リーダーシップの本質

先日、ファシリテーターということについて考えてみる時間があった。それはリーダーと同じく誰よりも相手を思いやり配慮し自分のことのように親身になって問題の解決に協力するということであるのだと思う。

その人の問題だからと相手のせいするのではできないし、勝手に自分が解決することもできない、相手の問題を自分の問題だとしそれを必ず解決できると信じることが大切なのだと思う。

その前提にその人自身が信頼に値する人間であるかどうかは何よりも優先する。約束を守り誠実に最期まで責任を持つ人のことを人は信頼するからだ。

信頼とは何か?そしてリーダーシップとは何か?それをとてもわかりやすい言葉でピーター・F・ドラッガーが説明してくださっている。

『信頼するということは、リーダーを好きになることではない。
 常に同意できることでもない。
 リーダーの言うことが真意であると確信をもてることである。
 それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。 』

これはどの職業であれ、どの役職であれ、人は何のために遣るのかを考え抜いたときどうあるべきかという心構えを自問することになる。

その際、私たちは会社でよく本気かどうか、覚悟があるのか、真剣にやっているのか、と問うことが多いのもこの真摯さというものが何よりも大切だからであると私は思う。

常に仕事がどうであれ作業がどうであれ、何のためにやっているのかを正しく理解していれば当然それは全身全霊を傾けていなければ目的や使命に対して不誠実ということになる。

不誠実になったら自分はもとより周囲もそういうものに着いてはいかない。周囲はまず相手が能力があるなしにかかわらずそういう誠実な真摯さに心を揺り動かされて信じていこうと思うのであるし、そして同じく自分自身を信じるということはそれだけ真摯に本気でやっているから自分を信じれるようになるのである。

それを怠ればリーダーシップは発揮できない。つまり本質的に、自分自身の人生だけではなく自分を取り巻く周囲をマネジメントすることはできない。皆で一緒に何かをやることはできなくなるということである。

このドラッガーのいうことはとても正しいと思う。

自分自身も深く心を洞察すれば、もちろんリーダーがどういう人格の持ち主か、そしてセンスがどうか、生き方はどうか、魅力はどうか、方向性はどうか、哲学はどうか、道理や倫理道徳はどうかなど当然自分の人生懸けてついていくのだから慎重に探していく。しかし私の場合は直観があるので、第六観を使って未来に共有するものがあるのかを探っていくことをやる。

きっと同じようなセンスがあるかどうかを辿っていき、そこから必然であるかどうかの確信を持つのであろうと思う。

しかしそれはすべてにドラッガーのいうような、「誠に古くさいと思われる真摯さ」つまりは一生懸命に諦めずに全てを受け容れて遣り切っているのかどうかという古びれたど根性のようなものを感じることを言う、そして本人が語っている言葉に真実を感じている自分があるということも大事なことなのだ。

リーダーシップの本質とは、自分が信じているものを信じさせることであり、自分が信じているものが信じられることである。自分が信じる事が出来なければリーダーにはなれない。どんな困難があったにせよ、最期までやり遂げる覚悟を人は信頼するのだと思う。

最初からすぐに諦めたり、すぐに何かがあると疑ったりしていては自分を信じる事が出来なくなる。善いリーダーは信じる力を周囲に広げていくものだし、きっと大丈夫だと楽観的に周囲を励ます存在でもある。

それは何より自分の確信に対して真摯でいるからなのだ。
それが信念ということだろうと私は思う。

子ども達には、自分の信じた道を自分が最後まで諦めないという姿勢を示し同じように未来を諦めないという実践で背中を見せていきたい。本質であり続けるには信念を持たなければいけないことをまずは自分の体験を通じて真実を伝えていければいいなと思う。

現場は嘘がないことを知っているままに、日々に精進し現場の声でリーダーシップを存分に発揮していきたい。