時代時代に守るべき原理原則というものがある。慈愛や真心、誠実さや協働すること自立していることなど、自然界にある摂理を人間が正しく学び実践することで時代の変化に順応してきたのがこれまでの歴史だと思う。
常にそういうものを見失ったとき、混乱が起きそれにまた気付いて平和が訪れるというサイクルで時代の価値観は定まってきた。
特にこの時代を洞察すれば、ものが溢れ経済優先の社会からなんでも手に入ると勘違いし人々が傲慢になってきている。ちょっと前までは、この国でも周囲の人たちのことをいつも思いやる風習などが残っていた。
たとえば、近所の方々に何かあるときにはすぐに挨拶をして配慮したり、自分をいつも大事にしてくださっている人達へお手紙やお礼などを欠かさないことも当たり前にやっていた人たちも多かった。
今では何かあるのではないかと相手を疑ってしまったり、そういうことをやると嫌がられると勘違いされたりする。人として当たり前にしていた、共生することや貢献をすること、謙虚に自分があるのは皆様があってのものとは思っていても実行に移さないというふうになってきたのは悲しいことだ。
世界では、今謙虚さというのは何よりも最先端であり合理的であると研究されホスピタリティの高い企業文化には取り入れられてきている。私たちの会社も人間らしさとして社員の人生にまでコミットし、皆で思いやり暖かく見守るという社風を優先しているけれどこれは当たり前にやるだけではなく強くやっていくことが必要になる。
人生まで一緒に考えてともに働くという、協働やチームワークというものは本来なくてはならないものであったのだと思う。一番怖いことは当たり前であったことが心で思っても実行できないということであると私は思う。
マナーでもそうだけど、挨拶をするということ、相手に御礼を伝えること、そういうひとつひとつに心をこめて相手の立場を慮り相手の想いを尊重しながら自分というものを生かしていくには強い意志が必要になってきた時代なのだ。
相手がしないからと流されればそれはそれで社会の一員として自立した個になりはしない、当然相手がどうであれ相手の立場にたって行動することが社会のなかで個が自立して社会を形成しているということになる。
誰かのせいにできるようになるのは、そういう傲慢な気持ちがあるからであり、人は本来もっと謙虚に皆と一緒に生きていくことを大事にしていくことが幸福な社会をみんなで生きるということになるのだ。
今の時代は、謙虚さというものを持つだけでは足りない。その謙虚さをより強く発信し、行動で社会に訴えかけていくような新しい物差しを持たなければならない。そしてそれを何よりも楽しんで実行していくことが、周囲を感化し明るく清らかな社会を築いていくということに気付くことが大切なことだ。
カグヤはいろいろな出来事が沢山ある中でいつも人を優先し、仲間を思いやり、お客様のことも自分のことのように思おうとする文化を醸成している。これは何よりも子どもたちの未来に継承したいものでありもともと人間が何よりも大切にしていた尊厳であり、共生の原理でもある。
もっと強く優しくなるために、謙虚さというものを数々の経営現場においてコンサルティングを通して実践していきたい。人の話をよく傾聴し、そしていつも相手の立場で共感し、それを自分の問題として受容する。
自立も社会も自分たちの強い意志の力で行うことをこの国の子どもたちの教育や保育の新しい世界標準にしていきたい。