の様々な人たちがかかわる経営資源を使わせていただき自分がはじめて成果を出すことができるのだ。

それをわかっていないと、いつまでも甘えたまま依存する中で迷惑をかけどおしなのだから自分が貢献していることも組織や集団で自立していることも実感できはしない。むしろ危険なことはその根底に考えが間違った個人主義があり迷惑をかけている自覚がなくなる事であり、そうなれば傲慢になり恥ということを感じなくなることで礼儀を怠ることになる。

配慮とは最後に迷惑をかけないためにもみんなと一緒に最初から助け合って取り組むことである。それは一人でできるなんていう甘ったれた幼稚な考えを捨て去ることである。

そしてそれがもっとも豊かで楽しいことだと感じることだと私は思う。一人でヒーローになっても面白くもない、みんなで一緒に達成するから結果が豊かになるしそのプロセスにたくさんの素敵な物語を味わい幸福を感じることができる。

今は、一人でやれることを目標にしている人が多いけれどそうではなく助けあって生きていくことが皆の中で大切な一人を大事にできたとする方がいい。

いつまでも孤独や孤立の中で完璧主義者を目指すのは、過去の教育の刷り込みや愛の循環が素直でなかったこともあるかもしれないけれど、本来の自然なかかわり、自然な姿を思い出し、過酷な厳しい環境の中でも愛があり、信じ合って幸せを掴んでいたことを今の時代もそのままに進化成長させていきたい。

子どもたちには、一人で生きていくことは一人でやれることだと勘違いさせない皆大切な仲間であるということを生き方で示し、みんなで一緒に協力して愛結び生きていくことが一人で生きていることなのだと社業で取り組んでいきたい。

未来の子どもたちにバトンとしっかりと渡せるように私は大切な絆、大事な繋がりの中での一人としてこの循環の世界の中で橋渡しをしていける大いなる大自然の生命として役割を果たしていきたいと思う。。