コミュニケーションの訳

「communication=コミュニケーション」という単語がある、英語では会話や伝達などと使われることが多いけれどこれを私たちの身近では本質を勘違いして使っている場合が多い。

本来コミュニケーションとはどうあるべきかを思うときそれは「積み上げていくもの」であるのだと私は思う。現に、外国では何かを行い積み上げていく動詞に「build=ビルド」というものを使う。

これは建てるということであり、時間をかけて小を積み上げ大にしていくという意味になる。

私のコンサルティング先が、一昨年、園長ブログを開始する際、その開始の命名として「積小為大ブログ」としたことがある。これは、理念を一本立てるということを行う際に日々の実践を積み上げていくブログだという意味で私が名づけたもの。

つまりは、理念を一本に立てるとは私にしてみれば実践を積み重ねて建てていくことでありそれを継続することではじめて周囲にどのようなものかを可視化できるものであるという意図ではじめたものだ。私たちの理念ブックも同じく、制作することに大した意味はなくそれを行動に移して結果を積んでいくことにこそ意義がある。頭で理解するものではなく、それを日々の生活や仕事の中で積み上げていくことを言う。

そして私はこのコミュニケーションというものも同じくそういう建てるというものに定義する。

そもそも人間関係とは、構築するという言い方をすることが多い。それは色々な出来事があるけれど、それを対話を通じて積み重ねていくことでお互いに人間関係を建てていく。

そしてその対話を恐れずに根気強く対話を続けるのは、それが信頼関係を築き建てることであり互いに信じ合う環境を積んでいくためには必要だからである。

私たちがそれを仕事で行う「一円対話」を使うのは、善悪もなくそれを丸ごと積み上げていくことで信じる環、つまりは心を通じ合う流れを澱ませないようにしていくことをいうのである。

これは私の確信だけれど、人間は心の通じ合いに澱みがでると人を疑ったりすることをしていくもの。そうではなく、お互いが心を通じ合わせていけば自然に信じる環境は出来上がっていくものでこれも循環の理の一つである。

根気強く、溜まったものを流していくことと流れが悪くならないように流していくことをこの一円対話で行い継続していくことが何よりも解決になると信じているのである。

これらの対話の意義は、お互いが本音や本心で心を開いて話し合って言うことでありそういう日々の積み上げによりお互いを信頼し合う協働の建物を築きあげていくというものだ。

そしてそれを建てることで、お互いがその一部として世界で一つしかない自分たちが表現したものを発信し伝達していくことができるのであろうと私は思う。それを社会が認め、自分たちらしさというものを仲間と一緒に表現できていくのだ。

しかし、今、よくよくとこの国の在り方を見てみるとコミュニケーションを積み上げようとはせずただの指示や命令、つまりは伝達のためだけに使っている人が多くある。子ども達への指導も、先生が一方的に教え込んでいるのでは何も積み上がっていくものがない。

浅く広く付き合っていく関係だけで事が済めば良しなのか分からないけれど、そんなのはありえず、人間関係も信頼関係もそれでは築けず、さらに実際の人生を積んでみると人と人とは深く長く付き合っていくものを望んでいるし、一生涯関わり合えるということが出逢いの素晴らしさの妙味であり一期一会の幸せなのである。

だとしたら、本来のコミュニケーション能力とはもっと対話を積み上げる時間を取るべきではないのか。私はもっと子ども同士や大人と子どもをはじめ、立場の異なる人たちや同じ人たちがもっと全てを丸ごと受け容れ話し合える環境を用意していくことがこの問題の解決につながると思っている。

人と話すことが日本人はシャイだから苦手というのもあるのだろうけれど、私は人間関係を積み上げていくのが苦手というのは人類の存続においても大きな問題ではないかと思っている。

人類は今までもたくさんの困難をたくさんの対話によりみんなで一緒に力をあわせて乗り越えてきた、そこに謙虚さがあったからできたのだ。それを幼いときから実践して人と協力をするストレスよりも協力をすることで積み上がっていく素晴らしい関係を大人がモデルで示すべきであると私は思っている。

カグヤでは対話を特に重んじるようにしているのもこの理由からである。

多様な価値観があり、時に傷つき、時に喜び、心地よさも心地悪さもあり避けたいことも近づきたいこともあるけれど、大事なことはそれを続けていくことである。それはそれ以上にお互いが力をあわせたいことがあるからであるのは当然のことであることを知っていることが共通理解として前提であるべきだ。

コミュニケーションを誤訳してはいけない。

子ども達のためにもコミュニケーションの本質を正しく訳して教え導き、自らのオープンな姿勢と実践によりまずは対話の建物を立派に完成させていこうと思う。