時というものを考えてみると、今という感覚をどう受け容れるかということにすべては繋がっている。
今の積み上げたものが未来となっているのだから今というものに真摯に生きていかなければ、過去や未来のために生きることはできない。
そう考えると、時と物語とはその時点を示すものでありすべては途切れず繋がっている道程なのだからその時々で過去の物語も塗り替えられると同時に、未来の物語も新しく塗り替えられていくということになる。
人間はつい、この今の時点や短期間だけを切り取って物語を作ってしまい、その時点時点でそれが最高だと勘違いしてしまうものだけれど、実際は幸不幸、最高最悪もすべてひっくるめた今こそが全体の一部だという感覚を忘れてしまうものだと思う。
そうしてしまうと、過去のある時点に戻ろうとしたり、未来のある時点に設定しそればかりに執着してしまうと今を感じるという感性や総合的に丸ごとあるがままにあるということが観えなくなるのだとも思う。
よく人はいつまでも昔のことを覚えていけないという、早く忘れるということは謙虚なことだということもある。また逆に、いつまでも未来のことばかりに囚われて執着してはいけない、足るを知り感謝をしていくことが大事なことだという言葉もある。
これはすべて今というものを受容して、今が調和していることを感じなさいという智恵のことをいうのだと思う。過去や未来は時点で区切ることはできても、今というものは区切れない。それは時が流れていて変化が已まないものであるからだ。
無為自然の境地とは、時点というものと時空というものを超えた空間の中にある感受性や神秘性の瞬間と永遠の狭間に存在しているものではないかとも思ってしまう。
植物でもそうだし、動物でも昆虫でもそう、生命が無限に循環する瞬間を感じているとそこに永遠性が見えてくるように自分の人生というものを時点で区切らずあるがままの今を受け入れれば自然であることがもっても価値のあるものではないかとも感じるものではないか。
いつまでも過去や未来にばかりとらわれず、本当の今をあるがままに受け容れて時を超越した今というものを味わいきっていきたい。
過去の亡霊や未来への妄想に苦しむことなく、今がもっともよいものとし関わった人たちやこれからの出来事を素直な心で受け容れていきたいと思う。
子ども達には、自らの体験を通して学んだすべてを受け容れるという本当の強さと優しさを示していきたい。