根源と生長

地球が誕生してから46億年という、そう考えてみると私たち人間が生活している2000年などはあっという間ということになる。

以前何かの本で、20万年前を地球誕生からの尺で24時間計算で計るとそれは4秒前くらいだと聞いたことがある。私たち人間は、自分たちの寿命の間隔、50年から80年でしかものを考えず今起きている問題も問題の中で一番大きなことしか考えられないように脳はできているのだと思う。

それを自然という感覚で生きている人たちや、悠久の流れに身を置く人たち、または先祖代々からのものを正しく継承してきた古老たちなどはそういう何世代もかけて築いた大切な記憶の中で生きているのだろう。

小さなことにはジタバタせずに楽観的に生きていけるのもそういう壮大な時間をかけて悠久の流れに身を置くからなのだろうと思う。

今はIT技術が進み情報が氾濫し、スピードが上がったこともありなんでも急であることや変化を急ぐことを社会全体が求めているような節もある。もともと知識は何のために必要なのか、世界中の知恵が一体何のためにあるのかを見るとき、鶏が先か卵が先かではないけれど優先すべき生命体としての本物の人間になるための方の科学がようやく追い付いてきだしているようにも感じる。

じっくりゆっくり育ててきたものと、臨機応変に取り入れるものは、その両方の変えて善いものと変えてはいけないものが正しく理解できる人物が判断し人々を導くことで世の中の調和は保たれていくものだ。

そういう時代の変化の中でその両性を具有しつつ道徳と文明を融和させていくような人物が次第にこれから育っていくのだろうとも思う。

子ども達には無限の可能性がある。

そう考えると、私たちが学び続けて継承していくものこそ悠久の流れの一部でありそういう壮大な生き方に身をおいてこそ正しく今の変化に順応するための叡智や工夫を手にすることができるのだろうとも思う。

根源は悠久に身をおきながら生長は変化を楽しむということが今のITを融通無碍に使いこなすための王道であろうと本当によく思う。

今の時代は、何でも人は人、物は物というふうに偏った方の一つの価値観で世界を支配しようとする勢力があるからこそそうではなく、その両方を調和するファウンダーとしての生き方を大事にしていきたい。

総合的に俯瞰し、その布置を主る人物が世界各地で発生することを予見する。

これはつまり思いやりを持って真心尽くして気づき学びを実践し、心を澄ませて広げていけば無数の価値観を自然に置換できる器が大きくなっていくように繋がりの中で出逢うのだろう。

子どもたちにもたくさんの自然体験を通して、摂理を学びつつ科学を吸収し、壮大な歴史の中にある今の自分を信じて悠久と時代時代を生き抜く変化を楽しめるように個々の自立を見守っていきたいと思う。

温故知新の生活を味わっていきたい。