人間関係を良好に築き維持していくのにコミュニケーションがある。それはただ単に話が上手であればいいのでもなく、作法が単に身についていればいいということではない。
当然、相手を思いやる心で相手を尊重していることができていてはじめてお互いの人間関係が円滑にいくことになる。しかしこれも単に心が思っていましたからといってそれを具体的な行動に移せないのでは相手に伝わりはしない。
人間関係とは、心と形が相合わさっているからはじめてそこで良好な関係になるということだ。
例えば仕事で言えば、報告・連絡・相談・確認というものがある。これも最初に覚える仕事のマナーだけれど心が篭っていないものでは意味をなさない。具体的には、自分勝手に好きに進めようと思っていたり、周囲に意見をいただきながら進めようとも思わなかったり、何のためにやるのかを理解せずに終わらせることだけに固執したりするものでは決してこのホウレンソウや確認などはできはしない。
本来、上司や周囲に意見をいただきながらお仕事を責任を持ってやろうと思えばこのホウレンソウや確認は順序が逆になることがある。まず、本質はこれで大丈夫かという確認、そしてそれを進めるための相談、次に小まめな進捗の連絡、最後に経過と結果を報告して完了というのがビジネスマナーである。
それが責任を持った仕事ということであり、言い換えればそれが組織や社会の中で立派に役割を果たす仕事をしたということでもある。
ここからも一つの心と形があることはわかる。
まず心とは、謙虚に周囲のお力をお借りしてその御蔭様で仕事をさせていただけているという心。それを具体的な行動で形にしているものが、確認・相談・連絡・報告というマナーある形。
この両面ができているから、はじめて人は人と仕事を正しく楽しく豊かに手を取り合って助け合い認め合いながら責任を果たすことができるのだと私は思う。
他にも、日々感謝を忘れないための一言であったりメールや手紙での御礼、日々の気遣いや配慮などもすべては心と形があわさったものであるのだ。
いくら作業ができたからといって仕事ができたことではない、これは作法ができるからと礼儀ができたことではないということと同じ意味でもある。
だからこそ仕事ができる人とは、責任と役割を果たしながら結果とプロセスを大事にした人であり、先ほどの礼儀がある人とは、いつも周囲に配慮しながら相手を心地よくさせ続ける努力を怠らない人のことをいう。
仕事ができる人になっているということは、畢竟、この心と形が両面とも成熟している人になっているということを言う。
人間関係がまず良好で心地よいという土俵に上がらなければ、本質の議論や真剣な人生の正対などできはしない。
まず当たり前のことをでき、そのうえで当たり前以上ができることが人を導くということであり心技体を修めているということでもある。
子ども達にも、自らが模範となり心と形の実践を示していきたい。カグヤでは、何より仕事ができる人とは心と形を大切にして習得している人を定義していこうと思う。